二人袴 / 盛久

2009/07/15

国立能楽堂の定例公演で、狂言「二人袴」と能「盛久」。

二人袴

そのまま現代のコントに持ってこられそうなわかりやすいおかしさが楽しい一番。中世には結婚まで夫と舅が対面しないことの方が普通だったようで、結婚後に初めて妻の生家を訪れる儀式を「聟入り」というのだそうですが、この狂言では、その聟入りに向かう稚気を残した聟が父親についてきてもらうものの、袴を一人分しか持っていかなかったためにおこるどたばたを描いています。なお、正式には囃子入りだそうですが、この日は囃子なしで、現在ではこの方が普通。

まず登場した舅と太郎冠者のやりとりがあり、今日は最上吉日なので聟殿が見えるはずと待ち受ける態となって、今度は一ノ松あたりで聟と父とのやりとりになります。この日の父役の三宅右近は、実際にも聟役(及び太郎冠者役)の父親です。さて、侍烏帽子に紅白段熨斗目の着流し姿も美々しい聟ですが、どうやら乳(父)離れできていない様子。婿入りに行くのに恥ずかしいから一緒に来て下されと父に頼んでいます。おまけに袴を着たことがなく、これも父に着せてもらうありさまですが、父の方もどうやら親ばからしい風情。二人で舅の立派な屋敷の前に来て、そこで待っていてくれと父に懇願してから、太郎冠者の案内を受けて屋敷に入りますが、慣れない長袴のために前進するときは小刻みなよちよち歩き、向きを変えるときは腕を真横に振ってその勢いでくるりと90度回転といった具合で、見ているこちらがはらはらしてしまいます。それでも一応そつなく舅と対面したのですが、先ほど案内に出た太郎冠者が親御様もお出でだ、と告げたものだから聟は「しまった!」という顔。なんだそれなら呼んできなさいと太郎冠者に命じる舅に聟はあわてて自分が呼んでくると言います。いや私が呼んできますと太郎冠者が立ちかかると聟は身共が行く!と太郎冠者を威嚇。

よちよちと外に出た聟は事の次第を父に告げ、仕方なく父は聟の袴をはいて舅に挨拶。ところが今度は「聟殿は?」となって、父があわてて聟のところに戻ります。またしても袴交換、そして聟が舅の前に出て父は帰りましたと告げると、舅は呼び返せと太郎冠者に命じ、またしても聟があわて、太郎冠者を威嚇し、父のもとへ。こうしたプロットのリフレインは、狂言によくみられる筋立ての作法で、わかっていても、というよりわかっているだけにおかしみが増してきます。やれやれまたか、と父と聟が三たび袴を取り替えようとしているところへ太郎冠者が「御両人揃って」と舅の言葉を告げにやってきて、驚いた聟と父は袴が一着しかないのを隠すようにべったり座り込み、呆然と顔を見合わせてから取り繕うような目線で太郎冠者を見上げます。太郎冠者が戻った後でどうしようと思案していた二人ですが、父が思いついて聟と袴を両方から引くと、袴は前半分と後ろ半分に分かれました。これで袴が二つになった、ワハハと笑っているところへ待ちかねた舅の言葉を伝えに来た太郎冠者。聟と父はまたびっくりして、ぴょんと飛び上がり片膝をついて太郎冠者を作り笑いで見上げ、見所は大爆笑。

二人とも半分の袴を前掛け状態に着て舅の前に戻ると、縁組みの盃事になります。ここでも聟の若さが出て、辛い酒に思わず文句をつけたり、父が酒をあまり飲めないと遠慮すると家ではよく飲んでいるとばらしたり、嫁が初めは初々しかったが近頃は聟を叱ってばかりだと訴えたりするたびに、後ろに座っている父はあわてて扇で舞台をばしばしと叩いて制止するのですが、舅は「聟殿は気さくなお人じゃな」と鷹揚。このあたり、二人の父が片方ははらはらと、片方は微笑ましく聟を見ている様子がなんともいい感じです。ところが今度は、舅が聟に一さし舞わせられいと舞を所望。舅のたっての申し入れに聟は父と見合わせて「何としましょう……」。このときの二人の情けない顔も笑わせますが、あのように仰せなのだからと言いつつ扇で「後ろを見せるなよ」という仕種に以心伝心。まずは、前を向いたままの短い舞を舞い終えます。あまりに短い舞に舅がちゃんと回って舞ってくれと頼み、またしても父子の間にアイコンタクト。今度は謡の途中で「あっ!」と脇柱を扇で指し、何事?と舅と太郎冠者がそちらを向いている間にくるりと小回りして元の位置に収まりました。こうしたベタなギャグが中世から存在するなんて!

しかし、納得がいかない舅は三人で舞おうと言います。仕方なく父も立ち上がって三人で謡いながら舞うのですが、これが朗々と明るく楽しい謡と舞で、聞いているこちらも心が浮き立ってきますし、舞台上の父と聟も同様だった様子。つい油断して太郎冠者に袴の後ろがないことを見つけられ、舅と太郎冠者は大笑い。面目ないと恥じ入った父子は、袴を肩にはね上げて「許させられい」と逃げ入りますが、舅は笑いながらも「まず待たせられい」と二人を呼び戻そうとしながら、太郎冠者と共に退場しました。

盛久

うってかわって宗教色が強い、厳粛な台詞劇とも言うべき曲。観世元雅の作で、平家の家人で囚われの身となった主馬判官盛久の観音信仰が奇跡を起こすまでを描く前半と、頼朝の前で喜びの男舞を舞う後半に分かれていますが、間に物着と間語りはあるものの中入はありません。また、ことに前半は京から鎌倉までの道行、土屋邸でのシテとワキの問答、由比ヶ浜での処刑と場面転換が多く、これをシテ・ワキの謡と動き、そして地謡のみで進めていくため、常にぴんと緊張の糸が張ったような曲でした。

囃子方と地謡が位置につくと、音もなく揚幕が上がり、現れたシテ・盛久(梅若万三郎師。直面で演じられます)とこれを鎌倉へと護送するワキ・土屋某(宝生欣哉師)一行。そこで歩みながらいきなりいかに土屋殿に申すべき事の候と問答が始まるのに、まずは驚かされます。このような開曲の仕方をするのはこの曲だけらしく、しかも宝生・金剛・喜多流ではワキの名ノリから始まるので、観世流のこの始まり方は極めて異例です。作リ物の輿(の屋根)が二人のワキツレ・輿舁によって差し掛けられた状態で問答をしながら橋掛リを進んで来た一行は、求めに応じて正先でシテを下し、シテは清水寺の観音へ名残を惜しみます。地謡の帰る春なき名残かなも強い調子で、もはや京に戻ることはあるまいという盛久の覚悟を伝えます。ここから道すがらの地名を織り込んでの道行となり、蝉丸の歌を引いて知るも知らぬも逢坂の関を越え、勢多、熱田、浜松を経て今度は西行の歌から命なりけり小夜の中山。この間、一行は橋掛リを三ノ松まで歩いて廻り、さらに有名な山部赤人の田子浦を引いて舞台に戻れば、いよいよ鎌倉に到着です。

シテは地謡座の前で床几に掛かり、流転の身を振り返ってあつぱれ疾う斬らればやと思ひ候と述懐すると、あら痛はしや、盛久の何事やらん独言を仰せ候とワキは気の毒がりつつ、シテとの対話となります。この曲、このようにシテとワキとの対話がかなりのウェイトを占めており、シテは詞章を覚えるのが大変、ワキにも人を得ないと成り立たない曲なのだそうですが、この日のワキは以前「熊野」でもその深い声色に接した宝生欣哉師(宝生閑師の長男)。シテの梅若万三郎師の淡々と穏やかな語りとのやりとりに引き込まれました。ところが、間もなく処刑されることがわかり、ワキのこれまでの親切に感謝の言葉を述べた後で、今日はまだ読誦していないので御暇を賜はり候へ、かの御経を読誦申したく候と続くところ、かの……が出てこなくなってしまいました。微妙な間に小鼓がちらりとシテを見やり、地謡が身じろぎをしたと思ったら後見からすかさず「かの」とプロンプトが入り、曲はもとの巡航ペースへ。知識としては後見がこうした場合のフォローも行うということは知っていたのですが、実際にそうした場面に遭遇したのは初めてのことです。

さて、シテは観音経から或遭王難苦臨刑欲寿終念彼観音力刀尋段々壊、すなわち、たとえ王命に背いたために災難を受けるときでもその者を斬る剣はきれぎれに折れて難を免れるという教えを誦しました。これは自分が助かろうとして読むのではない、とシテは述べますが、しかしこの後も繰り返し言及される観音経への帰依は、死を前にして心の平穏を観音経に求めようと縋るようなシテの気持ちの裏返しのように思えなくもありません。舞台上では、さらに正中のワキと床几を下りたシテとがシテの持つ経文を共に覗きこんで種々諸悪趣地獄鬼畜生、生老病死苦以漸悉令滅と声を合わせます。やがてシテは霊夢を見ますが、そこへワキからご最期の時節ただ今なり、はやはや御出で候へとよと声がかかりました。このご最期はひときわ強く、シテの覚悟を促すかのようでしたが、これに応えてシテも慫慂と輿に乗り、由比ヶ浜へ運ばれます。常座で輿を下りたシテは、目付に向かって座し、経巻を広げてその時を待ちますが、ワキツレ・太刀取がスピーディーな動きでシテの後ろに立ち太刀を振り上げると観音経の功徳が顕われて御経の光眼にふさがり、次の瞬間太刀をシテの前に投げ落として下がりました。この奇瑞が源頼朝にも伝わり、その召しに従いシテが鎌倉殿に見参することになった旨が地謡によって謡われて、物着となります。

アイ・土屋の従者が清水の観世音の功力を語り、ついでワキの命を受けてシテに、正装した上で御前に出るよう伝えると、梨打烏帽子・直垂姿になったシテは常座に戻ります。ここから、舞台上にはシテとワキしかいないのですが、常に源頼朝がそこ(位置的には見所正面席の上空?)にいることが意識されつつ曲が進行します。ワキの求めに応じてシテは中央に着座し、霊夢の内容を語ります。その霊夢とは、清水から来たという老僧がシテに、多年仏に帰依してきたのだから心安く思ふべし、我汝が命に代るべしと告げたというものです。この霊夢の内容を語る場面は居クセで、シテにはほとんど動きはないのですが、地謡の朗々たる謡が存分に聞かせてくれました。さて、実は頼朝もシテと同じ霊夢を見ていたことが告げられ、正面へ両手をついてこれを聞いていたシテは感涙にシオリながら立って常座へ行きかけたところ、頼朝は御簾を上げてシテを呼び戻し盃を与えて、一さし舞うように命じます。

最後の見せ場、男舞。ここまで死を前にして静謐な諦観を淡々と演じてきたシテが、うってかわって雄渾な舞を、骨太な囃子に乗せて力強く舞いました。そして長居は恐れありと正面へ両手をついて礼をすると、シテは常座に移動してユウケン扇、そして左袖を返して留拍子を踏みました。

平家物語の長門本には、盛久が都に帰ったところ、清水寺の良観阿闍梨に「御辺の安置し奉り給たりし本尊、俄に倒れおはしまして御手二つに折れぬ」と告げられた旨の後日談があるそうです。これが、霊夢に出てきた我汝が命に代るべしの由来なのでしょう。

配役

狂言(和泉流)「二人袴」 シテ・聟 三宅右矩
アド・舅 河路雅義
小アド・太郎冠者 三宅近成
小アド・親 三宅右近
 
能(観世流)「盛久」 シテ・盛久 梅若万三郎
ワキ・土屋某 宝生欣哉
ワキツレ・太刀取 大日方寛
ワキツレ・輿舁 則久英志
ワキツレ・輿舁 舘田善博
アイ・土屋の従者 高澤祐介
主後見 中村裕
地頭 伊藤嘉章
一噌庸二
小鼓 幸正昭
大鼓 柿原崇志

あらすじ

二人袴

聟入りの挨拶へ行くことになった息子は、恥ずかしいからと父に同伴を頼む。父親はすぐ帰るつもりだったのだが、太郎冠者に見つかり、二人揃って舅に挨拶することになった。ところが袴を一人分しか持参していないため、二人は袴を半分に分けて舅の前に出ることにするが、舅の求めに応じて舞を舞ううちに太郎冠者に半分の袴を見つけられ、恥らいながら逃げ帰る。

盛久

源氏に生け捕りにされた主馬判官盛久は、鎌倉へ護送される途中、清水寺の観世音の参拝を許される。鎌倉到着後、土屋某から明日が処刑と知らされた盛久は、観音経を読誦する。由比ヶ浜に引き出された盛久は最期を覚悟するが、観音経から閃光が走り、太刀はばらばらに折れてしまった。この不思議な出来事の報告を受けた源頼朝は、盛久を許して盃を与える。盛久は所望されて舞を舞うと、早々に退出する。