咲嘩 / 船弁慶

2009/12/23

国立能楽堂(千駄ヶ谷)の特別公演で、狂言「咲嘩さっか」と能「船弁慶」。今年の観能の締めくくりです。

綾鼓

まずは仕舞「綾鼓」から。女御に恋をした庭掃きの老人が、鼓の音が聞こえたら姿を見せようという言葉を信じて鼓を打つが、鼓は綾を張ったもので音は出ない。悲しんだ老人は池に身を投げて死に、その怨霊がなにゆえにわが真実の恋をもてあそんだのかと女御を責めつける、という曲で、類曲に「恋重荷」がありますが、「恋重荷」の怨霊が最後は女御の守り神となることを誓うのに対して、こちらは最後まで女御を恨みぬいて恋の淵に入っていきます。この仕舞はその終曲の場面で、地獄の責め苦さながらに女御を責めつける恐ろしさは身の毛もよだつ有様、といった情景を宝生流・近藤乾之助師がぴんと張りつめた舞で示しました。

咲嘩

これはもう、抱腹絶倒。屈託なく大笑いできる狂言でした。

連歌の初心講の当番になった主人は、都の伯父を連れてくるよう、なんとも福々しいお顔で控えていた野村萬師の太郎冠者に命じます。うれしそうに都見物をしていた太郎冠者でしたが、ふと自分が主人の伯父の顔も住まいも知らなかったことに気付いて、右手で膝をはたと打ちます。この辺りで、どうやらこの太郎冠者は相当に抜けた人物であるらしいことがわかるのですが、太郎冠者は都の物売りを真似て「そこもとに頼うだお方の伯父御はござらぬか、田舎に甥を持った人はいないか」とワケのわからない呼び声を上げて伯父を捜し求めます。そこへ揚幕から出てきた咲嘩は一ノ松で「これは心の直ぐにない者でござる」と名乗り。自らそういう名乗りもどうかと思いますが、太郎冠者を見てどうやらカモがいるらしいと瀬踏みし、太郎冠者に呼び掛けて自分が伯父だと申し出ます。太郎冠者は咲嘩の顔をつくづく眺めて、そう言われれば主人と似ていると納得するのですが、それもそのはず、咲嘩の野村祐丞師と主人の野村扇丞師は実の親子です。

それはともかく太郎冠者は同行を一度は断るフリをする咲嘩に頼み込んで主人の屋敷に連れ戻り、いったん咲嘩を橋掛リに待たせて主人に復命。伯父は何人の供を連れてきた?と問う主人に太郎冠者はとまどった様子を見せて一人であることを話すと、主人は不審に思って常座あたりから太郎冠者の掲げる扇の骨越しに様子を伺って「これはいかなこと!」。主人は咲嘩を知っていて、あれは盗人だと太郎冠者に教えると、太郎冠者は顔をしかめ「いて絡めて取ってまいりましょう」といきりたちますが、ことを荒立てたくない主人は振る舞いをして帰すことにします。それではと太郎冠者は待たせていた咲嘩のもとへ赴くのですが、ここでお前は見乞いの咲嘩だそうなとしゃべり、だから行きたくないと言ったではないか、帰る!と開き直る咲嘩にあわてて、主人がことを荒立てたくないから振る舞いをして帰すと言っているので奥に通れとしどろもどろ。屋敷内に通された咲嘩と主人とは「不案内でござる」「初対面でござる」と挨拶を交わしますが、この二人の素知らぬ風な顔も見ものです。

人違いで申し訳なかったが、せっかくなので休んで行くようにと咲嘩に告げた主人がいったん橋掛リへ下がったところで、太郎冠者は打ち解けて咲嘩の前に胡座し咲嘩が屋敷の広さをほめそやす相手をしていると、様子を窺っていた主人は太郎冠者を二ノ松から呼びつけてああ言われたらこう言えと指示をするのですが、太郎冠者はどうもとんちんかん。「鴬」の名を忘れて「グイス」だと答えたり、鷹を好むと言えと言われれば背の高い下男のことと勘違いして鷹がするめをとったなどと言って、その都度主人に二ノ松へ呼び出されるのですが、このとき太郎冠者がせっかく咲嘩の相手をしているのに話を中断されて「……ま〜た呼ばるる()」と迷惑そうな顔をするのがおかしくてたまらず、見所は笑い声の連続。業を煮やした主人は、料理ができてきたところで舞台に戻り、太郎冠者には「身共が言うよう、するようにせい」と命じます。これに「さてはお前の真似をや」と太郎冠者が念押しをするのが伏線で、主が太郎冠者にものを命じると太郎冠者は口移しに同じことを(客である)咲嘩に命じ、怒った主人が太郎冠者を扇で打てば太郎冠者も咲嘩を打つといった具合。とうとう主人が太郎冠者を投げ飛ばして太郎冠者がバタリと倒れたまま動かなくなったので、やっと落ち着いた主人は咲嘩に挨拶をして下がったところで、太郎冠者はゆらりと起き上がります。まさか……と思っていたら本当に太郎冠者は咲嘩を引きずり上げてぶっ飛ばしてしまってから、その咲嘩にまじめな顔で挨拶して見所は爆笑。

野村萬師の太郎冠者の憎めない間抜け具合が楽しく、加えて盗人なのに太郎冠者の稚気のためにさんざんな目にあう咲嘩がかわいそうやらおかしいやらでした。

船弁慶

道成寺」「紅葉狩」など派手な作風が特徴の観世小次郎信光作の切能。世阿弥の複式夢幻能とは異なり、前シテと後シテとにまったく異なる人格と見どころを与え、ワキやアイ(アシライ間)も重要な演劇的地位を占める劇的な構成で見どころの多い人気曲です。今回の小書は《重キ前後之替》と《早装束》。《重キ前後之替》では、前シテの〔イロエ〕を省く、〔中ノ舞〕が〔盤渉序ノ舞〕になり、舞の途中で一ノ松へ行って子方を見つめてシオリをする、後シテは最初に半幕で姿を見せ謡いだす、流レ足が入る、最後はシテは幕に入って囃子の演奏だけがしばらく続く残リ留となるなどの特殊演出となり、《早装束》はアイが船を出すように命じられると幕に走り込み、すぐに装束を着替えて船を持ち出す早替わりを見せます。

場面は、頼朝に疎まれて都を落ちた義経主従が、西国へ逃れようと摂津の大物浦にやってきたところ。この地名に歌舞伎・文楽ファンならピンとくるように、「義経千本桜」の「大物浦」は、この曲から場面設定や詞章などを借りています。かすれた、比較的穏やかなヒシギに続いて〔次第〕とともにまず子方/義経、山伏姿のワキ/弁慶(高井松男師)、武者姿のワキツレ二人が舞台に進み、それぞれに向かい合って今日思ひ立つ旅衣、帰洛をいつと定めんと落魄の身を謡う〈次第〉。ついでワキが引き締まった表情で気迫のこもった〈名ノリ〉。子方の伊藤嘉寿君も判官都を遠近の以下、よく通る高い声でしっかりと謡います。道行の途中でワキは正面を向き、謡いながら向きを変えて大物浦への〈着キゼリフ〉となって、義経たちを脇座へ案内すると狂言座に控えていた旧知の船頭を訪ね、宿を頼みます。

さて、ここでワキは供をしてきている静を帰させようと考えて義経にその旨を申し上げることにします。「義経記」によれば義経が静と別れたのは吉野となっているのですが、それはさておき、義経からそなたの良いように、と言われたワキが一ノ松から揚幕へいかにこの内に静の渡り候ふか、君よりの御使ひに、武蔵が参じて候と声を掛けると、幕が上がって出てきた前シテ/静(観世銕之丞師)の面は小面、直線的な模様の深めの色合いの唐織。鏡ノ間から橋掛リに出るかどうかというタイミングで武蔵殿とはあら思ひ寄らずや、何の為の御使ひにて候ふぞ。その凛とした、しかし震える声には静の矜持と不安とがこめられているようにも聞こえます。ワキから都に帰るようにと義経が言っていると告げられたシテの答は自分の御供が君の御大事になり候はば留まり候ふべし、これに対しワキはあら事々しや、御大事まではあるまじく候、ただ御留まりあるが肝要にて候と対決姿勢をあらわにし、橋掛リ上に緊迫感が漂います。そこで義経の言葉をじかに聞きたいというシテはワキに伴われて舞台に進みますが、ここでも無音の静寂の中にしずしずと歩みを進める静の姿に、見所の意識は否応無しに集中させられます。しかし静は、義経から連れては行きたいがこのたびは都へ戻り時節を待てと諭されます。ここでの子方の台詞は長く、また言葉も難しいのですが、子方は耳から覚えているのだとか。また義経が子方なのは、静とのやりとりから生々しさを消すと共に、劇の焦点を静にあてる作者の工夫であるようです。ともあれシテは、言葉を疑ったことをワキに詫び、囃子・地謡の〈上歌〉とともに子方を見つめてシオリとなります。

ここでワキから一さし舞うよう勧められたシテは笛座前で烏帽子をつけ、大小前で〈サシ〉伝へ聞く陶朱公は勾践を伴ひ云々と嘗胆の故事(陶朱は范蠡のこと)を謡い、クセ舞。さらに〔盤渉序ノ舞〕となります。「盤渉」という言葉は雅楽の調子(スケール)の一種として聞いたことがありますが、ここでも笛の調子が常とは変わるのでしょう。そこを聴き分けることはできませんでしたが、ともあれ印象的な笛の調べに乗ったゆるやかな足の運び、一ノ松から子方を見やってのシオリ、放心したかのように立ち尽くす場面なども交えながら、繊細な舞が続きます。そして美しい旋律でワカただ頼め標茅が原のさしも草 我世の中にあらん限りはが謡われると、シテは正中に膝を突いて子方に向き合いますが、舟子たちがともづなを解いている様子に面を伏せて烏帽子の紐を一気に引いて前に落とし、シオリをして立つと涙に咽ぶ御別れ、見る目も哀れなりけり。静かに笛が奏される中、橋掛リを下がっていくシテの背中にこれ以上ない哀感が漂っていて、ここは本当に泣けました。

立ってシテを見送っていた子方が脇座で床几に掛ると、アイが常座に立って静と義経の別れに涙を流したことを述べ、一方ワキはアイに船の用意ができているかどうかを確認します。ワキとワキツレのやりとりをはさんで、えいやえいやと夕汐に、連れて舩をぞい出しけるとの地謡にかぶせてワキ船頭舟をい出し候へアイ畏まつて候。そしてアイは幕の奥に駆け込むと10秒もかからないうちに船の作リ物を持って飛び出してきたのですが、そのときには装束がまったく変わっていてびっくりしました。いったいどういう仕掛けなんでしょうか?そしてここからはアイの野村万蔵師が大活躍で、脇座付近で子方、ワキ、ワキツレの一人を船に乗せるとえいえいと櫓を漕ぎながら好天を喜び、義経の下向に協力できることを誇り、ついでに将来頼朝と義経が仲直りして義経再上洛となったあかつきには自分を舟奉行として海上の楫取りを一任するようにとワキとの間でビジネスの話。ここはシテが着替える時間を稼がなければならないのでこういう話をしているわけですが、小書によっては《船中之語》ワキが一ノ谷の戦の様子を語ったり、《名所教》アイがワキに船中から見える名所を教えたり、《舟歌》ワキに所望されてアイが舟歌を謡ったりするようです。

ところがアイはふと正面を見上げて、武庫山(六甲山)の上から雲が押し出し風が強まってきたことに表情を変えると、波に負けないようにありやありやありやありや、波よ波よ波よ波よ、叱れ(しされ?)叱れ叱れ叱れと大音声を上げながら物凄いスピードで櫓を使い、かろうじて波を越すとしーっと櫓の先で海面をなで回すような動作。さすがの弁慶もこの御舩の陸地ろくじに着くべき様ぞなきと弱気になると、動揺したワキツレもこの御舩には妖怪あやかしが憑いて候と漏らします。あわてたワキが船中でそんなことを言うものではない、自分と船頭に任せておけという言葉もあらばこそ、キレたアイはワキツレを睨んで、こいつは船に乗るときから何か言いたそうだったが案の定、とクレーム!ワキが自分に免じて許してくれととりなすとアイも一応は畏まるものの重ねておしゃるな!とワキツレにきつい念押し。こんなに態度のでかいアイを見るのは初めてです。そんなやりとりをしているうちにも再び波が押し寄せ、アイは再び激しく櫓を使ってありやありやありやありや、波よ波よ波よ波よ

そのときワキはあらふしぎや海上を見れば、西国にて亡びし平家の公達。子方との問答のうちに揚幕が半分上がって(半幕)、そのうちに床几にかかった後シテ/知盛の姿が現れます。その不穏なまでの迫力は、まだ一言も発していないのに既に邪気を舞台に向けて発しているよう。そして一同が橋掛リの方を見つめるところへそもそもこれは、桓武天皇九代の後胤、平の知盛幽霊なり。歌舞伎の台詞としては何度か聞いている詞章ですが、銕之丞師の謡はまったくの別物、というより別次元。平家一門の誇りと悲愴と無念が一音一音にこめられ、見所を圧倒します。これは本当に、前シテと同一人物?そしてあら珍しやいかに義経から地謡が入っていったん幕が下りた後に早笛の囃子となってシテが走り出てきます。面は似あやかし、鍬形黒頭。義経主従をキッと睨みつけると、長刀を振るっての激しい〔舞働〕となりますが、時折踏まれる足拍子は大地……いや、この場合は海面ということになりますが、とにかく舞台全体を揺るがすよう。凄い迫力です。しかしその時義経少しも騒がず、すらりと刀を抜いて数合打ち合わせるところへ、ワキが割って入って数珠をさらさらと揉み始め、五大尊明王に助力を乞う祈禱が最高潮の地謡によってなされると、寄せては返すように子方に迫っていたシテも徐々に弱り、ついに揚幕へ退場していきました。

配役

仕舞宝生流 綾鼓 近藤乾之助
狂言和泉流 咲嘩 シテ/太郎冠者 野村萬
アド/主 野村扇丞
小アド/咲嘩 野村祐丞
観世流 船弁慶
重キ前後之替
早装束
前シテ/静御前 観世銕之丞
後シテ/平知盛の霊
子方/源義経 伊藤嘉寿
ワキ/武蔵坊弁慶 高井松男
ワキツレ/義経の従者 則久英志
ワキツレ/義経の従者 野口能弘
アイ/船頭 野村万蔵
一噌仙幸
小鼓 観世新九郎
大鼓 亀井忠雄
太鼓 助川治
主後見 浅見真州
地頭 山本順之

あらすじ

咲嘩

連歌の初心講の当番になった主人は、都の伯父を呼んで宗匠に頼もうと思い、太郎冠者を使いに出す。都へやってきた太郎冠者は、しかし伯父の顔も住まいも知らないので、物売りを真似て大声で呼びまわる。そこにやってきたのは見乞いの咲嘩という心の直ぐにない者(詐欺師)。咲嘩は太郎冠者を騙して伯父になりすまし、主人の屋敷へやってくる。主人は咲嘩の素性を知っているので驚くが、ことを荒立てては面倒と思い、振舞って帰そうとする。そこで太郎冠者がもてなしに出るが、主人の小鳥好きの話で鴬を思い出せずにグイスと言ったり、鷹を人のあだ名と間違えたり。あきれた主人は、余計なことを言わずに全て自分の真似をするように太郎冠者に言いつけると、太郎冠者は主人の言うことなすことをそのまま繰り返すようになり、怒った主人から打擲されるとそのまま咲嘩を打擲してしまう。

船弁慶

船で西国へ落ちのびようと津の国大物浦へやってきた義経主従。静御前が義経を慕ってついて来ている様子なので、弁慶は義経に静を帰すよう進言し、義経は弁慶に一任する。弁慶にことのことを告げられた静は、義経の本心ではあるまいと疑い、弁慶とともに義経の宿を訪ねるが、義経の言葉は弁慶が伝えた内容と同じだった。義経に帰京を言い渡された静は、その言葉に従わなければならないものの、別れの悲しさに涙する。名残りの酒宴が催され、静は勧められるままに烏帽子を着けると、越王勾践と陶朱公の故事を引いて、いつか義経も頼朝の信頼を取り戻すだろうと語り舞う。そして清水観音の歌「ただ頼め標茅が原のさしも草、我世の中にあらん限りは」を引いて別れの舞を舞ううちに船出となる。静は泣く泣く一行を見送る。

ためらう義経を励まし、弁慶は出航を命じる。海上に出ると、俄に風が変わり波が押し寄せる。船頭が必死で船を操っていると、海上に平家一門の亡霊が現れ、平知盛の怨霊が義経を海に沈めようと長刀を持って襲いかかる。義経は少しも騒がず、刀を抜いて知盛の怨霊と戦うが、そこを弁慶が押し隔て、数珠を揉んで五大尊明王に祈禱すると、知盛の怨霊は次第に遠ざかり、ついに見えなくなる。