源平布引滝

2008/12/06

国立劇場で、文楽「源平布引滝」。1749年初演、並木千柳と三好松洛の合作。平家全盛時の源氏方の人々の苦悩と木曽義仲の誕生等を描く全五段の時代物で、今回はそのうち二段目と三段目の上演となります。この二段目から三段目にかけては木曽義仲誕生譚で、ここで斎藤実盛がのちに加賀国篠原の合戦に髪を黒く染めて臨み、義仲の家臣手塚太郎光盛に討たれるエピソード(『平家物語』 巻第七「真盛」)の縁起が語られます。歌舞伎では、二段目が「義賢最期」、三段目が「実盛物語」となるわけですが、こうして半通しで観てみて、数年越しにやっとそれぞれのつながりが理解できました。しかも義賢、瀬尾、実盛、それに九郎助といった登場人物がそれぞれに「立って」いて、一瞬たりともだれるところがなく、とても見応えがありました。

「義賢館の段」。三輪大夫の朗々とした語りに乗って、義賢館に百姓九郎助が娘小まんと孫の太郎吉を連れてやってきます。九郎助は、七年前に出奔した婿の折平を訪ねてきたのですが、太郎吉がアイ父様に負はれて去にたい、抱かれたいと子供っぽくねだると九郎助はオオわれが抱かれたいより母が先へ抱かれたがるといきなり下ネタ!すると小まんは動揺して「ちょっとお父さん!こんなところで何言い出すの(その通りだけど)」という仕種を見せます。面白すぎ。その後、留守の折平が帰ってくるまで奥で待つようにと言われて三人は屋敷にあがりますが、奥へ下がりながらお屋敷の見事な造作に小まんが興味津々という風情なのも念が入っています。戻ってきた折平は待宵姫との痴話喧嘩もそこそこに義賢との問答、そして実は多田蔵人であると見破られますが、義賢が平家打倒の本心を明かすために縁先の小松を引っこ抜き、これで手水鉢を打ち欠いて(角のところが欠けて飛ぶ!)、ふたつに割らなかったのは水の『源』を保つためだと説明。そんなに手間ひまかけなくても、もう少しストレートな説明の仕方はないのか?この後、義賢と蔵人は同じ源氏として腹を割っての語り合いとなりますが、白旗詮議の上使がやってきて場の雰囲気は一変。二心ない証として蹴ってみせよと言われた源義朝の髑髏を前に顔を伏せている間に義賢の病鉢巻きが解かれ、憤怒の形相となった義賢と上使との立ち回りとなります。一人を逃し、一人を散々に打ち据えて殺した後、蔵人に待宵姫を委ねて自らは討死する覚悟を示す場面が、義賢の武人としての大きさを示して呂勢大夫・勘十郎さん共に魂のこもった名演でした。御簾内からのメリヤスのうちに素袍長袴姿に変わって、葵御前と腹の子との別れの盃。そして乱戦となって九郎助が槍をぶんぶん振り回すのが迫真で、下っ端の追っ手役の「大ぜい」さんたちは本当に怪我しないかとはらはらさせられました。義賢はここでも超人的な膂力を発揮して追っ手のひとりをつかみ上げ、九郎助を逃がれさせてから踏み殺してしまいましたが、後ろから平家方の進野次郎に組み付かれると、刀を自分の腹に突き立てて背後の進野も串刺しに。最期は刀を前に突いて肩で息をして(!)、小まんを逃した後刀を取り落とし、どうと前のめりに斃れます。

暗い湖岸の「矢橋の段」。源氏の白旗を託されて逃げる小まんは、追っ手に対して百人にも千人にも勝つて万と付けられて、人も知つた手荒い女と啖呵を切り、組み付いてきた捕り手をしつこい方!とぶん投げると、本当に人形が一回転。しかしさすがに多勢に無勢、かなわずと見て上手の湖に飛び込むと舞台後方の背景が二つに割れて巨大な御座船が現れ、前方にせり出してきました。このあたりは、歌舞伎にも負けない大掛かりな舞台機構の面白さ。そのまま「竹生島遊覧の段」に移って、御座船に引き上げられた小まんが飛騨左衛門に迫られ窮地に立ったところを斎藤実盛が刀を振るうと、白旗を持った腕が小まんの身体を離れて船上から湖面へ飛びました。この段は舞台の上もさることながら、四人の太夫が並んで一人一役を語り、特に左衛門の呂茂大夫は役柄そのままの邪悪な顔つき(失礼!)、清志郎さんも三味線をおそろしく前方に構えた独特の弾き方で、床の上がなんだか凄いことになっていました。

最後の「九郎助内の段」は、中(糸つむぎ)・次(瀬尾十郎詮議)・前(実盛物語)・後(綿繰馬)と次々に場面が展開します。まずは葵御前が匿われていることを訴人(密告)して金もうけをしないかと持ちかける甥の仁惣太と、これを天然系で軽くあしらう小よしのコミカルなやりとりに続いて、床がくるりと回ると「文字久大夫!」の掛け声。最初は静やかに、薄青の着物も寂しげな葵御前の愁いの様子を語っていましたが、九郎助と太郎吉が漁から戻ってきて雰囲気が変わります。網にかかっていたのは女の腕。ぎょっと引いている小よしと葵御前を「臆病な」と笑う太郎吉はなんとも不気味なガキ子供。ところがその腕が握りしめていたのが白旗とわかって大人三人は「これは小まんの腕?」と気づいたものの、太郎吉の手前はっきりと口には出されず顔を見合わせる、その呼吸が巧み。そこへ瀬尾十郎と斎藤実盛がやってきて、ここから瀬尾ワールドが展開します。憎々しげな瀬尾がナニ九郎助といふはおのれか!と威圧する大音声が客席を圧したかと思えば、葵御前が産んだ子を包んだという錦の包みから女の肘が出てきてこ、こ、こ、これ産んだかと腰抜かして吃驚、しかし九郎助と小よしの見え見えの芝居に苦笑いしてンフーフーフー、ハーハーハーと鼻で笑ってみせるなど、実に人間臭く自在の語り口。

千歳大夫に替わって、いよいよ実盛物語……ですが、九郎助一家の愁歎を世話で語ると素晴らしいのに、武将・実盛の物語の方はいまひとつまとまりを欠いたような気がします。最後は咲甫大夫にバトンタッチして、またしても瀬尾十郎フルパワー。小まんの骸を蹴飛ばすところを太郎吉が九寸五分で突きかかると、一度は切っ先を払ったものの二の太刀は脇に受けて苦悶混じりに座り込みます。ここから、あえて刃を身に受けた訳を苦しい息で語るところがまたしても聴かせどころ。ついには刀を自分の首の後ろに当てて太郎吉にえいえいと引かせ、後ろに倒れ込んだ瞬間に首だけが身体の前に現れました。この功によって駒王丸の家来となることを許された太郎吉改め手塚光盛は、のちに実盛と加賀篠原でまみえることになります。「鬢髭を染め」「坂東声」などは、『平家物語』での描写(びんぴげのくろいこそあやしけれ / 声は坂東声で候つる)をそのまま踏まえた表現です。最後は、馬上の実盛、綿繰馬の光盛それぞれに決まって幕となりました。

配役

義賢館の段 竹本三輪大夫
竹澤宗助
豊竹呂勢大夫
鶴澤清友
矢橋の段 豊竹芳穂大夫
鶴澤寛太郎
竹生島遊覧の段 実盛 竹本津国大夫
小まん 竹本南都大夫
左衛門 豊竹呂茂大夫
忠太 豊竹靖大夫
宗盛 竹本文字栄大夫
  鶴澤清志郎
九郎助内の段 豊竹睦大夫
鶴澤清馗
竹本文字久大夫
野澤錦糸
竹本千歳大夫
豊澤富助
豊竹咲甫大夫
鶴澤燕三
〈人形役割〉
葵御前 豊松清十郎
待宵姫 吉田玉英
百姓九郎助 吉田玉也
女房小まん 吉田和生
倅太郎吉 吉田蓑紫郎
折平実は多田蔵人行綱 吉田文司
木曽先生義賢 桐竹勘十郎
高橋判官長常 桐竹亀次
長田太郎末宗 吉田勘緑
進野次郎宗政 吉田幸助
横田兵内 吉田文哉
軍蔵 吉田玉誉
塩見忠太 桐竹紋秀
宗盛公 桐竹紋臣
飛騨左衛門 吉田蓑一郎
斎藤実盛 吉田玉女
船頭 吉田玉勢
九郎助女房 桐竹紋豊
矢橋仁惣太 吉田勘市
瀬尾十郎 吉田玉輝
庄屋 桐竹紋吉
腰元 大ぜい
軍兵 大ぜい
郎党 大ぜい
近習 大ぜい
猟師 大ぜい
実盛の家来 大ぜい

あらすじ

義賢館の段 平治の乱での源氏の敗退ののちも、源義賢は平家打倒の志を捨ててはいなかった。しかし、源氏の白旗詮議の清盛の使者の横暴に耐えかねた義賢は、使者を血祭りにあげ、身重の葵御前を百姓九郎助に預け、白旗を小まんに託して壮絶な最期を遂げる。
矢橋の段 小まんは追手との立廻りののちに、琵琶湖へと飛び込んで難を逃れる。
竹生島遊覧の段 平家に仕えながらも源氏に心を寄せる斎藤実盛は、竹生島参詣の平家の御座船に助け上げられた小まんが白旗を手にしているのを見つけ、平家方の手に落ちないように小まんの腕を切り落とす。
九郎助内の段 葵御前を匿う九郎助の家に平家方の武将、瀬尾十郎と実盛が源氏の胤を宿す葵御前の詮議にやってくる。瀬尾は誕生するのが男子であれば命を奪うと責め立てるが、実盛の一言で危機を脱する。こうして誕生した男子が駒王丸、のちの木曽義仲となる。その一部始終を密かに見ていた瀬尾は男児を渡すようにと迫り、小まんの死骸を足蹴にする傍若無人に、小まんの子・太郎吉は瀬尾に剣を突き立てる。実は太郎吉は瀬尾の孫で、孫に手柄を立てさせるために、望んで剣を受けたことが明かされる。実盛は駒王丸の家臣となった太郎吉と戦場での勝負を約して、駒王丸らを信濃へと逃す。