熊野

2008/04/19

一週間前に観損ねた「熊野」(「ゆや」と読む)を、幕見で、しかも立ち見で。2月にセルリアンタワー能楽堂で観た「熊野」を長唄舞踊に移したものなので、その違いを見てみたいというのが1時間も行列した理由です。

能がかりの典雅な演目らしく、定式幕が引かれるのではなく緞帳が上がると、もうそこは貴人の邸。上手には斜めに緋毛氈の三段、手前から鳴り物・笛、三味線、長唄。下手から出てくる朝顔が唐織の下に裾を引いているのも、なるほど歌舞伎です。朝顔の訪いを受けて花道を進んできた熊野は、七三に止まって朝顔から故郷の母が病に臥せっていることを聞き、舞台中央へ進みます。ここは宗盛を訪ねるところ、従者を下手から呼んで宗盛を呼び出してもらうと、下手から宗盛が登場し、後見が運ぶ葛桶の床机に掛けます。今度は熊野と宗盛の問答になりますが、仁左衛門丈がずいぶん甲高い声を使うのに驚きました。よく時代劇でステレオタイプの貴族がてっぺんから声を出しているのを見ますが、あの感じ。能の「熊野」では冥界から響くような落ち着いた声だったので、ひときわ違いを感じます。文を読むところは見るまでもなし、それにて高らかに読み候へのパターン。そして文の段を熊野と長唄が交互に引き取り合い、玉三郎丈は長唄に乗って右手に扇、左手に文、中腰での型を見せます。熊野の願い空しく暇乞いは却下され、清水の花見への同道を命じられて七三で連れ舞となる(車の作リ物は出ない)うちに、舞台上は桜が満開の清水寺の舞台となり、舞台中央で二人は扇での見得。その後、しばし御堂に籠るところは七三で、ゴーンという鐘の音を合図に清水寺の鐘の声、祇園精舎をあらはし、諸行無常の声やあらんと地謡ならぬ長唄に乗って舞います。いよいよ宗盛に呼び出され、後ろを向いて袖で面を覆う姿を見せてから、ひとさし舞い候へかしこまって候で定石通り早い拍子の舞を見せますが、花びらがひらひらと落ちて来て村雨留め。三味線が消え、鼓・笛が静かに鳴る中、熊野は扇を筆に見立てて短冊に歌を認めます。宗盛は短冊を手にとり一読後振り返って、

宗盛 いかにせん都の春も惜しけれど
熊野 なれし東の
長唄 花や散るらん

さすがの宗盛も心打たれて、熊野に暇を許します。ここから、能の「熊野」では熊野は宗盛の気が変わらぬうちに!とさっさと帰郷してしまうのですが、それでは仁左衛門丈の顔が立ちません。よって当然、こちら歌舞伎では別れを惜しみ手をとっての連れ舞を見せ、さらに扇で面を隠して七三に移ってそこでも宗盛と顔を見合わせると、ようやく熊野は下がっていきます。これを舞台中央で宗盛が扇をかざして見送り、幕。

……とまあこんな具合に能と歌舞伎の違い探しという不純な(?)動機で見た「熊野」ですが、これは予備知識なしで観るのはちょっときつかったでしょう。昼食休憩直後の演目ということもあってか、目の前の三階席では意識を失っている客が少なくありませんでした。

配役

熊野 坂東玉三郎
従者 中村錦之助
朝顔 中村七之助
平宗盛 片岡仁左衛門

あらすじ

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