鉢木 / 舟ふな / 土蜘蛛

2010/01/24

観世能楽堂で「檀の会」。番組は、四番目物「鉢木」、狂言「舟ふな」、切能「土蜘蛛」です。観世流能楽師・松木千俊師が「鉢木」、その御子息でまだ成人前の崇俊さんが「土蜘蛛」という予定だったのですが、見所への入口には松木崇俊怪我の為代役のお知らせ、そして配られた番組にはさまっていたのは松木千俊師の「お詫び」。後で知ったのですが、崇俊さんは直前にスポーツで骨折してしまったようです。このため、千俊師が一日二番を勤めることになったのでした。いや、これは大変だ。

見所に入ってふと気づくと、舞台上方の梁には注連縄。これは前回この能楽堂に来たときには気づかなかったのですが、一月だからなのかな?

鉢木

秘蔵の鉢の木を焚いて旅僧をもてなすこの話は、あまりにも有名。世阿弥作とも観阿弥作とも。冬のこの時期にいかにもふさわしい曲です。

まず静かに登場したツレ・常世ノ妻(武田文志師)が地謡の前に着いたところで居住まいを正した囃子方による次第、ややあって旅僧姿のワキ(宝生閑師)が歩み入ります。常座に立ったワキは囃子方の方を向いて(つまり正面から見ると斜めに背中を見せて)行方定めぬ道なれば来し方も何処ならまし。ついで正面に向き直り笠をとると、そこには宝生閑師!何とも劇的なワキの現れ方です。名ノリの後に再び笠に顔を隠すと、信濃から浅間、碓井を経て佐野までの道行を朗々と謡い、あらためて笠をとるとあら笑止や、また雪の降り来りて候。そこで一夜の宿を借りたいワキとツレとの問答となり、主の帰りを待とうということになってワキは後見座に後ろを向いて下居。

そしてシテ・佐野源左衛門常世(松木千俊師)が直面で橋掛リに現れ、静かに一ノ松まで進むと、そこで見所を見やってああ降つたる雪かな。この最初の一言に万感をこめて、しんしんと降りしきる雪の深さを表現する大事なポイントです。世にある人は面白く眺めるであろうが自分は袂も朽ちて今日の寒さを如何にせんと落魄を嘆きますが、そこでツレが自分を待って外に出ていることに気づきこの大雪に何とてこれに佇みて御入り候ぞ。そこでツレがかくかくしかじかと事情を述べている間にワキは後見座から立って振り返ると常座へ進み、じわりと大小前に進んだシテの背後に回る形になって、さてその修行者は何処にわたり候ぞとのシテのツレへの問いを受けて我等が事にて候と絶妙の間でやりとりに加わります。このへんの詞章の受け渡しは劇的で実に巧みです。

一夜の宿を貸して欲しいと頼むワキに対し、シテはあまりに見苦しい家なのでかたくなに断り、ここから十八町先の山本の里で泊まりを探すよう促します。これを聞いてワキはあら曲もなや。由なき人を待ち申して候ものかなと、見所で見ているこちらもどきっとするほど強い口調で捨て台詞を述べて下がっていきます。しかも、ワキはあの宝生閑師……。そのせいかどうか、ツレが夫に後の世の便ともなるであろうから泊めてあげたら?と訴えると、シテも本当は泊めてあげたかったと見えて「そうならそうと早く言いなさい」みたいなことを言いながらもほっとしていやこの大雪に遠くは御出で候まじ。某追っつき留め申し候べしとワキの後を追います。しかし二ノ松あたりに道を失って佇んでいる僧の姿は遠く、正先から呼び止めるシテの言葉は雪に消されて聞こえません。ここで朗々と地謡の下歌が入り、シテは橋掛リに進んでワキに近づき呼び止める様子。ワキもこれを受け止めて二人の間に心が通い合うようですが、その様子を地謡に語らせシテとワキとはマイムで示すことで、深い雪の中でのやりとりを遠く望見しているような効果が生まれていました。

シテの家に招じ入れられたワキは脇座に着き、シテ・ツレと向かい合います。とは言うものの差し上げるべき食事もないがどうしよう、とシテがツレに問うと、ツレは折節これに粟の飯の候程に。それならそのことを申し上げてみようとシテはワキに粟の飯のことを述べると、ワキはそれこそ日本一の事にて候。賜はり候へと答え、これを聞いてシテは喜び、ツレに召し上がって下さるそうだ、急いで差し上げなさいと語ります。こうしたやりとりの中に、この夫婦の年輪のようなものが感じられますね。

そして夜も深まり、寒さがつのってきたところで火にくべる薪もないことから、シテは思案の後、鉢の木を持っていることを思い出しこれを火にくべようと言います。ワキが聞けば秘蔵の梅桜松(この組み合わせ、まさしく「菅原伝授手習鑑」です)、とそこへ切戸口から入ってきた後見が目付柱近くに置いたのは、綿雪をかぶった鉢の木の作リ物。いやいやこれは思ひもよらぬ事にて候と固辞するワキにシテとツレとは遠慮には及ばないと言葉を重ね、そこでシテが作リ物をふわりと扇で煽いで雪を払う形。そこから地謡に詞章を委ねてシテは鉢に近づき、まず梅の細枝を引き抜きます。ついで鉢をしみじみ眺め、意を決して桜の枝(といっても梅や桜の花がついているわけではありません)を引き出すのですが、やはりシテには零落前の暮らしを偲ぶよすがの鉢の木とあって、地謡は家櫻切りくべて緋櫻になすぞ悲しきと謡います。最後に松を加えてワキの前で火を焚くと、ワキも御志によりて寒さを忘れて候

さて、人心地ついたワキの求めに対し、ためらいながらもシテは佐野源左衛門常世と名乗り、一族に横領されて落ちぶれてはいても鎌倉に御大事あらば、ちぎれたりともこの具足取って投げかけ、錆びたりとも長刀を持ち、痩せたりともあの馬に乗り、一番に馳せ参じるつもりだと徐々に高揚した様子で、さらに地謡の上歌に乗って扇を振るい覚悟の程を示します。このあたり、鉢の木の焚き火がワキの言葉を触媒としてシテの武士としての誇りにも火を着けたかのよう。これを聞いたワキは歌うようによしや身の、かくては果てじただ頼めとシテに告げ、名残惜しげなシテやツレに御沙汰捨てさせ給ふなと思わせぶりな言葉を残して去っていきますが、この別れに際してワキが右腕をシテの方に伸ばすと、シテは何かを感じた様子で頭を垂れるのがなんとも印象的な構図です。

そしてワキが橋掛リを下がってゆくと、シテとツレも中入。このとき大鼓と小鼓が交互に、かつ徐々に間隔を短くして打たれる早鼓となり、入れ替わるようにアイ・早打がそそくさと現れて、最明寺殿が廻国を終えて鎌倉に戻ったことを告げるとともに、関東の武士団に招集がかかった旨を触れて忙しく下がっていきました。

一声、早笛。後ワキ・北条時頼は銀色の角帽子に紫色の水衣、白大口。錦の袈裟を掛け、武者姿のワキツレ・二階堂某と狂言裃のアイ・従者を引き連れて脇座に着くと、ややあってシテが茶・黄色系の厚板・大口に白鉢巻姿で長刀を持って現れ、一ノ松から見所を打ち眺めて鎌倉へ向かう軍勢のきらびやかさに目を見張る様子。かたやシテは、自分のみすぼらしい姿を人はさぞ笑ふらんさりながら、所存は誰にも劣るまじと意気は軒高ですが、なにしろ乗っているのはよれによれたる痩馬なれば鞭を振るって励ましても後からよろよろと追いかけるしかありません。シテがようよう常座に辿り着いて長刀に寄りかかる形になったところで、ワキはワキツレに諸軍勢の中に、いかにもちぎれたる具足を著、錆びたる長刀を持ち、痩せたる馬を自身ひかへたる武者一騎あるべし、すぐに呼び出すようにと命じ、これを受けてワキツレはアイにそんな武者を探してこいと命じます。不思議に思いながらもアイは軍勢の中を回り、ここは甲斐、あちらは駿河、上野……おっ、これであろうとシテを見つけます。シテは自分が御前に呼ばれるはずがない、人違いでは?と訝しみますが、アイは諸軍勢の中でそんなに痩せた馬に乗り見苦しい武者はいないから間違いない、と超失礼。しかしシテはこの言葉に納得して最明寺殿の前に進みます。綺羅星のごとく諸将が居並び、シテを指差して笑いあう(というのは地謡による形容ですが)その中で正中に畏まると、ワキは嬉しげに朗々とした美声でやあいかにあれなるは佐野の源左衛門の尉常世か。これこそいつぞやの大雪に宿借りし修行者よ。見忘れてあるかとシテに語りかけます。えっ?という表情で顔を上げたシテは、はっと驚いて常座に下がり手を付きますが、ワキは今度の勢づかひ全く餘の儀にあらず。常世が言葉の末眞か偽りか知らん為なりと明かします。まあ他の武将にはいい迷惑のようですが、実はこれは、前場で旅僧姿のワキが土地を横領されたのならどうして鎌倉に上って訴訟しないのだと尋ねたところシテが、最明寺殿が廻国修行に出ているのでそれもかなわないのだと述べたことに呼応していて、ワキは自分の廻国修行によって政治が滞ってしまったことを反省していたのでしょう、當参の人々も、訴訟あらば申すべし。理非に依つてその沙汰致すべき処なりと告げるとともに、沙汰の始めにシテの本領を返還させ、加えて秘蔵の鉢の木を伐ってもてなしたことに対し加賀の梅田、越中の櫻井、上野の松井田の三箇庄を返報とする旨の安堵状を与えます。喜び勇んだシテは、賜った安堵状をこれ見給へや人々よと正先から見所(すなわち他の武者たち)に披露します。

最後は、自領へと引き揚げてゆく国々の諸軍勢の中にあってシテは喜びの様子をどんどんと足拍子で示し、長刀をもって舞台を回った後、橋掛リを三ノ松まで進んだところで長刀を肩に掛けて舞台の方を振り返ると、地謡の本領に安堵して、帰るぞ嬉しかりけるで留となりました。

前場の寒々しい雪の景色とそこはかとない夫婦の情愛、鉢の木を伐るシテの覚悟と焚き火をはさんでのワキとの問答、そしていざ鎌倉の高揚からアイ語りをはさんで後場での大きな転換へと舞台が回る、実に演劇的な(というのも何だかおかしな形容だけれど)曲でした。直面で演じられ、舞がない曲だという点もそう思わせる理由なのでしょうが、これは何度観ても飽きないだろうなあ。教科書に載るくらいの道徳的な話のようでありながら実際はそんな説教臭さを微塵も感じさせず、よかったよかったと素直に心が暖まるハッピーエンドというのもいいし。

舟ふな

休憩をはさんで野村万作師と孫の野村裕樹くん(お父さんはもちろん萬斎師)による「舟ふな」(ふねふな、と読みます)。20分程度の小品でしたが、これはもう最高です。物見遊山に行こうという主に、それなら西宮へと太郎冠者のアドバイスがあって神崎の渡しに着く主従。舟を呼ぶときに太郎冠者が「おーい、ふなやーい」と声を掛けたところで主から「ふねと呼べ」とチェックが入るものの、利発な少年太郎冠者はまるで意に介しません。そこから二人の「ふね」「ふな」論争が始まるのですが、まずは太郎冠者が船競ふ(ふなきおう)堀江の河の水際に 来いつつ鳴くは都鳥かもと大伴家持の歌を引いて「なんとふなではござらぬか」と得意満面に胸を張っています。これに対して主はほのぼのと明石の浦の朝霧に 島がくれゆく舟(ふね)をしぞ思ふと柿本人麻呂の歌で対抗します。ここまではよかったのですが、太郎冠者は続いてあと二首、ふな人も誰を恋ふとか大島の 浦かなしげに声の聞こゆるふな出して跡はいつしか遠ざかる 須磨の上野に秋風ぞ吹くと「ふな」が入った歌を披露するのに、主は最初の一首しか知らず、同じ歌を声をひっくり返してこれは僧正遍昭、凄い早口で歌ってこれは小野小町と取り繕い、太郎冠者にそんなことを余所で言うと恥をかきますよとたしなめられる始末。それならばと主は扇を取り出し、仕方で謡曲「三井寺」を謡います。

山田矢橋の渡し「ぶね」の夜は通う人なくとも月の誘はばおのづから「ふね」もこがれて出づらん……

ところがここで主は急に言葉に詰まり、手で口を塞いでしまいます。しかし太郎冠者は「その先は?」とにやにや。口ごもる主を尻目に太郎冠者はふな人もこがれ出づらんと続きを謡いますが、ここでとうとう主に「時々は主に負けて居よ」と叱られて留めになりました。最後は主にキレられた野村裕樹くんですが、まだ10歳とは思えない堂々たる役者ぶり。声もよく通るし、祖父の万作師をやりこめる様はまさに太郎冠者にふさわしい才気に満ちていました。

仕舞三番の最初は、小川明宏師による脇能「老松」。真之序之舞に続くワカから留まで。この中に、これは老木の、神松の、千代に八千代に、さざれ石の、巌となりて、苔のむすまでというくだりが出てきます。続いて武田志房師と子息の友志師による鬘物「二人静」。相舞となるとやはり、志房師の流れるような舞の見事さが際立ちます。しかもこれが仕舞でなく、面をかけて互いが見えない状態で舞うのだとしたら、相当大変なことになるでしょう……。そして小川博久師の切能「野守」は、飛安座で奈落に落ちる様を見せ、気迫のこもった仕舞でした。

土蜘蛛

これは歌舞伎にも移植されていて、5年前に吉右衛門丈の土蜘蛛で観たことがあります。作者は不明、平家物語の「剣」に記された源頼光の土蜘蛛退治の説話によるもの。源頼光は平安中期の人で、説話の世界では坂田金時や渡辺綱を含む四天王の主であり、酒呑童子退治などでも有名です。

最初に、ツレ・源頼光(武田祥照師)が脇座に置かれた一畳台の上に座して床几に左手を預けて、その左肩へ小袖が掛けられ、トモ・頼光ノ従者(小早川泰輝師)が太刀を持って地謡の前に控えたところで、鋭いヒシギ。唐織着流しのツレ・胡蝶(武田崇史師)が入ってきて、浮き立つ雲の行方をや、風の心地を尋ねんと次第。病の床にある頼光のために、典薬乃頭から薬を持ってきて昨日より心も弱り身も苦しみて、今は期を待つばかりと弱気な頼光を励ましますが、この女性、純粋に頼光の身を案じる想いの者とも見えれば、続いて出てくる土蜘蛛の手先または化身として頼光に罠を仕掛ける魔性とも見えて、一筋縄ではありません。なんだか浮世離れした不思議な声質で、ときどき声が裏返ったりしてなんじゃこりゃ?という感じがしたのも、そのあたりの表現なのでしょうか。ともあれ、相変わらず沈みっぱなしの頼光を置いて胡蝶が切戸口から下がると、直面の前シテ・僧(松木千俊師)が橋掛リに現れました。松木千俊師、この日二度目の出演。ご苦労様です……。

一声は月清き、夜半とも見えず雲霧の、かかれば曇る心かなと蜘蛛尽くしの詞章。そしていかに頼光、御心地は何と御座候ぞと厳しく呼び掛け、最初から対決姿勢があらわです。その姿を訝しむ頼光とシテとの緊迫したやりとり、そして正中までずいと進んだシテが一畳台に向けて千筋の糸を投げかけると、白糸が見事に宙を飛んで頼光を包み、見所からは「おぉ!」といった声が上がります。頼光は臆せず小袖の下から宝刀膝丸を抜き出してシテに斬りかかり、これを受け流したシテは頼光と入れ替わって一畳台に飛び乗るとまたしても糸。さらにもう一度位置を入れ替えて振り向きざまに糸を飛ばして、橋掛リを下がっていきました。舞台上は白い糸がぐしゃぐしゃで、これが歌舞伎ならたぶん後見か黒衣が手早く片付けるところだと思うのですが、能の場合はそのまんま。したがってシテの中入と入れ替わりに馳せ参じたワキ・独武者(宝生欣哉師)は、白糸を足元にまつわりつかせながら舞台に歩み入ることになります(邪魔にならないのか?)。一畳台に腰掛けた頼光から事の次第を承ったワキは、血の跡を追って化生の者を退治仕ろうと述べると中入。頼光も糸をずるずると引きながら、揚幕へと下がっていきました。

ここで間狂言は替となってささがに二人(二匹?)。異形の面を掛け、人差し指と親指でハサミを作って横歩きに舞台に進み入ったアイですが、蟹のくせにハサミを構えたまま話すのは窮屈だからと「えいえいやーっとな」と声を掛け合ってハサミを下ろします。なぜ彼らが出てきたかというと、そのうちの一人が頼光の屋敷がさわがしいので横ざまに駆け付けたところ、ささがにを退治しようという声が聞こえてきて、自分は退治されるような悪行は働いていないのに合点がいかん、おそろしい……と震えていたというのですが、もう一人がばかだな、「ささがに」とは蜘蛛の異名だ、我々も土蜘蛛退治に加勢しようではないかと励ますと、もう一人も気を取り直して、糸をかけられてもはさみでちょきちょきと切り刻んでやるし、蜘蛛の眷属共は泡をぶくぶく出してとりこめてやろうと気合を入れます。こうして二人はちょきちょきちょっきり、あわあわあわふきと賑やかに下がっていきました。こんなにお茶目な間狂言を見たのは、初めてです。

さて、後見が一畳台を下げ、折り返し山を持ち出して大小の前に据えると、そのまま下がってしまいます。えっ、どうして糸を片付けないの?という疑問も消えないうちに、一声。鉢巻姿のワキ・独武者がワキツレ二人を伴って登場します。ワキツレのうちの一人はまだ子供で、これは宝生欣哉師の子息・朝哉くん。つまりこの日、「鉢木」も合わせると宝生閑家三代が舞台に上がったことになるわけです。とはいっても、ワキとワキツレが声を揃えての一声は、さすがに子供の声が混じると違和感は否めません。ともあれ、舞台に進み入った三人のうちワキツレ二人は脇座から、ワキは目付の方から塚に向かいゆっくり近づくと、地謡が塚の内より火焔を放ち水を出すと土蜘蛛の激しい防戦の様子を描写するうちにも引廻しがとりはずされて、白紙の蜘蛛の巣の中に赤頭・顰面で法被姿もおどろおどろしい後シテ・土蜘蛛ノ精が現れました。後シテは汝知らずや我昔、葛城山に年を経し、土蜘蛛の精魂なり。なほ君が代に障りをなさんと名乗りますが、この「土蜘蛛」という言葉、天皇への恭順を表明しない土着の豪傑などに対する蔑称であった模様〔出典〕。ワキは脇座に進んで太刀を構え、地謡がワキの言葉を引き取ってひるまず土蜘蛛に打ちかかる様子を示すと、シテは蜘蛛の巣を破って作リ物の外に立ち、再び千筋の糸を投げかけます。ここからは激しい立ち回りとなり、ワキは横ざまに脇座へ進むと飛安座。それでもワキとワキツレは刀を抜いてさらに斬りかかり、対するシテも惜しげもなく糸を繰り出して、その一部が脇正面の二・三列まで飛びお客さんは大喜び。うーむ、あそこがベストポジションであったか。立ち回りは橋掛リにまで及ぶダイナミックなものでしたが、糸でぐちゃぐちゃになったワキたちについに正中で囲まれたシテは、ワキの振るう太刀によって首打ち落とされた様子を安座して首をがっくりと垂れた姿で示すと、山の前に後ろ向きに立って両手から背後(正面方向)へ断末魔の糸を飛ばし、背中からばたりと大迫力の仏倒れ。ためらう様子もないその仏倒れによって、舞台上に轟音が響きました。そのままシテは作リ物の中に消え、ワキたちは喜び勇み、都へとてこそ帰りけれ

若手が多数起用された舞台でしたが、理屈抜きで面白い曲を、シテとワキとがしっかり引き締めて楽しく観ることができました。今回はアクシデントで舞台に立つことができなかった松木崇俊さんですが、冒頭の「お詫び」で父の松木千俊師は「土蜘蛛は、いずれ勤めさせるつもり」とおっしゃっています。そのときには、もう一度この曲を観に能楽堂に足を運ぶつもりです。

配役

能「鉢木」 シテ・佐野源左衛門常世 松木千俊
ツレ・常世ノ妻 武田文志
前ワキ・旅僧
後ワキ・北条時頼
宝生閑
ワキツレ・二階堂某 大日方寛
アイ・早打 竹山悠樹
アイ・従者 石田幸雄
主後見 武田志房
地頭 浅見真州
一噌仙幸
小鼓 森澤勇司
大鼓 亀井忠雄
 
狂言「舟ふな」 シテ・太郎冠者 野村裕基
アド・主 野村万作
 
仕舞 老松 小川明宏
二人静 武田志房
武田友志
野守 小川博久
 
能「土蜘蛛」 前シテ・僧
後シテ・土蜘蛛の精
松木千俊
ツレ・源頼光 武田祥照
トモ・頼光ノ従者 小早川泰輝
ツレ・胡蝶 武田崇史
ワキ・独武者 宝生欣哉
ワキツレ・従者 宝生朝哉
ワキツレ・従者 御厨誠吾
アイ・ささがに 深田博治
アイ・ささがに 月崎晴夫
主後見 武田宗和
地頭 関根祥人
一噌隆之
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 柿原弘和
太鼓 小寺真佐人

あらすじ

鉢木

諸国一見の僧が上野国佐野のあたりで大雪にあい、一夜の宿を乞う。その家の妻は不在の主人の帰りを待つよう言う。やがて帰った主人の佐野源左衛門常世は、見苦しい家だと一度は断るが、僧の後を追い呼び戻し、粗末な粟の飯や秘蔵の鉢の木(梅・松・桜)を切って火に焚いてもてなす。常世は領地を横領され、落ちぶれてはいるが、鎌倉に大事あれば馳せ参じる覚悟だと話す。そして僧は名残を惜しみ別れる。それから間もなく、鎌倉への招集の沙汰がある。あの時の僧は実は北条時頼で、約束通り馳せ参じた常世の忠誠をほめ、元の領地を返し、その上、鉢の木に縁のある梅田・桜井・松井田も与える。常世は喜び勇み帰っていく。

舟ふな

最近忙しかった主人は、たまには外出しようと太郎冠者に相談する。太郎冠者の発案で西宮に行くことに したが、途中で神崎川という大きな川に出くわしてしまう。乗る物を太郎冠者に探させると、太郎冠者は 遠くのほうの船に向かって「ふなやーい。」と呼び掛ける。主人は「あれはふねだ」 と言うが、太郎冠者は古歌を引き合いに出して「ふな」だと言い張る。主人も古歌を読んだり謡を謡ったりして「ふね」と言い張るが、太郎冠者に言い負けてしまう。

土蜘蛛

侍女の胡蝶が病床にある源頼光を見舞い励ます。そこへ誰ともわからぬ僧が現れ、「わが背子が来べき宵なりささがにの蜘蛛のふるまひかねて著しも」と古歌を詠じ頼光に蜘蛛の糸を投げかける。頼光は太刀を抜き、斬りつける。物音に駆け付けた独武者は流れた血をたどり、退治に行く。土蜘蛛の精の住む古塚を探し当て、千筋の糸を繰り出す土蜘蛛と戦い、ついに斬り伏せる。