京都の社寺巡り(大原野・東山)

2009/04/12

土日を使っての大阪・京都への旅は、土曜日が大阪日本橋の国立文楽劇場での文楽鑑賞。その日は梅田に泊まって、日曜日の今日は朝のうちに天保山に登って(?)から、阪急で京都方面へ移動。いやあ、途中の駅名も懐かしい。昔、京都の会社(四条河原町のちょっと南)に勤めていた頃は、梅田で仕事があるときは河原町から阪急で、淀屋橋で仕事のときは四条から京阪で出撃していたものです。

さて今回の京都訪問では、日中を社寺観光にあて、夕方からは昔の同僚と食事かたがた近況報告会にしようということにしていたのですが、社寺の行き先をどこにしようか考えあぐねてふと思いついたのが、西行ゆかりの謡蹟(能曲にゆかりの土地)を訪ねようというもの。ちょうど桜の季節でもあり、大原野にあって謡曲「西行桜」の舞台となった勝持寺(通称「花の寺」)に行くことにし、さらに祇園に移動して円山公園の南にある西行堂を組み合わせることを決めれば、あとは時間の許す限り両者の周辺の社寺を歩いて回るだけです。

勝持寺

そんなわけで勝持寺への起点となる東向日駅に降りたのですが、バスの時刻を見ると1時間に1本しかなく、折悪く次は50分後。しかし勝持寺までタクシーでも1,600円程度との案内板が出ていたので、これくらいならと割り切ってタクシーに乗りました。10分ほどで到着した天台宗勝持寺は、白鳳8年(西暦680年)に天武天皇の命によって役行者が創建したのが始まりといいますから相当な古刹ですが、伽藍のほとんどは応仁の兵火で焼け、現在の建物は乱後に再建されたものだそうです。そんな勝持寺に北面の武士・佐藤義清が出家を志してやってきたのは、保延6年(1140年)。この寺で得度して、後に西行と名乗ることになります。西行はここに庵を結び、一株の桜を植えて吟愛したそうですが、その桜が西行桜と呼ばれて今に残っていることから、この寺を花の寺と呼ぶのだとか。謡曲「西行桜」は、その桜を愛でに大勢の人がやってくることを厭わしく思った西行が

花見んとむれつつ人のくるのみぞ あたらさくらのとがにはありける

と歌を詠んだところ、その夜の夢に桜の精が現れて桜の咎とはどういうことかと不満を述べつつも、西行に逢えたことを喜んで舞を舞ったのち夜明けとともに消え失せ、西行が目を覚ますと桜花は散り敷きつめられていた、という曲です。

勝持寺は、門構えの外から早くも春爛漫。境内の桜も満開で、風に乗って花びらが吹雪のように舞い散っていました。

そして鐘楼堂の隣にあるのが、ひょろりと高い西行桜(右)。こちらは花の見頃を過ぎていました。

桜ヶ丘の見事な桜。観光客が歓声をあげています。

魚籃観音と鏡石。後者は、西行が出家したときにこの石を鏡のかわりにして頭を剃ったと伝えられています。

境内は、秋に来ても良さそうだと思わせる植生と佇まい。

瑠璃光殿の宝物である薬師如来像〈重文〉や金剛力士像(同)、日光・月光菩薩像と十二神将像も拝むことができました。

大原野神社

勝持寺を出て鄙びた道を歩くと、すぐ近くにあるのが大原野神社。こちらは屋根の茶、壁の白、柱の朱が鮮やかなコントラストを示してとても明るい印象です。延暦3年(784年)、桓武天皇の長岡京遷都に際し奈良の春日社から勧請を得たものなので、手水にも鹿、狛犬のかわりにやっぱり鹿。

趣きのある坂道を下って、大原野神社へ向かいます。

明るい雰囲気の大原野神社。丹塗りの新鮮さが目にしみます。

狛犬ならぬ狛鹿がユニーク。神様の側から見て左が雄、右が雌。

巨大な茶筅?に神籤が花のように留められていました。

正法寺

ついでに道をはさんだところにある正法寺にも立ち寄ってみましたが、こちらも立派な庭に桜が満開でした。

ここでも、満開の桜に迎えられます。お寺の入口は、この左手の方。後で廊下伝いに、上の不動堂に足を運ぶことになりました。

こちらは、きれいな石庭と東山方面を見通せるよい眺めが特徴。

面白かったのは、これ。水琴窟です。竹筒を通して「チン」という水音が聞こえる仕掛けで、澄んだ金属質の音がはっきりと聴き取れました。

大原野での社寺探訪をひとしきり終えて、バス停近くの食事処「わらしん」で昼食。木の芽の香りが鮮烈な、とてもおいしい定食でした。これで780円はお買い得です。

円山公園 / 西行堂

昼食後、バスで東向日駅に出て、河原町から祇園方面へ。おみやげを物色しながら四条通りを東のどんづまりに達すると、そこが八坂神社です。

その境内を抜けた裏手が円山公園で、花見・観光の客で大賑わいでしたが、有名な枝垂桜は既にすっかり花を落とした後でした。

しかし、ここに来たのは桜を見るためではありません。円山公園を南に向かってちょっと横手の道に入ったところに、ひっそりとした門構えがあって、本当に入っていいのかどうかためらいながらこれをくぐると、突き当たりに意外に大きな庵がありました。これが西行堂です。西行「庵」といえば私もかつて二度足を運んだことがある吉野の奥千本の寂しい風情が思い起こされますが、こちら西行堂は賑やかな観光街のど真ん中にそこだけぽっかりエアポケットのようになった不思議な空間でした。ただし、このお堂は西行が住んでいた雙林寺の塔頭「蔡華園院」の跡地に天正時代に建てられたものを亨保年間にこの場所に移設したといいますから、西行が実際に住んだわけではありません。雙林寺は道をはさんですぐの場所にあり、石屋さんがすぐ横にあってあまり観光客を集める雰囲気ではありませんが、有名な

願わくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃(山家集 春歌)

の歌もここで歌われたという説もあります。この雙林寺には西行の供養塔もあり、そのあっさりと侘しいたたずまいには、以前近松門左衛門の墓を見て驚いたのと同じ、無常を感じました。もっとも、西行が亡くなったのは河内の弘川寺であり、そちらには立派な墓があるようですから、心配には及ばないのかもしれません。

こちらが西行堂。入口には一般民家風に表札が出ているので入ることをためらいましたが、ここは雙林寺の飛地境内。見物する分には問題なく入れるようです。なお、堂内に置かれていた西行法師坐像は今は雙林寺本堂に移されています。

こちらが雙林寺の境内にある西行の供養塔。西行がこの寺に止宿したのは、出家した翌年から最初の奥州行までの期間(1140年代)、さらに二度目の奥州行から戻った後(1180年代)。中央の西行を挟むのは、向かって左が南北朝時代の歌人・頓阿、右が鹿ヶ谷の謀議で鬼界ヶ島に流され、後に赦免された平康頼。三人とも、この雙林寺に庵住していたことがあるそうです。

高台寺 / 清水寺

約束の時間までゆとりがあったので、数年前にも訪れた高台寺と清水寺に足を伸ばしました。高台寺は大好きなお寺で、その立体的な構成が小さな敷地に大きな世界の広がりを感じさせます。二年坂から産寧坂を経て人混みの中を登りきった先にある清水寺はもちろんド定番。内外の観光客がひしめきあっていましたが、折よく田村堂特別開扉及び御本尊御開帳に行き当たりました。前者は、清水寺創建大本願の坂上田村麻呂の1200年忌(平成22年)をにらんで普段公開されていない田村堂を開扉するもので、中には衣冠束帯姿の坂上田村麻呂公坐像と中華風の貴族命婦姿の高子夫人坐像とが仲良く並んでいました。他方、御本尊は数年前にも開帳されており、たしか33年ごとにしか拝見できなかったはずだが……と訝しく思いましたが、何でも花山法皇1000年大遠忌にあたる平成20年に西国三十三所の観音霊場がこぞって秘仏御本尊を開帳するのに合わせて、清水寺でも昨年と今年の二度、イレギュラーに開帳するのだそうです。なんだか都合のいい理由のような気がしないでもない(そういうことを言うとバチが当たるかも?)ですが、暗い本堂内に浮かび上がる御本尊の十一面千手観音像(二臂を頭上に挙げ一体の小如来化仏を戴く清水型)と、その周囲を固める脇侍地蔵菩薩・毘沙門天、そして二十八部衆に風神・雷神は大迫力。御本尊につながる紐が二本垂れており、これを握って諸人の安寧を祈りました。

あとはすっかり観光モード。上は北政所ねね(高台院湖月尼)が秀吉の菩提を弔うために創建した高台寺。私の前を歩いていたおばさん軍団が「あら、シャクヤクがきれい!」と喜んでいましたが、これはどう見てもシャクナゲだと思います……。

もはや説明不要の清水寺。御本尊はもちろん撮影禁止でしたが、これは一見の価値あり。今年の御開帳は5月31日までです。

百足屋

夕食は、あらかじめの私のセレクトで新町錦小路上ルの「百足屋」へ。ここもかつて何度か来たことがありますが、昼食でしか訪れたことがなかったので、実質的には初めてのようなもの。そして、京都時代に勤めていた会社を退職してから実に12年振りに、当時の同僚だったリエさんとミチさんと合流しました。事前にメールで「ずいぶん年をとったから、私を見たらびっくりするかも」と予防線を張っておいたのですが、リエさんは開口一番「ぜんぜん変わったはりませんやん」。もっともその目は笑っていたから、外交辞令だったのかな。とは言うものの、実はお二人とも現在は求職中の身。会社はここ数年厳しい業績不振に見舞われ、外部の資本が入って本社移転や経営体制の変革があり、その余波で昨年末に退職勧奨を受けてしまったのだそうです。これではもう、会社のDNAが入れ替わったようなもの。そうした話に一抹の寂しさを感じつつも、しかし懐かしいお二人との会話においしい料理とお酒が加わっての楽しいひとときの後に、京都の町を離れました。

締めくくりは、こちら「百足屋」。ここも私には懐かしいお店。

次に京都を訪れるのは、いつのことになるでしょうか?懐かしくて、近いようでいて、でもやはり遠いところ。それが私にとっての京都です。