パイパー(NODA・MAP)

2009/02/25

Bunkamura シアターコクーンで、NODA・MAPの「パイパー」を観ました。過去に松たか子は「コーカサスの白墨の輪」「贋作・罪と罰」で、宮沢りえは「透明人間の蒸気」「ロープ」をそれぞれ観ていますが、今回はダブル主役です。

赤土と氷河、天空には地球が・・・。
1000年後の火星で、何が起きていたのか?

火星は人類の憧れであり、希望の星だった。その初の火星移住者たちのあふれんばかりの夢が、どのように変貌を遂げていくのか。
そして、人々と共に火星に移住した「パイパー」なる生物?機械?人間?もまた、人類の夢と共に変貌を遂げる。そして1000年後の火星。その世界を懸命に生きている姉妹たち。

舞台は、手前に「ストア」と呼ばれる屋内。その奥の一段高いところ、半透明の壁の向こうは火星の赤茶けた大地。屋内には見た目大理石風で実は柔らかいソファーや椅子がわりの立方体、倒れたカート、いくつもの何かのかたまりが散乱しています。部屋の左右には地下に通じる階段があり、プラスチック風の高い壁で袖が仕切られています。

BGMが急に大きくなり、唐突に消えたと思ったら、半透明の壁の向こうから勢いをつけて近づいてきた妹ダイモスの松たか子が壁の扉を開いてストア内に入り、顔をしかめながら床に散乱している商品(?)をカートに拾い集め、そこへすぐ後からやってきた姉フォボスの宮沢りえも外からストアに入ると、台詞のやりとりが始まりました。ここでの短いやりとりでの宮沢りえの太く吐き出すようにきつい声色と目付きと、松たか子の芯が通っていてもどこか柔らかい口調と表情とが、二人の性格と同時に彼女達が抱えてきたものの重みの違いを如実に表わすのですが、そこに滑り込むように登場した父親ワタナベ役の橋爪功と、8歳の少年でありながら異様な存在感を示すキム役の大倉孝二とが、この後芝居を牽引するカルテットをすんなりと形作りました。そして扉から入って来たキムの第一声ここ、ストアですよね?なんでこんなにモノがあるの?うわあ、ストアなのに食べるものまで?は、このときには気にもとめずに聞き流したのですが、早くもここに罠が仕掛けられていたことを、芝居の終わりの方で気づくことになります。

ストーリーは、ワタナベがおっぱいの大きい若い女マトリョーシカ(佐藤江梨子)を連れてきたことをきっかけにストアに集うことになったこの4人を中心に、現在の荒廃しきった火星と、人の鎖骨に埋められた後、死後にとりだされてその人間の記憶を追体験できる「死者のおはじき」を通じて再現される過去の火星との間を行き来します。赤いおはじきは、それを鎖骨に当てる者だけでなく、その者と手をつないだ者にも骨伝導で過去の映像を見せるのですが、この、現在から過去に変わる瞬間が、実に鮮やか。テレビの砂嵐のような映像が暗転した舞台上を埋め尽くしている間にソファーは後方の一段高い舞台の下に吸い込まれ、半透明の壁は上方に引き上げられて、後方の広い空間の全面が活かされた異なる時代の物語に切り替わります。最初の過去は、火星に降りてきた宇宙船、人類の到来。そしてそこに姿を現したのは、金属質の身体に蛇腹のようなパイプを円環にして腕のあたりにつけたロボットのような物体=パイパー(コンドルズ)。パイパーたちは、踊るような動きで宇宙船から降りてきた人々(50人!ものアンサンブル)を優しく誘導しますが、その移民達の先頭にいるのが、施政者ゲネラール(野田英樹)ほかの面々、そしてフォボス似の先祖とダイモス似の先祖。松たか子と宮沢りえは、現代の二人と先祖の二人をシームレスに演じ分けるわけです。

そのようにしてバーチャルリアリティで描き出された火星の古代、さらに中世のさまざまな情景から、最大多数の最大幸福(その尺度が、パイパー値と呼ばれる舞台背後に表示された巨大な電光数値)を実現するために人間に献身する存在として送り込まれたパイパーたちが、火星に初めての人殺しが起こったときに、逃亡した殺人犯ビオラン(北村有起哉)を極冠の地で救うために殺されたゲネラールの屍を食料として与えたこと、中世の「ベジタリアンの乱」の日、その原罪をベジタリアンたちに指摘されて混乱したパイパーたちが火星を原罪以前へと「リワインド」(巻き戻し)し始めたことが明らかになります。

とはいえ途中、笑いのポイントももちろんあって、たとえば8歳のキムがフォボスにあやされるようにごめんね、僕。僕たちは、ここには住めないよと語りかけられた途端、急に大人の口調と苦笑いの表情になってそれを決めるのはあなたではない。ワタナベがキムに今は固形食であるコーヒーを「飲む」という言い回しを説明する際の『夕ご飯一緒にいかがですか?』は『もういい加減に帰れよ』って意味だったらしいは、もちろん京都のイケズの説明。ダイモス似の先祖が火星に着いて3ヶ月、フォボス似の先祖と共に火星になじんできた自分たちを思い入れたっぷりに語る目の前にある火星の地平線。まだ誰のものでもないんだねえという台詞はまるで歌舞伎のキメ台詞のようで、思わず「高麗屋!」と声を掛けたくなるほど。

しかし、ストアを出て行こうとするダイモスにフォボスが渡したものは、二人の母のおはじき。これをダイモスが鎖骨にあてたとき、ダイモスはダイモスを孕んだ30年前の母になり、フォボスは4歳の娘に鮮やかに切り替わります。その30年前、ベジタリアンたちの末裔が金星から飛来し、火星人たちはほとんどがその船に乗って脱出していったことがバーチャルリアリティによって再現されます。このときのアンサンブルによるモブシーンの迫力は素晴らしいものでしたが、この芝居での一番凄い場面は、その直後に設けられていました。取り残され、廃墟と化した火星を歩き始めるダイモスの母と4歳のフォボス。二人は、暗くなった舞台の上で手をつないで客席を向いて並び、左右からのライトにほのかに照らされながら、その廃墟の情景を断片的な台詞の激しい応酬によって描き出していくのですが、一切の感傷も動きも排して硬質の叙述(廃墟、骨、略奪、金属……)をひたすら叩き付けてくる二人の姿に、客席は完全に圧倒し尽くされていました。そして数分間に及ぶ応酬の最後に、二人は渾身の力でおーいと呼び掛けてきます。まさに圧巻!

そこに登場したのは、ストアに住むワタナベ。食べ物を求めるダイモスの母にワタナベが俺が食っているものでいいのかなと呟いた次の瞬間、ワタナベがもういい!と叫んで現実に戻りました。ここで、キムの最初の疑問に対する答が明かされます。現在の火星におけるストアとは、墓地のこと。その墓地にある死体を食べて生き延びたのは、千年前の殺人犯ビオランだけではなく、30年前のワタナベ、そして4歳のフォボスだったこと。フォボスに肉を食べさせて、自分では食べずに死んでいった二人の母のこと。

野田英樹は、「赤鬼」でも人間が人間ではなくなる究極のタブーとしてこのカニバリズムを描いており、そのことを知った「あの女」(小西真奈美)に死を選ばせていますが、本作ではフォボスに口の中にいつまでも残っている。(ダイモス「何が?」)人間……であることと語らせて、フォボスに救いを与えています。ラストシーンは、ストアの外へと駆け出していくダイモスとフォボス、二人を呆然と見送るワタナベとキム、その視線の先に高さを増していく植物の黄色い花。

希望も、絶望も、頭の中の絵空事からできている。幸福を図る値も、さまざまなタブーも、来るはずのない助けも。そんな虚無の星・火星を舞台にしながら、それでも最後に提示されたポジティブなメッセージにほっとする125分の芝居でした。そして、宮沢りえと松たか子、橋爪功と大倉孝二という4人の俳優の圧倒的な力量と魅力と、それを存分に引き出したこの舞台に、心からの拍手を送ります。

キャスト

ダイモス 松たか子
フォボス 宮沢りえ
ワタナベ 橋爪功
キム 大倉孝二
ビオラン 北村有起哉
ゲネラール 野田英樹
ガウイ 田中哲司
フィシコ 小松和重
マトリョーシカ 佐藤江梨子
パイパー 近藤良平(コンドルズ)
藤田善宏(コンドルズ)
山本光二郎(コンドルズ)
鎌倉道彦(コンドルズ)
橋爪利博(コンドルズ)
オクダサトシ(コンドルズ)

なお、役の上では妊娠するのは松たか子の方でしたが、実際は宮沢りえの方がこのとき妊娠6ヶ月。しかし、そうしたことは微塵も感じさせない、ダイナミックな演技を見せてくれていました。