才宝 / 恋重荷

2010/10/15

国立能楽堂の定例公演で、狂言「才宝」と能「恋重荷」。

才宝

成人になった3人の孫が、祖父を訪ねて烏帽子を着せてもらう=諱をつけてもらうというだけの話ですが、とにかくおめでたい、見ていてほんわかと幸せになる狂言。

まず登場した3人の孫たちは、今日は吉日なので烏帽子を着せてもらおうと語らい合い、祖父の家を訪ねて常座から「物もう、案内もう」と呼びます。幕から出てきた祖父は老人の面を掛け、杖を突き、えいえいと「浦島」で聞いたのと同様の老いた声をあげながら橋掛リを歩き、孫たちの来訪と知ると「よう来たなあ」と喜びます。そのまま祖父は舞台の中央へ、そして孫たちは広がって祖父と向き合うのですが、祖父が座るときに孫のひとりは腰を後ろから支えるような手つき、またもう一人がそっと葛桶を差し出して、孫たちの祖父に対するいたわりの気持ちが伝わってきます。無沙汰を詫びる孫たち、その孫たちに祖父が袖から取り出して渡す土産は人形(?)、おもちゃの太鼓、ぴーと鳴る笛。祖父の心の中では孫たちはまだ童のままなのですが、成人の孫たちも笑ってこれらの品を受け取ると、烏帽子を着けてほしいと祖父に頼みます。烏帽子を甘干し(干柿)と一度は聞き違えた祖父でしたが、自分は果報者じゃと喜んで自らにあやかれるようにと「嬌あり」「冥加あり」「面白う」と珍妙ながらもめでたい名を孫たちに与え、孫たちも「よい名でござる」「気に入りましてございます」と御礼。ここからは盃事となり、祖父の求めに応じて孫たちが謡ったり舞ったり。酌謡の詞章は「御子孫も繁盛」とめでたく、続いて「一天四海波を打ち治め給へば」(土車)、おなじみ「一二三四五六七八九献」、連れ舞が「柳の下のお児ちご様は」、そして「ざざんざ」。孫たちの求めに応じて興が乗った祖父が舞うのは「浜千鳥」、もちろんこのときも孫のひとりは背後から手を差し伸べていて、祖父は腰が曲がったままでの小舞となります。たびたび酌み交わした酒も尽きたところで、祖父は孫たちの作る手車に乗って「名をば何と申すぞ」と謡い、これを受けて孫たちは「嬌ありも候」「冥加ありも候」「面白うも候」。囃子方の穏やかな演奏に乗って祖父と孫たちは嬉しげな問答を繰り返しつつ下がってゆき、最後に笛がシャギリでめでたく留めました。

30分ほどと少し長めの狂言ですが、一貫して祖父と孫たちの心温まるやりとりが楽しい狂言でした。ただ、翻って自分は祖父母孝行を尽くしていたかということも考えさせられて……父方も母方も祖父母は遠い愛媛県に住んでいたので、自分が成人した頃からは会う機会も作れませんでした。後悔。

恋重荷

古作「綾の太鼓」を世阿弥が改めた「綾鼓」を、世阿弥自身がさらに改訂した曲。どちらも女御に恋した庭作りの老人が憤死した後、悪鬼となって女御を責め苛むという筋立ては同じですが、前者が怨み抜いて終曲を迎えるのに対し、「恋重荷」では最後に怨霊が心を和らげるという点が異なります。現在は、観世流と金春流(昭和38年から)の二流のみの演目。

囃子方、地謡に続いて、後見が正先へ錦に包まれ紐を掛けられた箱を置きました。これが「重荷」です。続いて天冠を戴き小面を掛け、唐織壺折、緋大口姿も美しいツレ・女御(中村昌弘師)がしずしずと脇座へ。しかる後、名ノリ笛が入って烏帽子、茶の狩衣、白大口のワキ・臣下(福王茂十郎師)が常座へ。山科荘司が女御の姿を見て恋をしたこと、総じて恋と申す事は、高き賎しき隔てぬ事にて候へどもその恋心を止めるための方便として綾羅錦繍で包んだ重荷を持たせれば、軽く見えるその荷が上がらないのは恋がかなわない故だと心得て諦めるだろう、と説明します。なるほど、上がらないはずの重荷を持たせるのは、意地悪でも懲らしめでもないわけです。さて、ワキが一ノ松まで進んで呼ぶと、これに応じてシテ・山科荘司(高橋汎師)がゆっくり出てきました。シテの出立ちは、尉髪・茶の絓水衣、面は三光尉(作者は出目洞水)です。ワキの福王茂十郎師の堂々たる体躯とは対照的に、シテの高橋汎師はずいぶんと小柄。しかし、よく通る声でゆったりと謡う姿に味わいがあります。なぜ庭を清めないのか→このところ体調がすぐれなくて→お前は恋をするというのは真か、という問答があって驚いたシテはついそもこの恋の事をば誰が御耳には入れて候ぞと語るに落ちてしまいます。これに対してワキのいやいやはや色に出でてあるぞとよは、平兼盛の「忍ぶれど」の歌を連想させます。ワキはシテにこの荷を持ちて御庭を百度千度めぐるならば、その間に御姿を拝ませ給ふべきとの女御の意思を伝えてなんぼうありがたきご諚にてはなきかと水を向けます。シテはこれを聞いて、百度千度も持って巡れば姿を見せていただけるのか、と心はやる様子を隠せず、ワキのなんぼうありがたき御事にてはなきかという駄目押しにさらばその荷を見とう候と舞台へ進みます。このあたり、シテはとりたてて口調を高揚させているわけではないのですが、それでも謡の端々に思慮を失った老人のまっすぐな期待が聴き取れて、この後の悲劇を知っている見所としては痛々しく感じる場面。ワキは正先の荷を示してこれこそ恋の重荷よ、なんぼう美しき荷にてはなきか。このなんぼう……なきかがワキによって繰り返されるたびに、シテは逃れようのない運命に踏み出してゆくようで、女御の真意はともかく、ワキは本当はシテをなぶろうとしているのではないか?と疑いたくなりました。

この日初めて鼓が入り、地謡の次第重荷なりとも逢ふまでの、恋の持夫にならうよも低く入って、シテは後見座で物着となり、水衣の肩を上げました。シテ誰踏み初めて恋の道、地謡巷に人の迷ふらん。極めてゆったりとした囃子のうちに、舞台を一廻りするイロエ。正中に立って重荷をじっと見つめるシテの姿に覚悟のようなものを感じたと思ううちに、シテはそのまま下居して名も理や恋の重荷からじっと静止したまま地謡との掛け合い。よしとても、この身は軽し徒らに、恋の奴になり果てて、なき世なりと憂からじと自らの心の乱れを謡いながらシオリます。地謡が由なき恋を菅筵、伏して見れども寝らればこそ、苦しやひとり寝の、我が手枕の肩かへてと謡うとシテはいよいよ意を決して立ち上がり、大きく手を広げて重荷を持とうとしますが、地謡の持てどもの後に小さな間……重荷は持ち上がりません。持たれぬ、そも恋は何の重荷ぞを聞きながら、シテは顔を重荷からそむけて座り込んだまま絶望の態。やがて静かに立ち上がってその場を去ろうとしたシテが重荷を一度振り返ったとき、地謡は投げつけるような強い調子で思ひ知らせ申さん

間狂言は野村万作師ですが、その間語りの冒頭での「鼓の鳴らぬ事を嘆き」空しくなったというのは、類曲「綾鼓」のシチュエーション?たぶん誤りでしょう。ともあれ、ひとしきりシテの死を嘆いた後、ワキに報告。ワキはこれを聞いてツレに、このような者の執心は恐ろしいので荘司の姿を一目見るようにと具申します。そこでツレは床几を立ち、重荷に二三歩近づいて下居すると恋よ恋、我が中空になすな恋、恋には人の、死なぬものかは、無慚の者の、心やな。小面ですから若い(十代後半の)女性のはず、その年頃の声にしてはツレの謡いは重々し過ぎて、たぶん近くで見ていた外国人客はびっくりしたと思うのですが、ワキがこれは余りに忝きご諚にて候とお追従(?)を言っている間にシテが揚幕から小袖を被いて妖しく姿を現わしました。早くお立ち下さいと呼び掛けるワキですが、ツレはいや立たんとすれば盤石に押されて、更に立つべきやうもなし。シテの怨みの念がツレを押さえつけて、ツレは一歩も動くことができません。太鼓の入った出端となって、シテは吉野川岩切り通し行く水の、音には立てじ恋死にしで被いていた小袖を捨て、白頭に「悪尉」面、法被半切の姿をあらわにします。続いて立廻リ。不気味な囃子に乗って、足拍子を踏み、舞台を廻り、鹿背杖を肩に担ぐと膝を突き……この間、ツレは金縛りにあったままですが、そのような状態で目の前を凄まじい形相の幽霊がこんな風に感情の高ぶりを見せつけたら、うら若い女性である女御は怖くて泣き出してしまうでしょう。それでもシテは容赦することなく、常座から重荷を(またはツレを)睨みつけ巌の重荷、持たるるものか、あら恨めしやと怨みを述べると重荷といふも、思ひなり。そして地謡がさて懲り給へや、懲り給へと最高潮になるのに合わせて杖を構え、ツレに迫ります。これはシテがツレに対して重荷を押し付けているさまを示しているのでしょうが、その重荷とはシテが持たされた巌ではなく、シテのわりなき思いそのものなのでしょう。

シテに感情移入する立場からこの曲を眺めれば、シテが自分の恋のかなわぬことを無惨なかたちで思い知らされて死んだことに観客は哀れを覚え、ツレを怨み苛むことにも納得したかもしれません。賎しい老人が若い高貴な女性に恋をするのは、罪なのか?シテは、その恋を心に秘めたままでいたというのに。もっとも、その恋は「色に出」てしまっていたのですから、ワキとしても放置してはおけなかったのかもしれませんが。しかし一方、冒頭のワキの言葉を信じるなら、一方的に恋慕の情を向けられたツレは、重荷が上がらないことをもってシテにそれとなく悟らせ、恋を諦めさせようとしただけなのに、シテの想像外に強い思念がシテ自身に死を選ばせ、さらに鬼となって怨みを述べてくるなど、予想もしなかったのではないでしょうか。なにしろまだ十代後半の、人としては未熟な女性に過ぎないのに、これほど苛烈な思いを受け止めなければならないとは、ツレにどれほどの罪があるというのでしょうか。

世阿弥の頃の観客がシテとツレのどちらに心情を重ねたか、あるいは世阿弥がなぜ怨み抜いて終わる「綾鼓」の結末に改訂の手を入れたのかはわかりませんが、このときシテはふっと力を抜き、杖を後見に委ねると扇を持って心鎮まった様子。呪縛が解けたツレは脇座へ下がり、シテはツレから目を背けると橋掛リに進んで、一ノ松で振り返って左袖を巻き上げ、右手の扇も掲げる型。地謡の葉守りの神となりて、千代の陰を守らんに合わせ、幕に向いた姿で留拍子を踏みました。

柏の木に宿る神となって、あなたのことをいつまでも見守ろうとは、結局のところシテの執心は晴れることなくこの世にとどまり、ツレはその視線に怯えながらその後の生涯を過ごさなければならないということ。これこそ、ツレにとっての「恋重荷」なのかもしれません。この結末、シテにとってもツレにとっても、やはり救いがないのでした。

成田美名子さんの『花よりも花の如く 第4巻』に収載された「光る軌跡」は、主人公の憲人がNY公演で「恋重荷」のツレを悩みつつ演じるお話です。この中で、憲人が周囲の人々の会話の中からこの曲の心理面を掘り下げてゆくのが、一読の価値あり。

また、NYの観客が勧善懲悪のホラーストーリーと思わないようにと、三回公演の最終回でシテの左右十郎師が菊を持ち出し「山科荘司=いい人バージョン」にするというのも大胆です。古態演出であると漫画の欄外に記されていましたが、通常の小書としては存在しない演出法であるということなんでしょうか?

配役

狂言(和泉流)「才宝」 シテ・祖父 野村万之介
アド・孫 石田幸雄
小アド・孫 深田博治
小アド・孫 高野和憲
 
能(金春流)「恋重荷」 前シテ・山科荘司
後シテ・山科荘司の幽霊
高橋汎
ツレ・女御 中村昌弘
ワキ・臣下 福王茂十郎
アイ・従者 野村万作
主後見 横山紳一
地頭 金春安明
野口傅之輔
小鼓 曽和正博
大鼓 安福健雄
太鼓 三島元太郎

あらすじ

才宝

今日は吉日。青年を迎えた孫たち三人が、富裕で長寿の祖父に烏帽子を着せてもらうため訪れる。祖父は孫たちをまだ幼児扱いしながらも、それぞれに「嬌あり」「冥加あり」「面白う」と命名。にぎやかな祝いの酒宴の果て、孫たちは祖父を手車に乗せる。

恋重荷

白河院に仕える老人・山科荘司は、菊の下葉を取る庭仕事の折、美しい女御の姿を垣間見て恋に落ちる。女御は一計を案じ、重荷の表面を美しく布で包み、「これを抱えて幾度も庭を行き来すれば、再び姿を見せよう」と臣下を介し老人に伝えさせる。臣下に問われ、はじめは自らの秘恋をひた隠す荘司。が、予想外の申し出を聞き狂喜、重荷に臨み手を掛ける。しかし中身は盤石の岩石、とうてい持ち上がるものではなく、非力を嘆く荘司は悩乱の果て、女御になぶられたことに気づき、ついに憤死する。
予想外の展開に当惑した女御は、臣下の勧めもあり、せめてもの供養に老人の死骸を見届ける。と、五体がすくみ、その場から動けなくなる。死して悪鬼と変じた老人が出現、陰々滅々と怨みごとを連ねたのち、今や軽々と重荷を持ち上げ、女御の身体に押し付ける。骨身も砕ける苦痛にもだえる女御。やがて怨霊は心を和らげ、「葉守の神となって末永く女御の身を護ろう」と誓う。