奈良の社寺巡り(山の辺の道)

2010/04/25

恒例と化しつつある文楽大阪詣での翌日、「妹背山婦女庭訓」にちなんで奈良県に向かいました。杉酒屋の娘・お三輪は三輪の里に住んでいるという設定なので三輪山及びこれを御神体とする大神神社ははずせません。とは言っても、この日のうちに東京に戻らなければならないので、限られた時間の中でどこを歩くかと思案した結果、山の辺の道を纏向から南へ海石榴市まで歩くことにしました。

まずは難波から近鉄に乗って桜井まで。そこでJR桜井線に乗り換えて2駅の巻向で降りました。ここから東へ緩やかな傾斜を登るように進みます。ちょっと道に迷いかけて、その代わりに予定になかった珠城山古墳を訪ねたりしましたが、急ぐ旅でもないのであせりはありません。

穏やかな坂道を、かつて初期ヤマト政権の集落があったであろう纏向の地を振り返りながら登って、やがて今回の旅の起点となる穴師坐兵主神社に着きました。ここから山の辺の道に沿って、桧原神社、狭井神社、大神神社、平等寺と歩きつないで、海石榴市まで。途中、狭井神社からは三輪山の山頂まで足を延ばしました。この山の辺の道、概ね歩き易い道が緩やかに蛇行しながら続いており、時折西への展望が開けると、そこには奈良盆地南部の広がりと、反対側の二上山から葛城・金剛の山並みが見てとれて、とても気に入ってしまいました。本来は海石榴市を起点に逆に北上して春日山まで辿る道であり、いつかは全行程をのんびりと歩いてみたいものです。

穴師坐兵主神社

穴師坐兵主神社の手前に位置する摂社カタヤケシ。鳥居をくぐると土俵のように丸い広場があり、ここが垂仁天皇の7年7月7日、天覧のもとに野見宿彌と当麻蹶速とが生死を賭けた相撲をとった場所とされています。

さらに進むとよさげな風情の境内への入口があり、静かな佇まいが好ましい本殿に行き着きました。

桧原神社

玉垣の中に鳥居が並ぶ不思議な神社。三輪山の磐座を御神体としているために本殿がないのだそう。振り返ると、鳥居の向こうには大津皇子の墓がある二上山が見えています。

山の辺の道は車道と重なったり、こうして樹林の中の道になったりしながら続きます。途中にあったのは、能「三輪」に関わりのある玄賓庵(といっても「三輪」を観たのは後日のこと)。

八大竜王弁財天

なんとなくよさげな風情に、ふらふらと坂道を登ってみました。するとそこには、池に囲まれた八大竜王弁財天。なんということもないところですが、木蔭で休憩をとるには格好の場所。

なぜか池には、亀がうようよ。

狭井神社

いよいよ狭井神社に到着。大神神社の摂社で、ここが三輪山への登山口になります。境内は案外狭いところですが、ひっきりなしに人が訪れていました。

こちらが本殿。卵が供えられているのが不思議。ここで自分でお祓いをしてから、登拝口に進みます。そこから先は飲食はもとより、写真撮影も禁止です。

ありがたげな御神水。PET2本を購入しましたが、御利益はあるでしょうか?

神社の近くにある大美和の杜展望台にも足を運んでみました。展望台の上からは、遠くに二上山から葛城、金剛の山並み。そして手前には明日香三山(右から耳成・畝傍・天香久山)。

大神神社

こちらが立派な拝殿〈重文〉を擁する大神おおみわ神社。大物主大神を主祭神とし、神話時代からの存在が認められる日本最古の神社とされています。ありがたや。なお、三輪山そのものを御神体としているので、本殿はありません。

巳の神杉。酒屋の杉玉はこの神社が発祥の地。そして、ここでも卵のお供えが……。

これは親切!でも最後に柄杓を立てて柄を洗うんじゃなかったっけ?もちろんイラストばかりではなく、きれいな巫女さんも忙しく立ち働いていました。

平等寺

平等寺。かつては大神神社の別当寺だったそう。猫が三匹、幸福そうにひなたぼっこをしている平和な境内でした。

海石榴市

いよいよ、この日の旅の終点、海石榴市。道標に従って狭い道を奥に進むと、フツーの民家の間にこんな場所が……。

これが海石榴市観音堂?なんだか拍子抜け。この海石榴市、古代から市が立ち、歌垣が行われ、大和川沿いの河港では大陸からの賓客を迎えたことでも知られていますが、今はこうして往時を偲ぶよすがもありません。こんな具合に諸行無常を感じつつ、この日の山の辺の旅を終えて、桜井駅から大阪に戻りました。