クラナゾ(ヤン・リーピン)

2011/04/10

Bunkamura オーチャードホールで、ヤン・リーピンの「クラナゾ」を観ました。ヤン・リーピンは、2008年に雲南の伝統歌舞を紹介した「シャングリラ」でそのあまりの美しさにノックアウトされて以来、3年振りの再会。

ステージは休憩をはさむ二部構成で、九寨溝からラサまで五体倒地による巡礼を続けるおばあさん(阿妈)が、その三年間の旅の途上で出会う、各地(チベット自治区、青海省、甘粛省、四川省、雲南省)のチベット族の歌舞や祭典・儀式が紹介されるつくりとなっています。「クラナゾ」とは「蔵謎」の日本風発音で、「藏」は西蔵=チベットのこと。出演するダンサーたちは全員チベット族で、四川省北部の九寨溝には「蔵謎大劇院」という常設劇場があるのだそうです。

開演時刻の少し前にホール内に入ると、舞台上では巨大なマニ車がゆっくり回っており、時折僧侶の姿をした演者が登場してブォ〜と太い音で笛を鳴らします。やがて老婆が五体投地で舞台上を下手から上手へと横断し、ついで逆方向へマニ車を回しながら下手へ戻って、そして物語の始まり。

第一部は、舞台一杯に広がるほどの人数の男性ダンサーたちによる、勇壮な六弦琴の演奏からスタート。ギターのように肩から掛けた六弦琴の太い音色での合奏と力強い歌唱&ダンスが一体になったパフォーマンスで一気に観客の集中力を高めてから、続いてピンク色の長い袖をひらめかせた少女たちの華やかな踊り。そこに若者たちも踊りに加わって、やがてたくさんのカップルが生まれてゆく様子が描かれます。

ここまで、若者たちのエネルギッシュな歌とダンスが続き、ついでチベット東部の農村(麦畑)での牧歌的な様子が、川を渡ろうとする老婆に親切な村人たちが背中を貸して五体投地を続けさせる小さなエピソードとして差し挟まれて、ついにその老婆を見守るターラ菩薩としてヤン・リーピン登場。舞台の上空から花びらがひらひらと散り落ちる中、巨大な蓮の蕾が開いて中からヤン・リーピンが現われ、印象的な踊りを披露しました。相変わらず、その指先の細やかな表現と背中の柔らかさは彼女ならではのもの。ただ、えっ、もう終わり?というくらいに短いものだったのは残念……。

ついで、鞭をばしばし使う牛飼いと真っ黒なヤクたち(一頭だけいる牝は白)のコミカルなダンス。一頭だけ日本の獅子舞のように二人一組になってリアル(?)な牛の姿のヤクがいますが、あとは一人一頭の人間くさいヤクばかりで、上手から聞こえてくる素晴らしい技巧の女性の歌に「会いたかったー!」と日本語で手を伸ばして牛飼いにどつかれたり、牛飼いの「気をつけ!右向け右!」といった日本語の掛け声にきちんと整列したり。

第二部の始まりは、ラサのポタラ宮修理の労働歌。チベットの人々にとって、ポタラ宮の修理は神聖な労働であり喜びであるという解説のもとに、大勢の若い男女が棒の下に重石をつけた道具でステージの床をどんどんと突き固める動作を繰り返しながら舞い歌います。その動きは非常に激しいもので、主役らしい少女は一連の踊りの後にはあはあと肩で息をする姿を見せるほど。

ついでもくもくと湧き上がる雲の映像を背景に、三声の不調和な、しかし力強く美しい女声コーラスが披露されて、そこから賽装祭。各地の色遣いも形状もそれぞれに特徴的な民族衣装をまとった人々が集う賑やかな祭りの様子が描写されていきます。

しかし、このようにしてチベットのさまざまな風景と共に三年にわたる旅を続けてきた老婆は、雪の降る中ついに力つき、亡くなってしまいます。巡礼の途中で死ぬのは一種の幸福、というチベットの諺が電光字幕に示され、そしてターラ菩薩が現れて老婆の魂を救い出すと、神々が魂の行くべき先を賑やかに争論。死後四十九日かけて転生先を探した老婆の魂は、ついに生まれ変わって少女の姿となり、再び五体投地を始める姿を舞台上に示して終劇となりました。

篤い信仰心に裏打ちされた骨太なストーリー上に、チベットの民族色豊かな歌舞を力強いパフォーマンスとカラフルで洗練された演出で見せて、極めてよくできた音楽劇。さすがヤン・リーピン、ただ、彼女自身の出番があまりに少ないぞ……と思いながら拍手を送っていたら、最後の最後に見せてくれました。終劇後、登場人物たちが次々に舞台上に現れて喝采を浴び、そのまま終わるのかと思われたとき、客席の手拍子の中で舞台中央にいたヤン・リーピンの気配が変わり、これはもしや?と思っていたら突如として照明が変わって、一瞬のうちにヤン・リーピンのソロダンスに入りました。打楽器と効果音を組み合わせたモダンな音楽を背景に、それまでのおおらかな舞台とは全く異質の緊迫感に満ちた踊りは、しなやかな腰と背中の動きにつれて肩から指先までが命あるもののように動く神秘的なもの。これぞ!ヤン・リーピンです。

チベットは中国政府との間で難しい関係を長年強いられていますが、その仏教を中心とする文化的な豊かさと独自性は「聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝」展でも目にしたところ。今日の舞台がどこまで本来の伝統を再現しているかは定かではないものの、あらためてチベットへの憧れを再確認させてくれたパフォーマンスでした。