塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

芦屋道満大内鑑 / 嫗山姥

2011/02/19

今月の国立劇場(隼町)での文楽公演は、第2部が「菅原伝授手習鑑」の桜丸切腹を住大夫、第3部が「義経千本桜」の渡海屋・大物浦を咲大夫。ここは第2部を聞きに行きたいところでしたが、どうせ聞くなら菅原伝授は通し上演を待とう、と考え直して第1部の「芦屋道満大内鑑」「嫗山姥」を選びました。前者は一度通しで聞いていますが、後者は文楽では初めて(歌舞伎では福助丈の八重桐で観たことがあります)で、綱大夫の語りに期待です。

芦屋道満大内鑑

「葛の葉子別れの段」と「蘭菊の乱れ」。「葛の葉子別れの段」は吉田文雀師が女房葛の葉を遣う予定でしたが、病気休演につき安倍保名を遣うはずだった和生師が女房葛の葉に回り、玉女師が保名。幕の向こうから拍子木と機織りの音が聞こえてきて、やがて幕が横に引かれると舞台上は阿倍野の保名宅。床の上には三輪大夫と團吾師。三輪大夫は隣柿の木を十六七かと思うて覗きやしをらしやと相変わらずの美声で本当に聞かせてくれました。和生師の女房葛の葉も、たとえば嬉しや日脚も八つがしらと空をふと見上げる姿に気品とうっすら色気があって見入ってしまいます。女房葛の葉が童子を寝かせつけ奥の間で機織り仕事を始めたところへ信田庄司夫妻と本物の葛の葉姫が現われ、窓越しに女房葛の葉の姿を見て驚いたところで三輪大夫から嶋大夫にスイッチ。

そこへ帰ってきたのは、玉女師の保名。これまた二人の葛の葉に驚いて庄司一行を隠し、女房葛の葉を呼び出して、寒くはなかった?と狐言葉で気遣う女房にそこで庄司夫婦に会ったと探りを入れると、女房葛の葉は面を伏せて何やら思うよう。奥へ着替えに行く女房の裾を上げて尻尾の有無を確認するところはコミカルで笑いが上がるところですが、保名も葛の葉もわりとあっさりした所作でした。しかし、衣服を改めて戻ってきた葛の葉がふいと手を振ると、どろどろという音と共に板戸がひとりでに閉まって俄に妖気が漂います。そして聞かせどころ、葛の葉の我が子に対する哀切極まりない独白。狐の早変わりも、和生師は正面を向いて気が漲ってきたところで狐ぞやの刹那にあまりにも見事な切り替えでした。最後に葛の葉が童子を抱き上げ(ここも狐手をつかうと童子が葛の葉のもとへ宙を飛んできます)抱きつく場面は、文雀師ではキスの嵐でしたが、和生師の場合は狐がするであろうようにしきりになめ上げる感じで、これまた葛の葉の心情が真っすぐに伝わってきて泣かせます。ところが、この肝心の場面でなぜかキーンという高い金属音がかすかに場内に鳴り響いていました。最初は携帯電話の電池切れ?といぶかったのですが、それにしては音の持続が長過ぎ、どうやら補聴器やイヤホンガイドを原因とするハウリングのような感じ。誰が悪いというわけではないのですが、せっかくの好舞台が残念なことになってしまいました。

狐になって信田の森へと帰っていってしまった女房葛の葉。その道行を描く「蘭菊の乱れ」では、最初狐のようにとがった口もとをしていた葛の葉が振り返ってこちらを向き直ったときには女性の顔に変わる演出があって、初めて見たときはずいぶん驚いたのですが、今日は前から四列目なのでとがった口元の部分だけが後からとりつけられ、簡単に外れるようになっていることに気が付きました。文楽人形の仕掛けは、アイデアの豊かさといいそれを実現する技術といい、見事なものだと改めて感じ入ります。ともあれ、最後はぶっかえりで白地に狐火の姿となった葛の葉の見得で終幕。

嫗山姥

近松門左衛門作の時代物で、源頼光が渡辺綱、坂田金時らの四天王を得て政敵を倒し、鎮守府将軍となるまでを描く五段物ですが、現在は二段目の「大納言兼冬館」すなわちこの日演じられる「廓噺の段」のみ上演されるそうです。

床の上には、まずは芳穂大夫。これまたよく通る声で、聞きごたえあり。舞台上は大納言兼冬館で、御簾が上がると中央に赤姫姿の沢瀉姫。この一年ほど能ばかり見ている身には、この色彩感覚は新鮮に感じられます。沢瀉姫は源頼光の許嫁ですが、右大将高藤の讒言によって頼光が行方をくらましているため、落ち込んでしまっている様子。しかし、まだ許嫁でしかないというのにこの長の夜を誰と寝よという述懐がいかにも、下ネタ大好きな上方町人文化の華というべき文楽っぽい感じ。ともあれ、なんとか姫の気を引き立てようと思う局藤浪が、気さく者の煙草売り源七がやってきたら呼び入れようと言うところで盆が回っていよいよ綱大夫の登場……のはずだったのですが、そこには津駒大夫。ここで、黒衣が綱大夫の病気休演を告げました。やれやれ、またですか!綱大夫の病気休演率は、少なくとも私が遭遇した限りではかなり高いのですが、失礼ながらこれでは人間国宝のタイトルもすたるように思うのは私だけでしょうか?

さて、源七実は坂田時行は父の仇を討とうと妻を離縁し身を煙草売りにやつしての敵探しの途上ですが、ここでは腰元たちに求められて姫の慰みにと三味線を聞かせることになりました。清二郎師の三味線と玉女師の右手が見事にシンクロしているところへやってきたのは、これまた代演の勘十郎師が遣う紙衣姿の八重桐です。人形の首は沢瀉姫と同じ「娘」なのですが、その仕種に大人の女性の品のようなものがきちんと感じられるのがさすが。その八重桐は、貴族の館の内から三味線の音とは珍しい、と聞き入ってみると自分が遊郭にいたときに坂田時行と作った唄と気付いて、誰が弾いているのか見たくなりました。そこで声を張り上げサアサアこれは難波の遊女町に誰知らぬ者もない傾城の祐筆。濡一通りの状文ならおそらく私が一筆で、叶はぬ恋も仮名書き筆……と気合のセールストーク。これに興味をもった局が八重桐をも呼び入れたので元夫婦は思わぬ対面となり、夫の方がヤア離別せし女房、南無三宝とあわてて上手の柴垣の陰へ逃げ隠れれば、妻の方はみづ臭き男畜生人でなし(現代語訳「あのガキャー!」)と睨みつけました。そうとは気付かない沢瀉姫が八重桐の姿に興味を覚えて身の上話を求めると、八重桐は待ってましたとばかりに身をよじって中央に座し、ここからかつての廓での坂田某との馴れ初めや恋仇となった太夫小田巻との廓総出の大立ち回り(投げ飛ばされた小田巻の鼻血が一石六斗三升五合五勺!)を、それこそ立て板に水でしゃべり続け、最後にアアあんまり喋つて息が切れた。コレお茶一つ下さんせ。この間、駒津大夫の語りも見事ですが、清二郎師の三味線もリズミカルに、そして時に高い金属音での効果音なども出しながら太夫をアシスト、そしてもちろん舞台上でも勘十郎師が八重桐をダイナミックに遣って、三業のうち二人までもが代演でありながら息がぴったり合ったところを見せてくれました。

ところがこのしゃべりにはオチがあって、思ふ男と添ふからは、面白からうと問う腰元たちに八重桐は、この話には続きがある、男は父親の敵討ちと称して私と縁を切り行方も分からなくなってしまったが、これは真っ赤な嘘。今頃は若い女中に立ち交じり、三味線弾いているのだろうと夫にあてこすりながら泣き真似をしてみせました。これに同情した沢瀉姫が奥でもっと話を聞きましょうと御簾を下ろしたところで、頭にきた時行は八重桐につっかかり、親の敵を討つまでと納得づくでの離別だったではないか!と恨みを述べたのですが、八重桐の口から聞かされたのは、その仇は既に時行の妹糸萩が討ってしまっていること、そしてその糸萩を匿ったことで、源頼光は讒訴され勅勘の身となったという事実でした。このときの八重桐の口調はコレ親の敵は幾人あるぞとかこれ程大きな騒動を今まで知らぬとは狼狽者の浮名を、世間へ触れうということかなどと憎々しげに揶揄するようでまるで容赦ないのに、言葉の最後に夫に縋りついて泣くのがよくわからないし、そこで時行が源頼光を讒訴した平正盛と右大将高藤を討とうといきり立つとこれまたそれは悉皆気違いか討たれぬ仔細があるから頼光公はあえて日蔭の身となったのにあなたは重ねて恥をかきたいのかと恥をかかせるのですから、行き場を失った時行はもうこの上の分別なしと自害するしかありません。うーん、ここのところの八重桐の心情が、いまひとつ理解できません。

ともあれ断末魔の中で夫は仁王立ちになり、客席に背を向けて夫にすがる妻に、自分の魂が胎内に宿って十月の後に勇力の男子となるであろうと告げると息絶えました。ここで八重桐の人形は後ろに下がって何やら作業開始、たぶんここで首を付け替えたのでしょう。そこへ平正盛の郎等たちが右大将高藤の求める沢瀉姫を引っ立てようとわらわらと駆け込んできましたが、ゆっくりと顔を上げた八重桐の表情は能面のようにうつろで、はっきりと雰囲気が変わっています。勘十郎師の「はっ!」という掛け声と共にぶっかえりで白地に紅葉しかけの広葉の模様の衣装に変わった八重桐と花四天との立ち回りは、四天の一人が本当に高々と宙を飛ばされる派手なもので、激しい三味線をバックに怪力となった八重桐が手水の石柱を持ち上げると客席からは「おぉ!」と声が上がりました。四天を退けたところで館のセットが上手方向にスライドし、そして鎗を手に再び近づいてきた四天たちと立ち回りを見せると、長い髪を鏡獅子のようにぶんぶんと振り回して一瞬、鬼の形相のガブ。最後も中央で恐ろしい顔を見せながらの見得で、幕となりました。

というわけでこの日の第1部は、常のものならぬ女たちの物語の二連発。人形によるケレンにポイントがあった感じでしたが、「芦屋道満大内鑑」が既に体験済みだったのとノイズのアクシデントがあったのとが相俟って、ちょっと満足度低し。やっぱり第2部にすればよかったかな……。

配役

芦屋道満大内鑑 葛の葉子別れの段 竹本三輪大夫
竹澤團吾
豊竹嶋大夫
竹澤團七(鶴澤清友代演)
蘭菊の乱れ 豊竹呂勢大夫
豊竹つばさ大夫
竹本相子大夫
豊竹睦大夫
豊竹希大夫
鶴澤清治
鶴澤清志郎
鶴澤清𠀋
豊澤龍爾
鶴澤清公
〈人形役割〉
安倍童子 吉田玉誉
女房葛の葉 吉田和生(吉田文雀代演)
木綿買実は荏柄段八 吉田玉佳
信田庄司 吉田玉輝
庄司の妻 桐竹勘壽
安倍保名 吉田玉女(吉田和生代演)
葛の葉姫 吉田蓑二郎
信楽雲蔵 吉田文哉
落合藤治 吉田玉勢
嫗山姥 廓噺の段 豊竹芳穂大夫
鶴澤清馗
竹本津駒大夫(竹本綱大夫代演)
鶴澤清二郎
鶴澤寛太郎
〈人形役割〉
沢瀉姫 吉田玉翔
局藤浪 吉田蓑一郎
腰元更科 桐竹紋秀
腰元歌元 吉田蓑紫郎
煙草屋源七実は坂田蔵人時行 吉田玉女
萩野屋八重桐 桐竹勘十郎(桐竹紋壽代演)
太田太郎 吉田勘市
組子 大ぜい

あらすじ

芦屋道満大内鑑

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嫗山姥

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