通盛 / 二千石 / 道成寺

2010/05/22

宝生能楽堂で「煌ノ会」。この会は、観世流銕仙会の若手能楽師・谷本健吾師の主宰する会で、この日は祖父正鉦氏の十七回忌追善能として氏が「道成寺」を披きます。この日、宝生能楽堂に足を運んだのは、もちろんひとつには昨年4月に桑田貴志師のシテで観た「道成寺」に感銘を受けたこともあるのですが、もうひとつ、歌舞伎や文楽に明るいうっちゃまん女史を観能の道に引きずり込もうという下心があったのでした。そんなわけで、この日11時半にJR水道橋駅の改札口でうっちゃまん女史と合流。宝生能楽堂は、そこから徒歩5分ほどと便利な場所にあります。ここは初めて訪れましたが、こじんまりした見所からは舞台がとても近く、なかなかいい感じです。

まずは舞囃子「三笑」から。シテ・慧遠禅師にツレ・陸修静とツレ・陶淵明が見せる美しいユニゾンの相舞で、三人の作る三角形が流れるように形を変えながら舞台上を往来します。地謡の鵜沢光、笛の八反田智子の二人の女性が加わっているのも、私には新鮮でした。

続いて仕舞「老松」ですが、地謡4人の前にちょこんと座ったのは、まだ二歳十一ヶ月の谷本悠太朗くん。しかしよく通る声でしっかり謡い、彼にとっては無限に広い舞台上をちょこちょこと走り回って2分程の仕舞を見事に仕おおせ、見所の万雷の拍手を浴びていました。会場のおば樣方は、悠太朗くんの一挙手一投足に「まぁ〜」とか「あら〜」とかの笑みを含んだ声をあげて喜んでいましたが、ぜひ子方として、そしていずれは一人前の能楽師として、立派に育ってほしいものです。

通盛

平家物語の巻第九「小宰相身投」をもとにした古作を、世阿弥が改作した曲。この曲は以前、粟谷能夫師のシテで観たことがありますが、今回はシテに観世銕之丞、ツレに鵜沢久の両師を配し、さらにワキは美声の森常好師。ワキの名ノリ、上歌、サシときて前シテ・漁翁とツレが作リ物の篝舟に入ると、何を頼みに老いの身を長らえていけばよいのかと一声。小柄なツレと大柄なシテが縦に並んで舟の中に立ち尽くす様はいかにも夫婦らしい風情ですが、シテの声が風邪っぽくがらがらに聞こえ、またツレとのユニゾンで詞章を変えたために言葉がきれいに重ならない場面もありました。ともあれ、ワキとの問答があって夫婦は静かにワキの経に聞き入ると、今度はワキの求めに応じてツレが小宰相局の入水をしみじみと語ります。須磨を逐われ鳴門に落ち延びた舟の上で夫・通盛の討死を知り、誰を頼みてながらふべきと悲しい決意を乳母に語る小宰相局。やがて詞章は地謡に引き継がれ、ツレは小宰相局その人となって立ち上がると、その袖に取り付くシテもここでは乳母となり、シテを振り切ってツレが入水、続いてシテも後を追い底の水屑となりにけりで揃って中入。

後場でのツレは白一色の美しい装束、シテは武者姿で、経に引かれてあらありがたの御法やなとワキの前に立ち返ります。ワキの求めに応じてそれぞれに名のり、須磨の合戦の前夜に夫婦で別れを惜しむ姿を見せますが、ここもまたワキとシテの情愛がしんみりと伝わる場面。しかし無情にも能登守教経が戦線復帰を促す声に引き裂かれて(というのは平家物語の中にも書かれていること)立ち上がったシテは、いつの間にか乱戦の修羅の中。経正、忠度の戦死の報に自分も討死にしようと敵を探すところ、近江の木村源五重章が鞭を揚げて駈け来る姿を目にとめます。刀を抜いて打ち合い、ついに刺し違えることとなりますが、こうしたダイナミックな場面はまさに銕之丞師の独壇場、尋常ならざる迫力。しかし最後には、読誦の声に感謝しつつ、修羅の興奮も鎮まった姿で留めました。

15分間の休憩の後、仕舞三番。「玉之段」は「海士」の一部、面向不背の玉を命がけで龍神から取り返す悲愴な場面で、野田秀樹の「ザ・ダイバー」のクライマックスにも用いられたエピソードですが、浅見真州師の舞は寸分の隙もなくぴんと張りつめたものでした。さらに優美な「松風」、スピード感ある「善界」の、それぞれ終曲の部分。

二千石

山本東次郎・則俊のお二人の組み合わせは2月に観たユーモラスな「千鳥」と同じですが、この「二千石じせんせき」での主人は大名(「二千石」は漢の地方官の官職で、日本では大名の別称)なので、終始物々しい口ぶりと顔つきです。ひそかに都見物をしてきた太郎冠者を叱責したのち、都にはやる謡を床几にかかって聴く主人は、だんだん不機嫌になって横を向いてしまいます。空気が読めない太郎冠者は主人が喜んでいるのだと思って正面に回ると、またまたそっぽ。再び主人の前に回った太郎冠者に主人がしさりおれ!と雷を落として、その謡二千石の松にこそ、千年を祝ふ後までも、その名は朽ちざりけれは前九年の役のとき討手の大将八幡様(というと源義家のことなので、前九年と後三年がごっちゃになっているような気が……)の御前で先祖が歌って名を挙げ宇陀の荘を拝領して以来、大明神として石の箱に封じ込めてある大事な謡だ、と滔々と仕方で語ります。ついに主人が刀を構えて太郎冠者を手討ちにしようとすると、その姿を見た太郎冠者はイヒイヒと泣き出しました。先代から家に仕える太郎冠者は、刀を構えた主人の姿が、かつて尺八をもって太郎冠者を打擲した先代にそっくりだと泣き出したのですが、これを聞いて今度は主人が同じくイヒイヒ。先代のことを思い出して泣き出した主人は、太郎冠者に本当に似ているか?と問うと刀を収めます。これを見て太郎冠者は、すぐに機嫌がよくなるところが先代そっくり。喜んだ主人が太刀を太郎冠者に与えると、物をとらせる手元が先代そっくり。小刀まで与えた主人は、いろいろなポーズをとってみせて先代に似ていると太郎冠者に言わせては泣いていましたが、ついと表情を改めると、子が親を継ぐのはめでたいこと、笑えと語って二人で高笑いをし、下がっていきました。

おかしみの要素は少なく、語りを聞かせ、家の芸の継承を寿ぐめでたさが眼目の曲。仕方語りの大曲としてはほかに「文蔵」もありますが、「二千石」の方はその内容から追善公演によく上演される狂言なのだそうです。なるほど。

さらに二度目の仕舞は、三卑賎のひとつ、助け給へと悲痛な叫び声を残してシテが地獄の底へ消えてゆく「阿漕」、弱法師(俊徳丸)が法悦に狂う様を梅若玄祥師がダイナミックに演じる「弱法師」、そして足拍子・跳躍など強い動きが見所を圧する「春日龍神」のクライマックスの三番。

道成寺

いよいよ「道成寺」。舞台の上に囃子方、地謡が揃ったところで、鐘が舞台中央に運び込まれ、先ほど「二千石」を演じた二人が舞台上方の滑車に吊るしましたが、一発で成功。幸先いいかも。そして鐘を引き上げる鐘後見の中央には、谷本健吾師の師である銕之丞師がいました。

アイ・能力による女人禁制の触れ、その後全くの無音の中、アイは静々と舞台を回って地謡前へ。この間、見所は水を打ったように静まりかえり、シテの登場を固唾をのんで待つようです。そして鋭いヒシギ、亀井広忠師ならではの空気を切り裂くような大鼓の音、しかしながら全体的にはゆったりした囃子が妖気を漂わせるうちに、前シテ・白拍子(谷本健吾師)が橋掛リを歩み、習ノ次第作りし罪も消えぬべし、鐘の供養に参らん。そして、能力との問答で鐘供養を拝むことを許されあら嬉しやと万感をこめると、物着。やがて前折烏帽子をつけたシテは一ノ松へ出て、高欄に寄って鐘を見上げた次の瞬間、大鼓が圧倒的なパワーの打音と掛け声を響き渡らせる中、シテは脇正に走り入って嬉しやさらば舞はんとて。二度目の次第花の外には松ばかり、暮れ初めて鐘や響くらんの地取が徐々にスピードアップして、一転、静寂の中に小鼓とシテが対峙する乱拍子に入ります。昨年観た「道成寺」での小鼓は顔を真っ赤にしての長く引く掛け声に迫力を感じましたが、今日のそれはむしろ冷静(流派の違いによるもの)。シテがすたん!と瞬間に踏む拍子との間合いが絶妙です。シテの動きも優美なものでしたが、これまた以前観た乱拍子の中で時折さしはさまれた、身体を一瞬のうちに傾けて斜めに鐘を見上げるポーズの不気味さはなく、すらりとした雰囲気。それでもついに激しい急ノ舞に入り、扇で烏帽子を打ち落としたシテは鐘の下に入ると、立ち位置を直して飛び上がり、同時に鐘が落下しました。初めて観たときの吸い込まれる感じや、落下した鐘が発した轟音の驚きは今回はあまり感じられませんでしたが、それでも乱拍子の緊張感から急ノ舞、鐘入りまでのダイナミックな振幅が一段落したことに、隣の席のうっちゃまん女史も「ふぅ〜」と溜め息。

能力二人が住僧への報告を押し付け合う滑稽なやりとりを、ワキの宝生欣哉師が「こいつら、しょうがねぇなぁ」という顔で見ているのにおかしくなるうちに、なんとかその場をしのいだ能力は助かりや助かりやと退場。ワキが女人禁制の由来を朗々と語り、ワキツレ共々、再び鐘を鐘楼に上げるために数珠を揉んで祈り始めると、一度わずかに引き揚げられた鐘は内側から回され、さらに鐘の中から鈸が激しく打ち鳴らされます。ついに鐘後見の手によって鐘が高く引き揚げられると、そこには蛇體へと変じたシテが安座していました。唐織を身体に巻き付けたシテは立ち上がり、打杖を振るって歩み出すと、僧たちと対決。やがて唐織を引きずって橋掛リに出るところで立ち止まり、後見が唐織の端を押さえるとそのまま唐織を捨てて進む鱗落としや、いったん幕前まで追い詰められたシテが一ノ松まで戻って鐘を見上げた後、シテ柱に背を預けて苦しげに回る柱巻キといった諸々の所作を巧みに見せて、最後は揚幕の内へ飛び込んで行きました。

この日の観能は正午に始まって終演は17時過ぎと長丁場でしたが、一瞬たりとも気の緩むことのない、観る側にとっても充実した時間を過ごすことができて幸せ。横で観ていたうっちゃまん女史の方は、どうだったかな?柱巻キがセクシーだと言っていましたが、なにせあれは蛇ですからねぇ。

ところで、この日感じたことのひとつは、能楽師がその技と心を受け継がせる父、あるいは師の「目」でした。「老松」での悠太朗くんをじっと見守る谷本健吾師の目、その健吾氏の「道成寺」を厳しい目で見つめ続ける銕之丞師の目、大鼓を打つ亀井広忠氏を背後から支える忠雄氏の目。こうした様々な「目」によって、能楽が世代から世代へと受け継がれていくのだということを実感し、大いに感動した次第です。でも、「道成寺」の途中から、地謡の前列右端(脇正面から見て左端)にいた観世淳夫くん(銕之丞師の長男で高校三年生)が明らかに苦しげな表情を浮かべ始めたのにはびっくり。なんだなんだ?と思っていたら、身体を前傾させたのでぴんときました。そして、終曲後に地謡陣が引き揚げるときの淳夫くんの歩き方で確信。能楽師でも、正座で足が痺れることがあるんですね。

配役

舞囃子「三笑」 シテ・慧遠禅師 谷村一太郎
ツレ・陶淵明 高橋弘
ツレ・陸修静 寺井栄
八反田智子
小鼓 亀井俊一
大鼓 亀井忠雄
太鼓 観世元伯
 
仕舞「老松」 シテ 谷本悠太朗
 
能「通盛」 前シテ・漁翁
後シテ・平通盛
観世銕之丞
ツレ・小宰相局 鵜澤久
ワキ・旅僧 森常好
ワキツレ・従僧 舘田善博
アイ・浦人 山本則孝
主後見 野村四郎
地頭 梅若玄祥
八反田智子
小鼓 大倉源次郎
大鼓 國川純
太鼓 観世元伯
 
仕舞 玉之段 浅見真州
松風 山本順之
善界 浅井文義
 
狂言「二千石」 シテ・主人 山本東次郎
アド・太郎冠者 山本則俊
 
仕舞 阿漕 野村四郎
弱法師 梅若玄祥
春日龍神 片山清司
 
能「道成寺」 前シテ・白拍子
後シテ・蛇體
谷本健吾
ワキ・道成寺住僧 宝生欣哉
ワキツレ・従僧 則久英志
ワキツレ・従僧 梅村昌功
アイ・能力 山本則重
アイ・能力 山本則秀
主後見 浅見真州
鐘後見 観世銕之丞
地頭 浅井文義
松田弘之
小鼓 観世新九郎
大鼓 亀井広忠
太鼓 助川治

あらすじ

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二千石

ひそかに都見物をしてきた太郎冠者を怒った主人が叱ると、太郎冠者は都の様子を聞かせるというので主人は許すことにする。何か珍しいものは流行っていないかと問う主人に太郎冠者が習ってきた謡を謡ってみると、これがこの家の家宝ともいうべき「二千石」の祝言の謡。激昂した主人は謡の謂れを語り、太郎冠者を成敗しようとする。ところが太郎冠者は、主人が太刀を振り上げた手元と、先代に叱られた時の手元が似ていたので思わず泣いてしまう。これを聞いた主人も先代懐かしさに大泣きするが、最後は子供が親に似てその跡を継ぐほどめでたいことはないと言って、太郎冠者と共に大いに笑って帰る。

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