山本丘人展

2006/11/25

よい天気。お昼からちょっと遠出して、平塚市美術館へ「山本丘人展」を観に行ってきました。この美術館は平塚駅から歩いて15分くらい、タクシーでもワンメーター。狭くはないが広すぎもしない敷地内には巨大な金属のらせんのオブジェ(ホセ・デ・リヴェラ《コンストラクション#115》)があったり、印象的なブロンズ像(舟越保武《海の顕彰碑-渚-》他)が立ち並んでいたりと、とてもいい雰囲気です。とりわけ仰向けのほっそりした女性の上にカモメ?がきりきりと螺旋を描くように立ち上がるブロンズ像(淀井敏夫《海》)が素晴らしくて、この作家の他の作品も見たくなりました。ただ、これらの作品は東を正面として設置されているので、写真を撮るのであれば午前中がベター。

静かな館内の2階で開催されていた「山本丘人展」は、初期の正統派の美人画からやがて風景画に移って、すぐに最初の見どころである戦前の代表作《村道》の前に立つことになります。晩秋の静かなひととき、庭木の葉が色褪せ、道の上に紅や黄の落葉を落としているのですが、不思議に寒々しさは感じられず、手入れされた生け垣の直線の柔らかさと暖色系の葉の色にむしろ穏やかなぬくもりすら見てとれます。また《海の微風》は、全体に淡く暖かい色遣いの中で画面下部を占める草の明るい緑と左手に立つ女性の浴衣のピンクの柄、右手の枝折戸の茶色が上品に明るく、画面上半分の海の遠景とそちらから吹いてきているのであろう風に女性の長い袖がそよぐさまとが優しい作品。

そうした穏やかな色遣いで、ひとつひとつ慈しむように樹木や草が描き込まれた《草上の秋》(1949年)にほんわかとなりながら目を左隣に転じたところ、そこに突如としてピンクの荒々しい輪郭線がうねうねとした山嶺の起伏を示す《湖上嶺(山湖嶺)》(1951年)が置かれてあって、ガンと頭を殴られたようなショックを覚えました。この隣り合わせのふたつの作品が同じ画家の手になるものとは、俄には信じられません。しかも画家は1900年生まれで、この画風の大転換は50歳にしてなされたことになります。数多の作品中で巍巍とした浅間山や日本海の岩礁が大胆なデフォルメを加えた逞しい直線で描かれ、《北濤》(1955年)《夕焼け山水》(1961年)がこうした画風の頂点をなしますが、《狭霧野》(1970年)で画家の筆は再び繊細さを取り戻し、以後象徴的な落ち着いた作風へと移行しています。

ひとつひとつの作品を堪能する見方ももちろんでき、暗い背景の前に沢の速い流れと疎らな竹林を置いた《流転之詩》(1974年)などにはとりわけ強い印象を受けたのですが、それより何より、50歳を迎えてからの二度にわたる大胆な画風の転換が凄いと思いました。荒々しい画風への転換期は戦後間もなくの時期に当たり、画家は「旧弊つづく日展を離脱」(チラシの解説)するなど日本画の革新を志した頃であるそうです。そうした画家の軌跡についてのより詳しい解説を読んでみたかったのですが、あいにく図録が売り切れだったのが残念でした。