ジョン・エヴァレット・ミレイ展

2008/09/07

この週末は天気が悪いという予報だったので山へは行かず絵画鑑賞三昧、ということにしたのですが、蓋を開けてみればそこそこよい天気。うーん、これなら沢登りでも行けばよかったか?と後悔しましたが、著名な《オフィーリア》を中心とする19世紀イギリスの画家ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829-1896)の展覧会はぜひ押さえておきたい企画だったので、これもやむなし。《オフィーリア》自体は10年前に「テート・ギャラリー展」で見たことがありますが、Bunkamura ザ・ミュージアムでの今回の展示は、ラファエル前派兄弟団を結成してアカデミズムに反旗を翻した若い頃はもとより、国民的画家として功成り名を遂げた晩年までの画業の全体像を見渡すもの。展示の構成は、以下の通りです。

  1. ラファエル前派
  2. 物語と新しい風俗
  3. 唯美主義
  4. 大いなる伝統
  5. ファンシー・ピクチャー
  6. 上流階級の肖像
  7. スコットランド風景

全体を通して見て、最も刺激に満ちていると感じるのが、企画意図には少々反するもののやはり「ラファエル前派」時代の作品群です。ラファエル前派兄弟団は、ラファエロを理想とする古典的人物画の形式主義に重きを置いたロイヤル・アカデミー・スクールの方針に異を唱え、中世や初期ルネサンスを範として様式にとらわれないプリミティヴで直接的な表現法と緻密な自然描写を実現しようとする7人の画家・批評家の結社。そのムーヴメントから創り出された最初の成果が、宗教画《両親の家のキリスト(大工の仕事場)》(1849-50年)です。手に釘を刺してしまった幼いイエスが画面の中央に立ち、苦悶の表情を浮かべたマリアが跪いてイエスに頬を寄せ、大工の父ヨセフが心配そうに手を差し伸べており、右側からは少年の姿をした洗礼者ヨハネが眉根を寄せて水を持ってきます。肩の高さにかかげられたイエスの左手の平からは血が流れ、下に落ちてイエスの足の甲にも血の跡を作っており、後の運命を予告しているかのようです。こうしたドラマティックな人物表現や、中央の作業台や床のカンナ屑のひとつひとつに見られる細密な描写のもたらす迫真性に圧倒され、じっと見入りましたが、当時は宗教画が持つべき(とされていた)崇高さを否定するものとして、この絵はたいへんな悪評を招いたそうです。

ミレイは、同時代の文学作品にも多く題材を求めました。詩人コヴェントリー・パットモアの詩篇「木こりの娘」に題材をとった《木こりの娘》(1850-51年)は、少女の世俗的な顔立ち(でもかわいい)が印象的ではあるものの画面構成が整理されきっていない印象を受けますが、アルフレッド・テニスンの詩「マリアナ」に基づく《マリアナ》(1850-51年)の、腰に手を当てて立つ美しい主人公の官能と倦怠感を漂わせる仕種や表情は、細密に描きこまれた部屋の調度や窓の外の草木の中で、生身の人物としての際立った存在感をもち、見れば見るほど引き込まれます。

そして、思いがけず早いタイミングで《オフィーリア》(1851-52年)が登場します。あまりにも有名なこの絵に関しては、もはや説明は不要でしょう。会場の一角では、テート・ギャラリーの学芸員がこの絵について解説する8分のムービーも流されており、さまざまな逸話を知ることもできます。

続く「物語と新しい風俗」のコーナーでは《1746年の赦免令》(1852-53年)と《救助》(1855年)の明暗を活かした劇的な表現が素晴らしい。前者では、ジャコバイトの反乱の囚人である夫の放免令を持って夫を迎える妻(モデルは後にミレイの妻となるエフィー・ラスキン)の姿を描いており、登場人物の衣服や革靴の質感がリアルで、真ん中で釈放された主人に飛びつく犬の背中は思わずなでてやりたくなるほど。後者は火災の中から子供3人を救い出した消防士を右手で階段の下から母親が狂喜しながら迎える場面を描いており、画面左手からの赤い光が作る火災の脅威と消防士の大きな身体が作る影が安全の証となる見事な構図です(図録がこの絵の色彩をまったく再現できていないのが残念)。

この後には、1850年代後半からの明確な主題をもたない唯美主義の作品群、1870年頃から一転して描かれるようになる主題絵画、さらに数々の卓越した肖像画が並びますが、それらのいずれにおいても人物の内面に切り込むような迫真の描写(とりわけ目の表現)に圧倒されます。しかし、そうした中で思わずにこりとさせられるのが、「ファンシー・ピクチャー」のコーナーに置かれた対作品《初めての説教》(1863年)と《二度目の説教》(1863-64年)です。これらは当時5歳の長女エフィーが教会で礼拝に出席している姿を描いていますが、《初めての説教》では緊張して信徒席に一人しゃちほこばっているエフィーが、《二度目の説教》ではすっかり行儀が悪くなって居眠りをしてしまっています!

そして最後のコーナーでは、ミレイが描いたスコットランドの風景画が数点掲げられ、穏やかに展示を終えます。

朝10時の開館直後に入場したので人は少なく、前半はひとつひとつの絵をじっくりと鑑賞することができましたが、あいにく11時半にBunkamura内で人と待ち合わせがあったために最後は駆け足になってしまい、そのことが、企画側の意図と異なる見方につながってしまった可能性もあります。上述のように1850年代前半までの作品に見るべきものが多いと感じたのですが、この展覧会の真の目的は、従来「ラファエル前派の」という形容つきで紹介されることの多かったミレイを、その文脈から切り離してトータルに見せようというところにあったのですから。

会期は10月26日までとのことですが、たいへん見応えのある作品がたくさん並んでおり、なるべく早い時期に、2時間以上かけてじっくり見ることをお勧めします。

例によって「ドゥ マゴ パリ」で出している「ジョン・エヴァレット・ミレイ展記念メニュー」は、「サーモンのポワレ ソースベール 森のきのこ添え」。《オフィーリア》で描かれている森や水面の緑をイメージしたそうで、とてもきれいです。

そして、嬉しいサプライズ。大好きなアンドリュー・ワイエスの展覧会が、今年の11月8日から12月23日まで、このザ・ミュージアムで開催されるのだそうです。これは何としても見なくては。