御茶の水 / 歌占

2008/04/18

国立能楽堂の定例公演で、狂言「御茶の水」と、能「歌占」。今回は正面席で観ましたが、なるほどここからだと演者の前後の動きで遠近感が生まれ、曲のダイナミズムが際立つことが後でわかりました。やはり能は、正面で観なくては。

御茶の水

いわゆる新発意(しんぽち)もの。住持に反抗する新発意は、主と太郎冠者の関係のようなものです。住持が晴れの客が来るので野中の清水を汲んでこいと命じるのに、新発意は自分は水を汲んだことがないから門前のいちゃ(若い娘)に汲ませるようにと返答して、頑として行こうとしません。頭に来た住持は新発意にすっこんでいさしめ!(すっこんでろ!という表現がこんな昔からあったとは)と罵り、新発意はアイ座へ。仕方なく住持は橋掛リに出ていちゃを呼び出し、水汲みを命じて桶を手渡すと退場します。見た目はあまり女らしくないいちゃですが、もう暗くなろうとしているのに野中まで水を汲みに行くなんていやだな、という心細さ(住持が最初に新発意に水汲みを命じたのも、これが理由)を示しながら舞台を回って清水へ。ここで心細さを紛らわせるために扇を使いながら小歌を謡うところへ、新発意が後ろから近づいて謡いかけます。つまり、新発意が住持の命を断ったのは、いちゃと野中でデートしたかったからだということがここでわかります。最初はびっくりしたいちゃですが、「閑吟集」に収録されているという中世の歌謡を新発意と謡い交わして、風情があっていい感じ。そこへ住持が、いちゃの帰りが遅いと心配してやって来ますが、なんのことはない、いちゃと新発意がいちゃいちゃ(?)しているのを見てまたしても怒髪天。このあたりから一気にコミカルになってきて、住持の声にいちゃは新発意をかばうようにして地謡座側へ隠しますが、いちゃを突きのけた住持は扇で新発意を打擲し、新発意は「痛い痛い」と声を上げます。これを見ていちゃが住持を止めようとすると、住持は今度はいちゃまで打擲し始めたために、とうとう逆ギレした新発意が住持につかみかかり、取っ組み合いとなってしまいます。二人の間で右往左往していちゃでしたが、最後には住持の足をとって突き倒し、いちゃと新発意は連れ立って橋掛リを下がっていき、住持もやるまいぞやるまいぞと後を追って消えます。

歌占

次第の囃子に続いて、子方・幸菊丸とツレ・男(西村高夫師)が登場。子方の伊藤嘉寿君は1999年生まれ、お父さん(伊藤嘉章師)が後見についていますが、ちょっと緊張気味ながらも凛々しい面持ちで脇座へ立ち、ついでツレの名ノリ。「歌占」のこの男の役柄を、上掛り(観世・宝生)ではツレが、下掛り(金春・金剛・喜多)ではワキが行うことになっているようです。続いてシテ・度会某(清水寛二師)が、白い短冊を何枚もぶら下げた手束弓を手に登場。長く垂れた白髪とやや前傾した姿勢がただならぬ雰囲気。ツレがシテに、見れば若いのになぜ白髪なのか?と問うのに、ある時俄に頓死す、また三日と申すに蘇ると臨死体験を説明。その後まずはツレが歌占を引き、北は黄に、南は青く東白、西紅のそめいろの山という歌を引いたのでシテが解説をしてみせるのですが、それ須弥は金輪より長じて、その丈十六万由旬の勢ひ、四洲常楽の波に浮かみ、金銀碧瑠璃、波玉迦宝の影、五重色空の雲に映るなどとやたらと難解。まあ仏教の世界観に関する予備知識があれば何とか理解できなくもないのですが、これを英語字幕ではどう訳しているのか?と興味が湧いて字幕システムのボタンを押してみたところ、直訳調の「metal level」がどうしたこうしたで、次々に字幕が映り変わるのでとても目で追えませんでした。ともあれ、歌占の結果、父の病が治るであろうと告げられ喜んだツレは、幸菊丸をシテに紹介。ここで幸菊丸が引いた歌を読む鶯の卵の中の郭公、己が父に似て己が父に似ずが第一声。高いがよく通る声で、見事です。父を捜しているという幸菊丸に対し、この歌は既に父に会ったという占だったことから、ここでシテと子方の問答。その結果シテこそ幸菊丸の求める父であることがわかって、低く静かな地謡のほど経て今ぞ巡り逢ふ、占も合ひたり親と子の……ふたたび逢ふぞ不思議なるにシテは喜んで幸菊丸の肩に手をやり、ついでシオリ。この親子の再会がこの曲の筋の上での主題で、非常にわかりやすく感動的ですが、主眼はこの後に見せる「地獄之曲舞」です。二人の様子を見ていたツレが、シテに地獄の有様を曲舞に作りておん謡ひある由承り及びて候、とてものことに謡うておん聞かせ候へと頼むと、シテは最初はためらいながらもよしよし帰国のことなればと意を決して一曲謡うことになります。クセ、地謡が須臾に生滅し、刹那に離散す……以下地獄の模様をこれまた難解な詞章で謡う間、シテは床机に掛けたまま一度は幸菊丸の方を見やりますが、あとはじっと姿勢を止めたまま。しかしここの緊張感がもの凄く、こちらも固唾を飲んで見守っていると、やがて指を折って故人を数ふればで左手を指折り、三界無安猶如火宅から舞い始めます。地謡が謡う阿鼻叫喚の地獄図の詞章に乗って舞は激しくなり、足を踏み鳴らしながらまるで舞台の上をのたうち回るよう。さらに橋掛リを二の松まで下がり、戻りかけて一の松であら悲しやただ今参りて候ふに、これほどはなどやお責めあるぞと嘆きの声を上げるところへツレが不思議やまたかの人の神気とて、面色変はりさも現なきその有様。橋掛リから舞台へ戻ったシテが、地謡の足踏みはとうとうと、手の舞ひ笏拍子、打つ音は窓の雨の、震ひわななき立つつ居つで激しく膝を突きながら回っていましたが、神は上がらせ給ひぬとてようやく正気に戻り、静かに幸菊丸の肩に手をかけて先に下がらせ、伊勢の国へぞ帰りけるで留め拍子を踏みます。前半の親子の再会までの台詞のやりとり、後半の緊迫感溢れる曲舞と、豊かな見どころ聴きどころを味わった一曲でした。

配役

狂言(大蔵流)「御茶の水」 シテ・新発意 山本則直
アド・住持 山本東次郎
アド・女 山本則俊
 
能(観世流)「歌占」 シテ・度会某 清水寛二
ツレ・男 西村高夫
子方・幸菊丸 伊藤嘉寿
主後見 観世銕之丞
地頭 山本順之
槻宅聡
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 國川純

あらすじ

御茶の水

清水を汲みに行く途中の門前のいちゃに、新発意が恋を歌いかける。心配してやってきた住持がこれを見て怒り新発意と取っ組み合いになるが、いちゃに足をとられた住持が倒れる間に、新発意といちゃは逃げていく。

歌占

一度死んで蘇生したという男巫・度会某は、歌占によって生き別れた我が子と再会し、かつて自分が目の当たりにした地獄の有様を曲舞で見せる。そのうちに神がかりの狂乱となるが、やがて狂いから覚め、我が子を伴って伊勢へと帰っていく。