オルセー美術館展

2007/03/11

私がパリのオルセー美術館を訪れたのは、開館(1986年)からまだ間もない1989年のこと。入館してすぐの位置にあったアングルの《泉》の完璧としかいいようのない美しさに強烈な印象をもったことを覚えています。とはいえ、19世紀後半から20世紀初頭までの美術品を取り扱う(それ以前はルーブル美術館、それ以後はポンピドゥー・センター国立近代美術館)この美術館の守備範囲の中では《泉》はごくごく初期に位置し、むしろコレクションの中心は「アングル後」にあたる印象派絵画ということになります。

神戸から巡回してきて東京都美術館で開催されているオルセー美術館展は「19世紀 芸術家たちの楽園」と題しており、その展示意図を公式ホームページから引用すると、次のようになります。

19世紀の芸術家たちは、急激な都市化・産業化の波にさらされるなかで、それぞれの理想にかなう制作の場を探し求めました。自然あふれるフランスのノルマンディーやブルターニュの村々には次第に芸術家たちのコロニー(共同体)が形成され、やがてゴッホやゴーガンのように、南フランスのアルルや、遥か南海のタヒチ島にまで赴く作家も現れます。モネやセザンヌらも都市を離れ、隠遁者のように故郷に身を潜め、制作するようになりました。シニャックやクロスたちは、残された「無垢な土地」を求めて地中海へと旅立ちます。一方で、マネやドガ、そしてボナールやヴュイヤールらにとっては、都会の片隅にあるアトリエこそが創作のための密かな神殿でした。

今回の「オルセー美術館展 ― 19世紀 芸術家たちの楽園」は、こうした19世紀の芸術家たちと彼らが愛し、希求した土地や人々、特定の環境との関係に焦点をあて、創作活動に欠くことのできなかった世界―芸術家たちの楽園―を浮かび上がらせようとするものです。

東京美術館に着いたときには、午前中の雨で出足が鈍かったのか混み合ってはおらず、すぐにチケットを買って会場に入ることができました。絵の前はさすがにどこも埋まっていましたが、列の後ろから背伸びすれば十分見られる程度。おかげでさほどストレスなく歩き回ることができ、見たい絵の前ではそれなりに時間をとって鑑賞することができました。

全体の構成は5部構成になっています。

  1. 親密な時間
  2. 特別な場所
  3. はるか彼方へ
  4. 芸術家の生活―アトリエ・モデル・友人
  5. 幻想の世界へ

最初の「親密な時間」では、家族や親しい人々を描いた作品が展示されます。ここでの見ものはいろいろありますが、まずはホイッスラーの《画家の母の肖像》。暗いアパルトマンの一室で黒く長い衣服に身を包み白いベールをかぶった老母は、病気のためにモデルとして立つことができず、椅子に腰掛けて画面左手を見つめています。母を気遣い、その姿をキャンパスに留めておこうとした画家の愛情と哀しみとが感じられる絵です。ルノワールがマネの弟ウジェーヌとベルト・モリゾの娘ジュリーを描いた明るい絵もすてきです。伏し目がちの灰色の瞳と赤みを帯びた頬に柔らかい笑みを浮かべ、幸福そうな三毛猫を抱いた少女のまんまるな顔は、輪郭線によって縁取られています。バルトロメの《温室の中で》の、白い二の腕の表現に見られる写実的な描法や明暗の効果も素晴らしいものでした。

続く「特別な場所」は、画家たちをインスパイアした土地との関係を紐解きます。ここではミレーの《グレヴィルの教会》の郷愁、マネの《ブーローニュ港の月光》の見事な夜の表現に続いて、モネの《アルジャントゥイユの船着場》に目が止まります。画面左の土手の道と右のセーヌ川がいずれも画面奥へと消えていく遠近感で奥行きを出し、その上に画面の4分の3を使った青空と二層の雲が高さをも感じさせる構図の妙に感嘆させられました。モネはほかに有名な《ルーアン大聖堂》も展示されていますが、これは連作を並べてみないとありがた味が湧きません。

「はるか彼方へ」は、異郷・異国趣味が中心テーマ。ゴッホがアルルで描いた《アルルのゴッホの寝室》でゴッホならではの色遣いとタッチを堪能し、セザンヌの《サント=ヴィクトワール山》に揺るぎない構図を感じ、ゴーガンの《黄色いキリストのある自画像》からはタヒチへ旅立つ直前の画家の意志の強さを見てとることができます。このコーナーでは、写真や工芸品も大きなウェイトを占めていて、エジプトや中東の遺跡の景色、あるいは東洋の磁器などが当時のパリの人々に憧れの的だったことがわかります。

「芸術家の生活」でとりわけ注目を集めていたのは、マネが描いた《すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ》(チケットに載っている絵)。服喪中なのでしょうか、帽子、リボン、衣服はいずれも深い黒で、その中に白い襟元と胸に控え目なすみれ色の小さいブーケ、そして画家 / 鑑賞者をまっすぐに見つめる茶色の大きな目が、向かって左から射し込んで顔の半分を明るく浮かび上がらせる光の効果とあいまって、とても印象的です。また、ロートレックの《ポール・ルクレルク》がロートレックらしくなく、作家 / 詩人ルクレルクの自身に満ちた表情が見事に写実的に(!)とらえられていて、「なんだ、ロートレックって、絵がうまいじゃないか」とワケのわからない感想を持ってしまいました。

最後の「幻想の世界へ」は、神秘的な夢想の世界。ルドンの作品群もいかにもそれらしいのですが、ここでは何といってもモローの《ガラテア》の魔法のような装飾美が一押し。海の精ガラテアの蠱惑的な姿態を明るく装飾的に描き、ニンフの足元にはさまざまな海洋植物が誘うように摩訶不思議な触手を伸ばします。そしてそれらの奥に、巨人ポリュフェモスが報われることのない愛に憂う顔だけを黄色く彩られて覗かせています。この絵は、本当に綺麗!魔法のようと言えば、マチェックの《予言者リブザ》も特筆ものです。星が瞬く夜空の下、地平線へと続く川の流れを遠景として画面左寄りに、菩提樹の枝を持つ左手を真横に伸ばして闇に浮かび上がるように立つ8世紀のボヘミアの女王リブザ。全体が点描で描かれているのですが、衣服の前に縦に垂れる飾り帯の螺鈿装飾や首飾りの金の小札だけがリアルで、リブザの呪術性を際立たせています。幻想的な絵としてはほかに、フランソワ・ガラの《ベートーヴェンに捧げる思索のための神殿、神殿幻想、月光》もグッド。月明かりに浮かぶ、山上の神殿の姿は、映画「ネバーエンディングストーリー」を連想したくらいSF的です。

今回来日したのは、オルセー美術館の所蔵品のほんの一部に過ぎず、したがって鑑賞時間もそれほど多くを要しないのですが、それでも良質の作品群に出会えて満足度の高い展覧会でした。いつか、またパリを訪れてオルセー美術館に足を運んでみたいものです。