京都五山 禅の文化展

2007/08/25

上野の東京国立博物館で開催されている「京都五山 禅の文化展」を観てきました。足利義満600年御忌記念と銘打って、京都五山やゆかりの寺院に伝わる禅文化の名品を集めた展示です。禅宗の五山の制度は、インドの五精舎に由来して宋代の中国で生まれた官寺の制度にならって鎌倉時代に始まり、足利義満のときに第一位から第五位までを天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺とし、南禅寺を「五山之上」として確定しました。さらに本展では、相国寺の境外塔頭として鹿苑寺(金閣)と慈照寺(銀閣)を加えています。

全体の構成は、以下の通り。

  1. 兼密禅から純粋禅へ
  2. 夢窓派の台頭
  3. 将軍家と五山僧
  4. 五山の学芸
  5. 五山の仏画・仏像

第一章「兼密禅から純粋禅へ」では、チラシやチケットでも圧倒的な存在感を発揮して空中浮遊している「癡兀大慧坐像」と「無関普門坐像」(いずれも重要文化財)がやはり見ものです。癡兀大慧(ちこつだいえ)は肥満した体躯に憤怒の形相。黒光りするその顔で睨まれたら、本当にびびってしまいそう。密教に通じ、禅を広めようとする東福寺の円爾弁円に論争を挑み、かえって啓発されて門人となったという逸話の持ち主だけに、気性の激しい人だったのでしょう。一方の無関普門は、三角の目の斜視が何もかも見通しているかのよう。穏やかに引き締まった口元もリアルで、癡兀大慧とは違った意味で威圧感を覚えます。しかし、これらの前に注目したいのは、円爾弁円と癡兀大慧の墨蹟です。いずれも遺偈、つまり僊化に際して遺した書であり、筆の震えや文字の乱れが生命の炎の揺らぎを感じさせながらも、80年前後にわたり道を究めてきた二人の禅僧の生き様のようなものが見てとれます。また、「南禅寺境内図絵」も面白い。明治維新前とその後の南禅寺の鳥瞰図を三段に描いて幕府の庇護を失った南禅寺の衰微の様子を示していますが、三段目の図の南禅寺裏手には完成したばかりの琵琶湖疎水も描かれています。

第二章「夢窓派の台頭」は、タイトル通り夢窓疎石にスポットライトを当てたコーナー。細面で案外風采の上がらない(失礼!)夢窓疎石の絵姿と、うってかわって雄渾そのものの夢窓疎石墨蹟「別無工夫」の対称ぶりに驚きます。それにしても「別に工夫無し」、いいフレーズですなあ。「今月の営業成績、どうなってるんだ?」「別に工夫無し」「お前、少しは足と頭を使えよ!」「別に工夫無し」。

第三章「将軍家と五山僧」での「足利義満座像」も興味深いものでした。もみあげからそのまま垂れるほお髯やあご鬚のふさふさ感も、束帯の幾何学的なデフォルメも異彩を放っています。金閣のミニチュアも展示されていましたが、その横につぶらな瞳で立っている「銅造鳳凰」は本物です。一緒に観ていたラン友のマドカは、私同様に中南米遺跡フリークでもあるので、これらを見ながら以下のような会話が……。

「冬至の日の朝日が、金閣のあの窓から奥の仏像に当たるようになっているのに違いないね」
「このケツァルコアトル(←鳳凰のこと)の首のうしろの宝珠は発信器で、逃げてもどこにいるかわかるようになってるんだろうな」

嗚呼、なんたる不謹慎。

第四章「五山の学芸」では詩画軸の優品が中心。見慣れた水墨画の世界が展開しますが、それだけに伝雪舟等楊「観音図」2点には「えっ、これが雪舟?」と意表をつかれます。そして第五章「五山の仏画・仏像」でのあまりにも凛々しい「地蔵菩薩像」の右手に持ちすらりと右肩にかけた錫杖にダース・モールを連想し、相国寺の「釈迦如来坐像および迦葉尊者・阿難尊者立像」で光背に描かれた極彩色に懐かしいミャンマー仏を思い出して、拝観を終了。

あいにく禅宗についての予備知識がほとんどなかったので、ここに展示された名品の数々を正しい文脈で鑑賞するには至っていませんが、禅の文化を根付かせ後の興隆の礎を築いた偉大な禅僧たちの生き様のようなものが感じられて、迫力のある展示会だと思いました。

それにしても、禅僧たちの名前はいかにも重々しい。鎌倉期の無学祖元(むがくそげん)、円爾弁円(えんにべんえん)、兀菴普寧(ごったんふねい)、さらに夢窓疎石(むそうそせき)やその弟子の春屋妙葩(しゅんおくみょうは)などなど。自分もこんな名前なら、相手がびびって交渉ごとがはかどるかもしれません。掲示されていた年表を見ながら、自分が借りるならどの名前がいいかなと物色してみたら、いいのがありました。蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)、13世紀の宋僧です。早速マドカに「名刺を出して『蘭渓道隆と申します。』なんてやったらかっこいいよね」と言いましたが、マドカにすかさず「あだなは『蘭ちゃん』ですね」と切り返されてしまいました。