小谷元彦展 幽体の知覚

2011/02/11

建国記念の日の三連休は八ヶ岳へ行く予定でしたが、あいにくの大雪予報に山行は断念。とりわけ降雪が予想される金・土曜日はおとなしく都内で過ごすことにしました。そんなわけでこの日は、六本木ヒルズ内の森美術館へ。たまたま新聞の紹介記事を読んで気になっていた「小谷元彦展 幽体の知覚」がお目当てです。

小谷元彦は1972年生まれ、彫刻家としてのキャリアがベースですが、映像作品や写真などをも駆使した多彩な表現方法を駆使し、実態のない存在や形にできない現象=「幽体」(ファントム)を視覚化しようと試みています。そうした課題設定を象徴するような作品が、展示の冒頭に置かれた5枚の写真の連作である《Phantom-Limb》。少しずつ向きを変えて並ぶ少女の手の平は彼女自身によって潰されたラズベリーによって真っ赤に染まっていますが、その赤く濡れた手のひらは一見すると切断された腕の断面のようにも見えてきます。「ファントム・リム」とは腕や足が切断された後もその箇所に痛みや痒みを覚える現象(幻影肢)のこと。少女から大人へと成長することによって失われた無垢な魂の感覚、そうしたものがこの展覧会のテーマとして設定されているわけです。

続く部屋には、狼の剥製を繋ぎ合わせたドレス《Human Lesson (Dress 01)》や人間の髪の毛で編んだドレス《Double Edged of Thought (Dress 02)》による「着る」という行為を形にした作品、あるいは「矯正」をキーワードとしたいくつかの作品が並び、続いて回転する巨大なスケルトンに蝋による棘が無数に尖って付着した異様な作品《Dying Slave: Stella》。あるいは天井から垂れ下がる鍾乳石が無惨極まりない生と死の営みを示します。

孤立した部屋に置かれた螺旋状の木彫《Ruffle (Dress 04)》は、それだけを見ると美しいフォルムにしか目がいきませんが、壁にかけられた写真で裸身の女性が下半身をこの作品に拘束されて海に漂う姿を見ると、この作品の持つ拷問器具としての残酷さが突如として理解されて、かなりショックを受けます。そこから続く大きな空間に設けられた八角柱の作品《Inferno》は、鑑賞者がその中に入ると壁面に滝の水が轟々と落ち、頭上と足元も鏡面になっていて自分自身が滝のただ中に放り込まれたような恐ろしく不安な気分に叩き込まれます。この作品の中にわずかの時間滞在しただけで、乗り物酔いのような気分に陥ってしまいました。それくらい、人間の五感にダイレクトに響く作品だったということですが……うぅ、気持ち悪い。

薄暗い部屋に、現実にいそうでいて実はいない生物の骨格標本が並ぶ《New Born》シリーズは、純白の美しい表面と悪魔的(エイリアン的、とも言える)フォルムに惹き付けられてしまう不思議な魅力に満ちた作品群。ここでは純粋に造形作家としての小谷元彦の力量が発揮されます。

かたや映像作品《Rompers》は、一見すると純真な少女が森の中で穏やかなひとときを過ごしているように見えるものの、よく見ると少女の目はカラーコンタクトで妖しく黄色に光り、飛んできた虫を爬虫類のような長い舌で捕らえ、その彼女が腰掛けている大木の横枝に傷口のように開いた洞から滴り落ちるエロティックな樹液や異形の蛙、鳥についばまれる紐状の生き物なども尋常ではないこの世界の雰囲気を醸し出していて、忘れ難い印象を残す作品。幼児のリビドー、というキーワードが解説中に示されていましたが、タイトルの「ロンパース」はやんちゃ、あるいは幼児用衣類のこと。あっけらかんと明るいのに、後々までうなされそうな強い定着力があります。

続いて、モチーフも技法も異なる5つの作品が縦列をなしている暗い部屋も異様な緊張感に満ちています。一本の丸太から切り株の上に浮かぶ独楽のような物体を切り出した作品《SP extra: About the Human Face Stone》、疣と牙に覆われた黄色の鍾乳石ともトーテムポールともつかない《Shadow X》。さらに、全身を唐草模様に覆われ大きな百合の髪飾りをつけて俯く美少女像《SP4: The Specter - Arabesque woman with a heart》。このタイトルを何の気なしに見て先に行きかけて、ふと気づいてあわてて像のところに戻ってみれば、やはり彼女が右手に握っていたのは人間の心臓でした。その奥には、皮膚の下の筋肉と腱をあらわにした騎馬像《SP4: The Specter - What wanders around in every mind》。そして蛭が這い回る木の幹の上高く立つ少女が自らの親指で目を今まさに突こうとしている《I See All》も含め、伝統的な裸婦像や騎馬像といったモチーフ、あるいはこれまた伝統的な木彫りなどの技法を用いながら、そこにまとわれる表層を剥ぎ取って死んでいるのに生きている(またはその逆の)《Specter》たちのコロニーが出現していました。

展示の掉尾を飾るのは、文字通りこの展覧会の白眉と言える《Hollow》シリーズ。真っ白な部屋の中に立ち、あるいは空中に浮かぶ女性たちの像からは、彼女たちの精神エネルギーや彼女たちに作用する重力などが光芒を引くように無数の帯となってまとわりつき、美しくも凄絶な空間を作り上げています。下の写真に見られるユニコーンに乗った女性像《Hollow: What rushes through every mind》の崇高さにも惹かれましたが、最も印象深かったのは仰向けになった純白の女性と、彼女と無重量空間をはさみ向き合う位置で宙に浮かぶ女性を対にした作品《Hollow: Reversal Cradle》でした。二人の姿は身体中から噴き出す白い波動によってそれぞれミイラのように覆われ、互いを求め合っているのか、それとも互いの呪縛から逃れようとしているのか定かではありませんが、ワイヤーに吊るされて未来永劫そこに向き合い続けなければならない彼女たちの姿には一種の諦念が漂っていました。

駆け足で作品全体を概観してみましたが、この手の作品はやはり実物を至近距離で見なければダメ。刺激的でいて美しく、悪魔的でありながら無垢な魅力をたたえたこの展示会の作品群を見に六本木へ足を運ぶことを、強くお勧めします。