森村泰昌★なにものかへのレクイエム―戦場の頂上の芸術

2010/03/25

恵比寿の厚生中央病院で胃カメラを呑んでつらい目にあった後、お昼までまだ間があったので、転んでもただでは起きまじと近くの東京都写真美術館に足を運びました。今回この記事を書くために記録を見直したら、この美術館を訪ねるのは実に4年振り。そんなにご無沙汰だったのか。

この日の展示は、「森村泰昌★なにものかへのレクイエム―戦場の頂上の芸術」。著名人に扮装したセルフポートレイト写真で有名な森村泰昌のことは前から気になっていて、先日最初の診察のために恵比寿駅からガーデンプレイス方面へ向かう動く歩道に乗っているときにこの展示があることを知り、それではと見ることにしていたものです。

展示は、以下の四章に分かれています。

  1. 烈火の季節
  2. 荒ぶる神々の黄昏
  3. 創造の劇場
  4. 1945・戦場の頂上の旗

これらを統一するテーマとして「なにものかへのレクイエム」というタイトルが設定されています。その目的は、男たちが建設し、戦い、破壊してきた20世紀の歴史と意味を検証することであり、各種の先駆的報道写真に題材を借りたセルフポートレイトによって時代のひとこまひとこまを再現しようとするものです。上記四章のうち第一章は2006年、第二章は2007年に発表されており、第三章と第四章とが今回新たに付け加わった、いわば「完全版」ということになります。

まず「第一章 烈火の季節」で出迎えてくれるのは、細江英公が三島由紀夫を被写体にした『薔薇刑』を知っていればにやりとさせられる作品群。また、浅沼稲次郎が右翼青年に刺殺される場面やオズワルドがジャック・ルビーに射殺される場面、さらにはピュリッツァー賞受賞作として有名な「サイゴンでの処刑」も原典(?)に忠実に再現されていますが、そこに登場する人物の全ては森村自身。また、「サイゴンの処刑」の背景は日本のデパート前の通りに置き換えられていて、ここで行われている凶行が現代の我々と無縁なものではないというメッセージが見てとれます。

第一章を見ながら、何やら叫び声のようなものがずっと聞こえているのが不思議だったのですが、その正体は「第二章 荒ぶる神々の黄昏」で明らかになりました。ここで森村は、ロシア革命とファシズムを体現するレーニン、トロツキー、毛沢東、ヒトラー、さらにはチェ・ゲバラとアインシュタインにも扮します。どの写真をとっても、対象の特徴を巧みにつかんでなりきっており、そのあまりの見事さには本当に驚かされます。そして先ほどからの声の正体は、日本の日雇労働者たちを前にして人間は悲しいくらいにむなしい!と叫ぶ革命家レーニンの演説でした。すなわち、ここでは写真のみならず映像も用いて森村のパフォーマンスが再現されているのであり、続く暗室での二人のヒトラーが善良と邪悪とをループ状に往還する《独裁者を笑え》でも、森村のパフォーマーとしての力量が遺憾なく発揮されます。

ここまでが二階での展示。続いて三階に移動しようとしたところ、その間の吹き抜けでは三島に扮した森村によるバルコニーでの演説の映像が延々と流されていました。静聴せよ!に始まる長い長い演説は虚無的な万歳三唱で締めくくられ、ここでカメラが向きを変えるとそこには、あくまで平和な公園の風景……。

「第三章 創造の劇場」では、森村は芸術家たちに扮します。形態模写の域に達しているピカソ、フジタ(背後の焦点をぼかした裸婦たちも森村)、手塚治虫、エイゼンシュテイン、ポロック、ウォーホル。裸婦とチェスをさすデュシャン(裸婦も森村)、パーマ屋の二階から空中浮遊するイヴ・クライン。ダリの髭がうごめき、ヨーゼフ・ボイスは宮沢賢治のドイツ語訳を一面に板書した黒板の前に座ります。それぞれ本物が放つオーラが完璧に再現されていながら、画面の中のさりげない小道具に森村自身の解釈が加えられていて、そうした仕掛けにはあたかも知的なパズルを解くような楽しみがあります。

「第四章 1945・戦場の頂上の旗」では、タイトル通り第二次世界大戦の終結にまつわるイメージが展開します。森村の実家である茶問屋「寺田園」でのマッカーサーと昭和天皇、戦勝に湧くパレードでの水兵と女性とのキスシーン(ポスターにも使われているもの。主要な登場人物は全部森村)、終戦直後のドイツで告発される密告者、糸車の向こうに座るガンジー(足元の本にさりげなく元ネタ写真あり)。最後の部屋では《海の幸・戦場の頂上の旗》と題する20数分の映像作品が上映されていました。まず彼の分身とも言うべきマリリン・モンローに扮した森村は舞台上で赤いベーゼンドルファーを弾き始めますが、やがて彼(彼女?)はドレッシングルームに戻って化粧を落とすと、日本兵の姿に変わります。海辺に出て自転車を引く兵士は、マリリン・モンローに出会い、彼女が落としていった衣装をもとに白い旗を手に入れます。ついでアメリカ兵たちと出会って一触即発の危機を迎えますが、白旗と自転車の荷台にあった楽器や画架とキャンバス、つまりは芸術にまつわる品々によって和解。一行は長い竿にそれらの品々をぶら下げて青木繁の《海の幸》を彷彿とさせる構図で浜辺を行進し、やがて夕日に染まる丘の上に白布を旗としてくくりつけたその竿を押し立てると、その姿は《硫黄島の星条旗掲揚》に重なっていきます。そして、森村のナレーション。

We will fly a flag on the summit of the battlefield
But the flag is not a flag of pride, a flag of triumph

It is a just sheet of filmsy drawing paper
It is just an ordinary camvas
That is my flag, a white flag

Looking up, I feel the wind of the universe
Looking down, I see many people fighting

Standing on the summit of the earth,
where you face the wind of the universe and the shadow of the battle
What flag would you fly?
What shape would it be?
What color would it be?
What pattern would you paint on the flag?

森村が掲げたのは純白の芸術の旗でしたが、あなたはどのような旗を掲げることになるのか?という問い掛けを残して、展示は終わりました。こうして見渡せば、森村のこれらの作品がパロディとしてではなく、「20世紀の男たち」への鎮魂歌として、十分な敬意と深い考察のもとに制作されていることがわかります。一人でも多くの方に見ていただきたい展覧会でした。