塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

呂布と貂蝉(北京京劇院)

2009/10/03

「TOKYO京劇フェスティバル2009」参戦三演目目は、北京京劇院梅蘭芳京劇団の「呂布と貂蝉」。北京京劇院の公演としてはこれまでに2005年の「野猪林」と2008年の「火焼余洪 / 秋江 / 西遊記 無底洞の巻」を観ていますが、今回の演目は三国志演義に題材をとったもの(三国戯)。ポイントは、主役の呂布を演じる李宏図(梅蘭芳京劇団の団長でもある)の演技です。小生という若い男性の役柄は、裏声も用いた非常に高い声での唱に特徴があり、人によっては不快にさえ思うほどインパクトがあります。

幕開けは、宴席。奥から黄色い光がぼんやり照らされ、舞台上の人物たちがシルエットになって浮かび上がる不思議な照明の効果で、この話が遠い昔の物語であることが示されているようにも思えます。諸大臣を従えて中央の桌の向こうに座るのは董卓。そこへいきなり強烈に高い声で参上したのが、薄い桃色を基調に明るいブルーをアクセントとして鮮やかな刺繍の施された衣装をまとい、長い翎子をひらめかせた呂布です。おー、これが噂の声かと思いましたが、舞台上に現れた呂布は顔立ちも体躯も所作も見惚れるばかりに凛々しく、その高音も張りがあって武将の声としてまったく違和感がありません。などと感心しているうちに呂布は大臣のひとりを裏切りのかどで引き出し、剣三振りであっさり殺してしまうと、厚底靴の底で剣の血をぬぐって涼しい顔をしています。恐ろしいやつ……。そして董卓に続いて引き揚げるとき、呂布は翎子で一同を威嚇してから下がっていきました。

場面は変わって王允の家の庭。月明かり、上手に石の彫り物、下手に柳と石の欄干。必要最小限の大道具で王允の地位と心象を示す洗練されたセットを前に、すっきり美人の貂蝉役・郭偉がしっとりした唱を聞かせてくれた後、王允から連環の計を持ち出され、わずかの時間ためらったものの、意外にあっさり決意。いくら恩人の頼みとはいえ、自分の操を二人の男(しかも一人は40歳も年上の老人)に委ねるなんて、そんなにあっさり決めていいのか?というのが率直な感想ですが、この演目ではあくまで呂布が主人公なので、貂蝉の内面に踏み込み始めると焦点がぼけてしまうのかも。

さて、まずは呂布を取り込むための「小宴」から。冠を贈られた御礼を述べるために訪ねてきた呂布を接待する王允。二人が席について酒を飲むときに、立って桌に向かい一礼、席の位置を変えて座ると袖で口元を隠して一気に飲み干し、盃が空いたところを相手に見せる、という一連の動作を行いました。酒席での礼儀作法なのでしょうが、流れるような所作が美しく、さすが中国四千年の歴史という感じ。それからひたすら乾杯を重ねて何度目かに、ふと目を上げた呂布は王允の娘に扮した貂蝉に気付いてはっとした表情になります。もうそれからは気もそぞろ、盃が空いた王允の呼び掛けも耳に入らず、翎子で貂蝉の頬をなでたり見つめたり。それでも王允から虎牢関での桃園の兄弟との戦の様子を話してほしいと頼まれると、居住まいを正して激戦の様子を歌いました。この唱、浄瑠璃でいえば「物語」にあたる部分ですが、多彩な節回しと素晴らしい高音の伸びには客席も圧倒され、大拍手が湧きました。ここで朝廷で用事が起きたとの報せがあり、王允は席を外すことになりますがもちろんこれは計略で、早く帰ってきて下さいという貂蝉に「わかった」と答える王允の目は笑っていません。そうとは知らない呂布は貂蝉と二人きりになってドキドキ。その心の様子を雄弁に語るのは翎子の動きで、貂蝉にお掛け下さいと席を勧められて頷けば大きく揺れ、あなたは自分が出会いを待っていた英雄だと言われれば喜びにぶるぶると小刻みに揺れます。こうして籠絡された呂布は、王允が言うところの「酒食の徒」というのとも、冒頭顔色を変えずに張温を斬って捨てた冷徹な武人の姿とも違って、ずいぶんウブな感じ。観客はそんな呂布に感情移入させられます。そして、この場はおそらく30分くらいかかっていると思うのですが、筋書きだけ追えば他愛ない内容にもかかわらず、さまざまな所作の様式的な美しさとダイナミックな唱と繊細な演技とがあいまって非常に見応えがありました。

休憩をはさんで今度は董卓を招く「大宴」。大宴とうたうだけあって歌舞も華やかで、貂蝉は四人の美形歌姫を伴って歌い、袖をくるくるとひらめかせて舞います。これには董卓、貂蝉に目が釘付けで意外にコミカルなキャラクターを見せますが、すぐにいやらしい権力者キャラに戻って王允に貂蝉を即日差し出すよう求めます。この辺り、董卓役の陳俊傑の役者ぶりも堂に入ったものですが、続く「鳳儀亭」の場ではさらに卓越した役者振りを発揮します。鳳儀亭で貂蝉と密会していた呂布に怒り心頭の董卓は、それでも女婿の李儒の諌めに一度は貂蝉を呂布に譲る決心をするのですが、そのことを貂蝉に告げて「そなた等はお似合いだ。才気ある男と、美貌の女。我輩よりもいいだろう」と背を向ける姿には、所詮権力にしか魅力のない自分をわきまえた高齢者の悲哀が滲みます。そこがまた貂蝉のつけ目で、自分の董卓に対する思いを疑うならここで自ら命を絶つと貂蝉が剣ととると、慌てた董卓は前言撤回。ここでの台詞「李儒の言う通りには出来ないようだ看来那李儒之言不能依他李儒」にはまたもたそがれが感じられて、なんだかかわいそう。こうなると、貂蝉は二人の男の純情を手玉にとる悪女ということになりますが、それはあくまで董卓の暴政を除くという大義のため、それが飛躍し過ぎなら王允への恩義のため……といったあたりが第二場であっさり切り捨てられているので、糸を引いているのが王允だとしても、ひどい女だ!と思わないわけにはいきません。ただし、くどいようですがあくまで主人公は呂布。

第六場「嵋塢」は次々に見どころが展開します。呂布は、董卓と共に嵋塢に向かう貂蝉とブロックサインの交換。見事な唱、感情の高ぶりを示す息を呑む仕種。そして翎子を振るっての見得や回転技の連続で、董卓を討つ決意をあらわにします。一方、董卓の前で貂蝉が舞う最後の舞は、雉尾羽をたいまつ状に束ねたものをくるくると回転させるダイナミックなもの。音楽も盛り上がって、董卓の運命にクライマックスが訪れようとしていることが暗示されます。

偽の詔書でおびき出された董卓は、ついに本心を現した王允と呂布に詰め寄られ、ここから激しい立ち回り。槍二本と刀二本、あるいは槍一本と長刀二本での立ち回りの最中に兵士が飛び込んできて見せる宙返りが鮮烈。そして一人で一度に四人、さらにまた四人の敵を退けた呂布は、一人になって槍をぶんぶん振り回します。さすがに疲れたのか一度槍をとり落としてしまいましたが、それでも最後の見得が決まったときには大拍手。ついに董卓を倒し、貂蝉を我が物にして幕が降りました。

とにかく見応えのある舞台で、李宏図が示す呂布像には本当に惹き付けられました。また意外にも感情移入させられたのが、董卓。いっそ董卓を主人公にし、貂蝉を徹底的に悪女にして、権力者の孤独と悲哀を描く話に仕立てても十分面白いものができるのではないか、と思えたくらい。場面転換のスムーズさやセット、照明の洗練度合など、舞台演出面も素晴らしく、2時間余りを一気に見せてくれた北京京劇院の総合力に脱帽です。

配役

呂布 李宏図
貂蝉 郭偉
王允 韓勝存
董卓 陳俊傑
李儒 黄柏雪

あらすじ

漢末、董卓とその養子・呂布による恐怖政治を嘆く、司徒・王允。その王允のもとで育った歌姫・貂蝉は、王允の苦悩の様を見て力になりたいと願う。貂蝉の願いに王允が考えた策が「連環の計」、すなわち父と子の両方を色仕掛けにかけて反目させ自滅させるというものだった。覚悟を決めた貂蝉は王允と謀り、まず呂布に近づき、ついで董卓のもとに送り込まれる。貂蝉を溺愛し片時も離さない董卓を呂布は恨みに思い、ついに偽の詔でおびき出してこれを討つと、貂蝉の姿を求めて去る。