THE BEE(日本バージョン)

2007/06/28

昼の「三人吉三」に続き、夕方からは三軒茶屋のシアタートラムで、NODA・MAP番外公演の「THE BEE」を観ました。本作は筒井康隆の「毟りあい」を下敷きに、最初ロンドンで英語で上演(脚本:野田秀樹&Colin Teevan)されたもので、今回はそのロンドンバージョンと日本語バージョンの2種類を日本で上演します。今日観たのは、日本語バージョン。異なる言語での上演ということでは、野田秀樹は先に「赤鬼」で日本・イギリス・タイの3カ国バージョンを実現していますが、このときは残念ながら英国で芳しい評価を得られなかった(日本語バージョンは素晴らしい出来だと思ったのですが)のに対し、この「THE BEE」ではイギリスの劇評でも好評を博したのだそうです。

舞台上は、何も置かれていない黒づくめの空間。その奥に上から薄茶色の模造紙のような質感の幅数mの紙が垂れ下がり、その端は舞台上から手前に伸びて舞台前縁に届いています。開演前の場内には、天地真理や南沙織、麻丘めぐみなど懐かしい30数年前のアイドルソングがBGMとしてかかっていて、とりわけ久しぶりに聴いたシンシアの声にはけっこうときめいていたのですが、そうした感傷にはまったくお構いなしに、野田秀樹は例によって唐突に客席の後ろから登場。紺のスーツ姿の井戸(野田秀樹)は勤めを終えて帰宅の途中、脱獄囚が妻子を人質に立てこもったという自宅の前でバリケード(紙の前縁が持ち上げられたもの)に行手を阻まれ、リポーターや警察に翻弄されます。ここでの野田秀樹は生真面目そのもののサラリーマンですが、残る3人は熱気に満ちたリポーターと不機嫌そうな警察関係者とを瞬時に切り替えながら演じており、右肘を突き出してハンディカメラに見立てたり踏み台がモニターになったりと最小限の小道具でどんどん話が進められていく、そのテンポも見どころです。

ところが、警察の車(これも踏み台)で移動した井戸が同行の刑事(近藤良平=NHK「サラリーマンNEO」のサラリーマン体操でその筋(?)では有名)とともに立てこもり犯の妻(秋山菜津子)の住む室内に入り、妻に犯人への説得を依頼するも断わられたところで、彼の中で何かが起こり、まず刑事をバットで殴り倒してから妻にも手伝わせてドア(後ろの紙幕に開けられたもの)から外へ放り出します。このとき刑事の靴だけを外へ投げ捨て、その間に刑事が黄色い野球帽をかぶるとそのまま犯人の知恵遅れの子供に変身して、以後芝居の後半は立てこもり犯の妻の部屋の中の井戸と、その井戸に逆に人質とされた犯人の妻子のやりとりに終始することになります。

最初はファナティックに妻子を脅し、冷厳な今の自分が「真実の私」だと演説をぶったかと思うと、巨大な蜂の幻影に怯えた井戸が、やがて子供の、後には妻の指を切り封筒に詰めて犯人に送り、妻を犯しては共に眠り、朝目を覚ますと洗面をし、食事中に犯人から返礼のように自分の子供の指を送りつけられると次の指の切断にかかる、という無言の儀式を延々と繰り返すようになります。TVや電話を通じて保たれていた外界とのつながりはやがて途絶え、はじめは井戸の仕打ちに泣き叫んでいた妻もそのうちに表情を喪って井戸の儀式を手伝いはじめ、その存在感は限りなく消えていって野田秀樹の一人芝居に近づいていきます。最後に、切り取るべき指がなくなった井戸が自分の指を切り取ろうとするところで無数の蜂の幻影が現れ、紙の幕が破り落とされて野田秀樹たち3人を包み、終演。

70分強という短い時間の中で、後半は野田秀樹らしい言葉遊びも身体言語すらも使わない、静謐そのものの舞台。ここで描かれたのは狂気と言えば狂気だし、暴力と言えば暴力ですが、善良なサラリーマンが狂気や暴力に囚われる変容そのものではなく、毎日一本ずつ指を切り落として送り出す行為が井戸と犯人の妻子との間の日常となって定着し、観る者にも違和感なく受け入れられるようになってしまったことの方が恐ろしく感じます。

それだけに、井戸の恐怖を煽る「蜂」の存在が、私にはまだ腑に落ちていません。

キャスト

井戸 野田秀樹
小古呂の妻 / リポーター 秋山菜津子
安直 / 小古呂 / 小古呂の息子 / リポーター 近藤良平
百百山警部 / シェフ / リポーター 浅野和之