河庄 / 音羽嶽だんまり / 義経千本桜

2009/10/04

去年から観劇の重心を文楽と能にもシフトしているために歌舞伎の観劇回数が減ってきていますが、丸本ものは文楽と歌舞伎の見比べができるので押さえておきたいところ。ちょうど11月の歌舞伎座の夜の部は4月に大阪の国立文楽劇場で観た「義経千本桜」の半通しがあり、同時に来月やはり大阪で観る予定の「心中天網島」をもとにした「河庄」がかかるので、後者を幕見で、前者は三階席で観ることにしました。

河庄

近松の人形浄瑠璃の名作「心中天網島」を近松半二が改作した「心中紙屋治兵衛」を上方和事に引き写したもの。初世中村鴈治郎が完成させた演目で、玩辞楼十二曲のひとつとされています。今まで、文楽・歌舞伎共に「心中天網島」は観たことがなかったので、文楽の床本とYouTubeでの越路大夫の映像で原作のポイントをある程度つかんでから、この日を迎えました。「河庄」の開演時刻1時間前に歌舞伎座に着いてみると心配された行列はなく、幕見席入口前の長椅子に腰掛けることができて一安心。幕間になって入ってみても、席にはゆとりがありました。

幕が開いて舞台上は、正面に北新地の茶屋河庄のセット、上手に浄瑠璃語りの床。下手が変わっていて、茶屋のセットの左側がずっと舞台の奥まで見通せるようになっています。これは、後で主人公の治兵衛が店の入口の近くでくくりつけられたまま舞台を回すための工夫。つまり、茶屋の正面と左側面とでシームレスに芝居がつながる仕掛けです。河庄の女たちのひとしきりの会話の後に、時蔵丈の小春のもとへ紙屋の丁稚が手紙を届けるのですが、この丁稚(萬太郎=時蔵丈の次男)、自分も早く大人になって毎晩散財したいだの、手紙を届けた駄賃を暗に催促したりと台詞多し。ただ、この丁稚が持ってきた治兵衛女房おさんの手紙を読んだ小春は、一瞥してすぐによよと泣き崩れる風で、偽りの愛想尽かしを決意するにしてはあまりにもあっさりし過ぎているのでは?

ともあれ、悲嘆に暮れる小春を河内屋女房お庄が慰めているところへやってきてちょっかいを出す太兵衛は、油虫にたとえられる廓中の嫌われ者。相方が箒を三味線に見立て、自分は煙草盆を見台のかわりにして浄瑠璃風に治兵衛の悪口を言うあたりは、「封印切」の八右衛門がダブって見える役ですが、八右衛門が忠兵衛を追い詰める重要な役であるのに対して、こちら太兵衛はやってきた侍客に簡単に追い出される軽い役です。その侍、実は治兵衛の兄の粉屋孫右衛門は文楽で予習した人物像とはちょっと違って、俄ごしらえの侍姿だけに刀の取扱いに慣れておらず、不審そうな顔をするお庄に誤摩化し笑いをしながら冷や汗をかくちょっとコミカルなキャラクターになっていました。ともあれお庄のとりなしで小春と侍が奥座敷に消え、舞台上に誰もいなくなったときに盆が回って大夫と三味線が登場。天満に年経る千早振るから入ってせかれて逢はれぬ身となり果ての手前で揚幕が開くしゃりんという音が響きました。本当はこの出がポイントなので花道を見通せる一階席でなければならないところですが……。で、魂抜けてとぼとぼうかうかで七三までやってきた藤十郎丈の治兵衛と床との間で台詞の受け渡し。さらに身は空蝉の抜殻やで格子戸に抱きつくところが手をぶつけてアイタタとひざまずくところが、一層情けない姿になっています。

奥座敷から出てきた小春と侍、ここでも侍は少々軽く、たとえば上述のYouTubeで越路大夫が「ズバッと言わんといけまへんで」と力説した心中する心と見た。イヤサ違ふまじも比較的淡々。これに対して小春が自分だって命はひとつ、死なずにすむように頼みますと言うものだから陰で聞いていた治兵衛は憤激してさ、さてはみな嘘かと言葉の端々を震わせ、手拭をくわえて必死に激情に耐える様子。ついにこらえきれなくなった治兵衛が刃を外から差し込むと、ここでも侍はへっぴり腰で叩き落とし、これが治兵衛だと気づいたお庄が縛めを解こうとするとあわてて「それほどいたらあかん!」と素が出たものの、気を取り直して侍言葉に戻ります。舞台が90度回って格子窓にくくりつけられたままの治兵衛が正面に移り、そこへやってきた太兵衛らに治兵衛が打ち据えられる場面にぞろぞろと出てきた町人たちは、その数19人!侍に救われた治兵衛が再び元のポジションに戻った舞台上で店の内に入り、侍に礼を言うところで「お顔を拝見さしていた……だきま……あっ!あんた兄さん!」と独特の間を入れるのも、上方歌舞伎ならではでしょう。

……とまあこんな具合にいちいち本行との相違点を挙げていったらキリがないのでこのへんにしておきますが、全体に文楽の重々しさを歌舞伎では和事のおかしみに写して、治兵衛と孫右衛門に掛け合い漫才をやらせたり、治兵衛に和事ならではの仕方噺をたっぷりと語らせたり。治兵衛が小春の膝を思い切りつねって小春が耐えるキマリも入れて、最後は下手側から、事情を知らずに悲憤慷慨の治兵衛、小春の真情を知って天を仰ぐ孫右衛門、悲嘆に暮れる小春の三人の配置がキマって柝が入り、幕となります。

こうして観ると(あくまで床本との比較ですが)、全体にテイストが文楽「心中天網島」北新地河庄の段とは異なり、和事歌舞伎らしいやつしとおかしみが前面に出た芝居だなという感じ。もちろん基底には、小春と治兵衛のきたるべき心中があるわけですが、その悲劇性は観客の予備知識に委ねて、一幕の独立した演目としてのエンターテインメント性を追求した舞台、という印象です。

音羽嶽だんまり

特に複雑な筋があるわけではなく、多彩な登場人物が外題の通りに思い入れや見得を見せるだけですが、今回は松緑丈の長男の藤間大河くんの初お目見得。浅葱幕の前で発端が語られた後、幕が落ちて東西の呼び声に続き、下手から上手へ吉右衛門丈、菊五郎丈、大河くん、松緑丈、富十郎丈が居並び、それぞれの役柄に扮して口上を述べます。松緑丈の「ご挨拶を」に促されて大河くんが元気よく「よろしくお願いします!」と挨拶をして、喝采を集めました。あとは、白拍子やら花魁やら赤姫やら武者やら盗賊やら……要するに多種多様の登場人物が百鬼夜行を示して、最後は菊五郎丈の六方で幕。

義経千本桜

発端の部分やいがみの権太のエピソードを省略した半通しで、音羽屋型なので2003年の上演内容とほぼ同じ。よって感想は最小限にとどめますが、「渡海屋・大物浦」は何と言っても吉右衛門丈の大きさが際立っています。渡海屋銀平では世話がかった悠揚迫らぬ貫禄、それが白と銀の装束に変わっての知盛では堂々たる中に悲壮感をたたえた武者振りで、特に最後に血まみれになって安徳帝のもとへ戻ってきた姿は、目は血走り口の端からも血をしたたらせて物凄い迫力。ここまで凄みのある知盛は初めてですし、とりわけ昨日の敵は今日の味方に続いてハハとの笑いが涙ながらに変わっていく苦悶の眉根が絶品でした。義経の富十郎丈は、「渡海屋」ではちょっと年齢的に無理があるのでは?と思いましたが、「大物浦」で知盛と堂々とわたり合う姿はさすが天王寺屋。そして典侍の局の玉三郎丈も本行に忠実な性格描写で、不用意に貫禄を出し過ぎない端正な芝居でした。なお、安徳帝が知盛を諭す場面、台詞の途中で「けほけほ」と咳き込んでしまったのはご愛嬌。幕が引かれた後、花道を下がる義経の表情は自分にまつわる者をまた死なせてしまったという罪の自覚、そして弁慶の余韻。

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おいしい花籠膳をいただいた休憩をはさんで「吉野山」は、菊五郎丈・菊之助丈の親子主従に松緑丈が逸見藤太でつきあう楽しい一幕。どこまでも美しい菊之助丈の静に、菊五郎丈の貫禄の忠信。今回初めて気づきましたが、佐藤継信が主君の身代わりになって平家方の矢を受ける物語の場面など、おそろしい運動量です。そしてコミカルな藤太の松緑丈は、あまりにぴったりなのがこわいくらい。最後、忠信やらぬ!で七三の忠信の手を離れた笠が力なく客席にそれていったのは、ちょっと残念でした。

最後はご存知「四の切」。舞台最前部から奥に向かって照らす照明が強すぎて不自然な影ができていたのが気になりましたが、ケレンに満ちたこの幕を67歳の菊五郎丈が嬉々として演じる姿に、とにかく脱帽。本物の忠信と狐忠信との演じ分けも見事でした。

配役

河庄 紙屋治兵衛 坂田藤十郎
紀の国屋小春 中村時蔵
江戸屋太兵衛 中村亀鶴
五貫屋善六 中村寿治郎
丁稚三五郎 中村萬太郎
粉屋孫右衛門 市川段四郎
河内屋お庄 中村東蔵
 
音羽嶽だんまり 音羽夜叉五郎 尾上菊五郎
奴伊達平 尾上松緑
稚児音若 藤間大河(初お目見得)
大内息女大姫 尾上菊之助
大江三郎 河原崎権十郎
結城左衛門 中村錦之助
白拍子仏御前 市村萬次郎
鎌田蔵人 市川團蔵
夕照の前 中村魁春
局常盤木 澤村田之助
畠山重忠 中村吉右衛門
雲霧袈裟太郎 中村富十郎
 
義経千本桜 渡海屋・大物浦 渡海屋銀平実は新中納言知盛 中村吉右衛門
女房お柳実は典侍の局 坂東玉三郎
相模五郎 中村歌六
亀井六郎 中村種太郎
伊勢三郎 尾上右近
駿河次郎 中村隼人
片岡八郎 坂東巳之助
入江丹蔵 中村歌昇
武蔵坊弁慶 市川段四郎
源義経 中村富十郎
吉野山 佐藤忠信実は源九郎狐 尾上菊五郎
静御前 尾上菊之助
逸見藤太 尾上松緑
川連法眼館 佐藤忠信
佐藤忠信実は源九郎狐
尾上菊五郎
源義経 中村時蔵
静御前 尾上菊之助
亀井六郎 河原崎権十郎
法眼妻飛鳥 坂東秀調
駿河次郎 市川團蔵
川連法眼 坂東彦三郎

あらすじ

河庄

大坂天満の紙屋治兵衛は、妻子がありながら遊女の紀の国屋小春と深い仲となり心中の約束をしている。ある晩、北新地の茶屋、河庄に出向いた小春は、丁稚三五郎から受け取った手紙を読んで塞ぎ込んでいる。それを河内屋のお庄が慰めていると、小春の身請けをしようと江戸屋太兵衛がやってくる。それを小春が断る所へ、今日の小春の客の侍が訪れる。小春に一目会おうと河庄へやって来た治兵衛が座敷の様子を窺っていると、小春は冶兵衛とは心中したくないと侍に言うので、逆上した冶兵衛は刀を突き立て小春を刺そうとするが、侍に手を縛られてしまう。侍と見えたのは、治兵衛の兄孫右衛門。治兵衛は、兄に諭され小春を諦めると約束をするが、小春の愛想尽かしは治兵衛の妻からの手紙がもとだった。それを知った孫右衛門は心の中で感謝しつつ、未練の残る治兵衛を促して帰って行き、後に残された小春はただ泣き伏すのだった。

義経千本桜

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