仮名手本忠臣蔵

2008/10/18

浅草寺の仮設小屋平成中村座で通し狂言「仮名手本忠臣蔵」。今回はAからDまで四つのプログラムに分かれていて、AプロとBプロが基本セット、Cプロは加古川本蔵セット、Dプロが若手セットという位置づけ。この日はAプロを観ました。これまで平成中村座は「法界坊」にしろ「夏祭浪花鑑」にしろ斬新な演出(串田和美)が売りのひとつだったという印象がありますが、今回「仮名手本忠臣蔵」では勘三郎丈曰く「自分の考えや工夫は、一切入れ」ないとのこと。この古典中の古典にがっぷりと正面から取り組み、中村屋の次世代に伝えていこうという正攻法の企画です。

秋晴れの空の下、外国人観光客の姿が目立つ浅草寺の本堂裏手に幟を多数押し立てた直方体の建物が、今回の平成中村座。狭い入口から中に入ると、客席も横幅が狭く縦方向に長いつくりになっていて、その小振りな空間が江戸の芝居小屋を連想させます。また、定式幕はもちろん中村座の「白・柿色・黒」。私の席は一階席下手の舞台から3つ目、ちょうど花道の七三が目の前に来る位置で、歌舞伎座なら西桟敷席に当たるロケーションです。

古式に則り、まずは口上人形が幕前に登場して、えへんえへんと咳払いをしながら当日の役人替名(配役)を紹介。ついで鳴物・柝が入り、極めてゆっくりと幕が引かれて「大序」となります。舞台上の役者たちは目を閉じうつむき加減で、まだ人形に命が入っていない様子。東西声が七つ響いて竹本が語り始め、順に名前を呼ばれるごとに魂が入って身じろぎを始めるという、たいへん様式的なオープニング。まずは七之助丈の直義から台詞が始まりますが、たいへんノーブルかつ凛としていて、特に、兜実検を終えた顔世御前に「顔世、大儀」と声を掛けたときの笑みを含んだ表情など非の打ち所がない直義です。この直義と並んで上段上手寄りに控える橋之助丈の高師直が、何と言うか強烈。今まで橋之助丈の敵役というと斧定九郎の五十両……とか民谷伊右衛門とかニヒルな色悪のイメージがあったのですが、この高師直は顔世御前へのセクハラ、若狭之助へのパワハラとなんでもありの憎々しさ。しかも格に応じた貫禄が失われておらず、怪演といっていいくらいです。また、勘太郎丈の若狭之助の若さゆえの直情径行、勘三郎丈の塩冶判官のおっとりとした振る舞いが対照的で、かつ後に続く悲劇の予兆となります。しかし、孝太郎丈の顔世御前が真っ白の塗りで目の前数mの位置に来たときには、さすがにちょっと不気味でした。

三段目は、足利館表門前の駕篭の中に師直がいるという設定で、その前で半道敵・鷺坂伴内と奴たちのコミカルなやりとりから。若狭之助の忠臣・加古川本蔵が師直へ目通りを願ってやってきたという注進が入ったのに鶴ヶ岡での遺恨を晴らすためであろうと勘違いをした伴内たちは、本蔵を斬る算段をします。奴たちにせがまれて稽古をつけることになった伴内は、自分が本蔵に挨拶の言葉を述べて右足を出した途端にばっさりと殺れ、と手順を決めますが、稽古をしてもなかなかタイミングが合いません。やっとうまくいってできた!と判内が喜んだのもつかの間、実は本蔵は若狭之助との関係修復を願って師直ほかに賄賂を持参したことがわかり、伴内が進物に近づこうと右足を出すと奴たちが本蔵に斬り掛かるのを必死に止める羽目になり、場内は大爆笑。

いったん幕が引かれ、素早くうすべりが敷かれて「松の間」。目を剥き殺気を全身に漲らせた若狭之助が折しもそこへ入ってきた師直のもとへ駆け寄ると、本蔵の賄賂が効いた師直は打って変わって超下手。刀を投げ出し平伏して鶴ヶ岡での仕打ちを詫びる惨めな姿に斬るに斬られなくなった若狭之助は、憤懣やる方なしという表情で馬鹿な侍だ!と捨て台詞を吐いて館奥へ引っ込みます。まだ平伏して詫びを言い続けている師直のもとへ伴内が駆け寄り若狭之助が去ったことを告げると、起き直った師直はがらりと風情を変えて小僧め、本気で俺を斬る気とみえる。馬鹿ほど怖いものはないなあとケロリとしたもの。格が違う!そしてとばっちりを受けるのが、この後に花道をやってきた塩冶判官。まずは出仕が遅いとクレームをつけられ、さらに折悪しく届いた顔世御前から師直への文がさなきだに重きがうえの小夜衣わがつまならでつまな重ねそと、要するに交際お断りの内容なので師直の仕打ちはエスカレートし、鮒だ鮒だ、鮒侍だになってきます。ここが難しいところ。大序ではキレかかる若狭之助をやんわり押しとどめる冷静な役回りの塩冶判官が、この場のやりとりだけでお家断絶につながる刃傷沙汰に及ぶのですから、師直のいたぶりようには「そうまで言われては仕方ない」と思わせるだけの悪さ強さがなければならないし、塩冶判官の葛藤の高まりもしっかり見せなければなりません。そしてここでも、橋之助丈の師直は成功していました。底意地の悪い苛烈な苛め、そしてきっとなった塩冶判官に少々びくつきながらも刃傷には及ぶまいと高を括って罵詈を重ねる嫌らしさ。この場は師直最大の見せ場となりました。とうとう刃傷となった刹那、加古川本蔵が塩冶判官を背中から抱きとめ、大名たちもわらわらと駆け込んで混乱のうちに幕。

この後に「道行」ではなく原作通りの「裏門」を持ってきたのが今回の公演の工夫で、顔世御前の腰元おかるとの逢い引き中に主人の塩冶判官が刃傷沙汰を起こして館の門は閉められ、判官の館も閉門。行き先を失った早野勘平が一度は自害を覚悟するものの、おかるの説得で山崎へ落ちることになるくだりが、竹本に乗った舞踊として語られます。その後におかるに横恋慕する伴内が出てきて引き止め、奴たちとの立ち回りとなりますが、狭い舞台の上で奴がとんぼをきったりするからかなりの迫力。

休憩時間にトイレに立つと凄い行列になっていましたが、係の女性が「平成中村座名物お手洗いでございます!ただいま満席でございます」などと面白おかしく案内してくれているのでいい雰囲気。柿色の法被や作務衣を着たか係員さんたちはいずれもはきはきして、しかもフレンドリーで好感がもてます。そして、次の「切腹の場」は上演中は出入り禁止となることが告げられました。もちろん、場の厳粛さを活かすための昔からの約束事です。

四段目、「切腹の場」は彌十郎丈の石堂右馬之丞と亀蔵丈の薬師寺次郎左衛門というお約束の善悪上使コンビで、情と理をわきまえた石堂の爽やかさに対して憎々しげな薬師寺は最初の肩を怒らせた花道の出からいかにも亀蔵ワールド。上意として領地没収・切腹が告げられると、白装束姿になった塩冶判官の前に畳2枚が運び込まれ、白布で覆われるとともに四隅に竹筒・榊が置かれてあっという間に切腹台の出来上がり。以下、作法にのっとった手順を重ねて厳粛な雰囲気の中にとうとう腹に刃を突き立てたところで花道をこけ転ぶように仁左衛門丈の大星由良之助が駆けつけて、場内から「松嶋屋!」の掛け声と拍手が沸き起こりました。そこへ石堂が立ち上がり苦しゅうない、近う、近う!と大音声で呼び掛け、塩冶判官のもとへ急がせます。ここからが見どころ。苦しい息の塩冶判官は由良之助に聞いたか無念、そして由良之助に九寸五分(切腹の刀)を形見とすると告げ、目と目で自身の無念を晴らせと命じると、察した由良之助も委細とだけ答えて平伏します。このあたりの、ぴんと張りつめた空気の中で説明的な台詞の一切が削ぎ落とされた心理劇のようなやりとりが、歌舞伎ならではの演出です。そして、これを見て満足した塩冶判官は、従容と死につくのです。

この後、血気に逸る諸士たちを引き止める台詞の迫力、恨むべきは唯お一人でござるぞと絞り出す声と目の鋭さ、さらには表門でも駆けつけた諸士たちに城明け渡しを説得する大きさなど、時代物ならではの人物造形で由良之助の貫禄が示されますが、由良之助の本領はこの後。暗い門前に一人残された由良之助は形見の九寸五分を取り出し、刃についた血を手にとり舐めて凄い形相で仇討ちを誓いますが、明けの酉の声に館を後にします。背後の門が下がることで距離的にも心理的にも館が遠ざかることが示され、花道七三で涙ながらに平伏して塩冶判官の魂に別れを告げると、幕が引かれます。そこで立ち上がった仁左衛門丈の思い入れのこもった演技は、一切の台詞抜きで由良之助の万感の思いと孤独とを圧倒的な存在感で見せ、ついに振り切るようにして花道を去るときには満場の拍手と歓声に包まれました。

2008/10/20

仕事の都合で五段目を観ることはできませんでした。橋之助丈の斧定九郎を久しぶりに観たかったのですが、こればかりは仕方がありません。

場内に入ったときは六段目、身売りしたおかるが判人源六たちに連れて行かれようとするところへ早野勘平が戻ってくる場面。その場のやりとり(「四つ半」「財布」がキーワード)の中で自分が銃で撃った相手が舅だと知り(実は勘違いなのですが)勘平の顔色が変わります。結局おかるは祇園に向かうことになり、勘平と別れを惜しむ愁嘆場となりますが、おかるの方は単純に夫との別れを泣いているのに対し、勘平の方はおかるとの別ればかりでなく自分の犯した罪の深さにおののいてもいるわけで、勘三郎丈のこの複雑な嘆きの表現はさすが。それにこの場は、大名である塩冶判官が主人公のAプロのかっちりした時代物の舞台に対して、猟師となった勘平と女房おかるとのやりとりを中心に世話にくだけるところですが、そうした中にもきちきちと形を決めながら勘平が心理的に追い詰められていくさまが描かれて、この後の切腹へと無理なくつながっていく作劇術の妙にほとほと感心します。その切腹はいすかの嘴のくいちがいと様式的な台詞で聞かせ、腹に巻いたさらしの血糊、ざんばら髪への変身も鮮やかに、今際の際の見得へなだれこみます。

七段目は有名な祇園一力茶屋の場。この場は、見どころがいくつかに分かれます。まずは、遊興に耽っているかに見える由良之助の酔態と本心との対照的な姿。その切り替えは、力弥が紫の頭巾をかぶって花道にしつらえられた茶屋の木戸越しに顔世御前からの密書を由良之助へ渡す場面で鮮やかに示されます。そして、受け取った密書を釣燈籠のもとで読む由良之助と、手鏡で盗み見る二階のおかる、縁の下の斧九太夫の三者が作る三角形の構図。おかるの簪が落ちたのをきっかけにおかるにも九太夫にも密書を読まれたことを知った由良之助が、急にじゃらじゃらとくだけておかるを梯子で呼びおろし、身請けしようと持ちかけて扇に隠す殺意と、無邪気に喜ぶおかる。ついで由良之助が奥に引き込み、父母に手紙を書くおかるのところへ寺岡平右衛門がやってきてコミカルな再会となります。ここからは、平右衛門・おかる兄妹の二人芝居がかなり長く続きます。最初はひゃっ、お前は兄さんで互いに気づき、いい女になったなあとほめそやす兄の求めに応じておかるがこうでござんすかえと遊女ポーズをとってみせ、ついで本当は勘平の様子を聞きたいのにか、か、母(かか)さんはお達者でござんすかえ? / か、か、父(とと)さんは……。ところがここで平右衛門の表情が曇りだします。そしておかるから密書を残らず読んだその後で、互いに見交わす顔と顔と身請けの顛末を聞かされて最初は腑に落ちない風だった平右衛門も、由良之助がおかるを殺すつもりであることを悟って読めたーっ!と大音声。ここでは平右衛門は由良之助が仇討ちの意思を守っていたこと、そして自分が由良之助の考えを読み解いたことを軽輩らしい単純さで喜んでおり、御家老様の手をわずらさせるまでもなく、私めがすっぱりと……と言ったところで、これが目の前にいる自分の妹を殺すことになるのだと気づいてフリーズ。しかしついに斬りつけた兄に対して、おかるが必死に逃げる際に投げ上げた懐紙の束が宙で見事にばらけてひらひらと美しく散り、この間におかるは花道の木戸へと逃げていきます。この後、木戸のこちらとあちらとで、緊迫していながら妙におかしい天然系兄妹のやりとりが続き、とうとう父も夫も亡くなったことを知ったおかるは兄の手にかかろうとして、やっと由良之助の早まるなが入ります。ここまで、時折竹本の力を借りながらも二人だけで緩急織り交ぜながらまったく弛みのない舞台を作り上げる孝太郎丈と橋之助丈の芸の力にノックアウトされます。顔世御前の白塗りが不気味だなどと言ったことも撤回。また大貫禄の実悪・師直と忠義一徹の足軽・平右衛門というまったく対照的な役柄を見事に演じ分けた橋之助丈に大拍手。

最後の十一段目、討入りから引揚げまではスピーディーに流れ、この中でも小林平八郎と竹森喜多八とのおよそ歌舞伎とは思えないダイナミックな立ち回り(高速での太刀の打ち合い、かじかむ手、一本背負いに巴投げ、最後にはコサックダンスまで!)には感嘆の声が上がり、最後の花道の引揚げも華やかな締めくくりとなりました。

忠臣蔵は、仇討ちの発端から成就までを縦糸としつつ、そこに死と色と金を織り込んでいるとよく言われます。まず「死」は、判官の死、勘平の死、今回は描かれなかったが加古川本蔵の死の不本意な死。そしてそれらは由良之助らによる仇討ち、勘平の連判状への血判、力弥と小浪の婚礼成就によって救済されます。「色」は、師直の顔世御前への横恋慕、おかると勘平、力弥と小浪。横恋慕は大きな悲劇の原因となり、おかると勘平の仲はそれ自体が悲劇に終わり、そして力弥と小浪も一夜限りの夫婦に終わります。さらに「金」は、とりわけおかるを売った半金の五十両が巡り巡っておかるの父、斧定九郎、早野勘平の三人の命を奪う魔性を発揮します。このように縦横絡みあった筋を限られた人数で分担し見事に演じきった中村屋の面々には、脱帽。とりわけ今回は、橋之助丈の充実ぶりに目を見張る思いがします。また、仮設とは言いながらそれ自体が江戸の雰囲気を蘇らせて舞台効果を引き上げていた平成中村座の劇場空間も、これまでに経験してきた専用劇場(歌舞伎座、国立劇場、京都南座、道頓堀中座)のいずれとも異なる味わいがあって楽しいものでした。

配役

大序 足利左兵衛督直義 中村七之助
高武蔵守師直 中村橋之助
桃井若狭之助安近 中村勘太郎
顔世御前 中村孝太郎
塩冶判官高定 中村勘三郎
 
三段目 塩冶判官高定 中村勘三郎
桃井若狭之助安近 中村勘太郎
加古川本蔵 中村小三郎
鷺坂伴内 片岡松之助
高武蔵守師直 中村橋之助
 
早野勘平 中村勘太郎
腰元おかる 中村七之助
 
四段目 塩冶判官高定 中村勘三郎
石堂右馬之丞 坂東彌十郎
薬師寺次郎左衛門 片岡亀蔵
斧九太夫 中村山左衛門
原郷右衛門 中村勘之丞
大星力弥 坂東新悟
顔世御前 中村孝太郎
大星由良之助 片岡仁左衛門
 
五段目 早野勘平 中村勘三郎
千崎弥五郎 中村勘太郎
百姓与市兵衛 中村勘之丞
斧定九郎 中村橋之助
 
六段目 早野勘平 中村勘三郎
女房おかる 中村孝太郎
判人源六 片岡亀蔵
千崎弥五郎 中村勘太郎
不破数右衛門 坂東彌十郎
 
七段目 大星由良之助 片岡仁左衛門
遊女おかる 中村孝太郎
大星力弥 坂東新悟
赤垣源蔵 中村勘之丞
斧九太夫 中村山左衛門
鷺坂伴内 片岡松之助
寺岡平右衛門 中村橋之助
 
十一段目 大星由良之助良兼 片岡仁左衛門
大星力弥良春 坂東新悟
不破数右衛門正種 坂東彌十郎
竹森喜多八隆重 中村七之助
高師直 片岡松之助
小林平八郎 中村勘太郎
寺岡平右衛門信道 中村橋之助
服部逸郎 中村勘三郎

あらすじ

→ [こちら