塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

仏像 一木にこめられた祈り

2006/11/16

東京国立博物館(上野)で「仏像 一木にこめられた祈り」。タイトルの通り一木造りの仏像ばかりを集めた展示です。この手の展示を観に行くときの定石として、まずはネットで予習。某ブログ曰く向源寺の十一面観音をメインに他のをおまけで呼びました、という感が拭いきれないのだそうですが、まぁ山登り以外はあまり国内旅行をしない私にとっては、これだけの仏様にお目にかかれる機会は滅多にないので、期待しながら上野に向かいました。

平日の午後とあって会場は思ったほど混んでおらず、そこそこ時間をかけて観て回ることができました。話題のイヤホンガイドからは市原悦子さんの独特な抑揚の声が流れてきて、それだけでも異次元に誘い込まれそう。特に私のような古い世代のアニメファンにとっては市原悦子さんというと『ホルス』のヒルダで、イヤホンからあの声であなたは死ぬのよ?とか言われたらそのまま迷いの森に突き落とされそうな錯覚にとらわれます。

……マニアックな話はこれくらいにして、肝心の展示の話。全体の構成は、

  1. 檀像の世界
  2. 一木彫の世紀
  3. 鉈彫
  4. 円空と木喰

となっていて、まず「第1章 檀像の世界」では唐代あるいは奈良〜平安初期の十一面観音菩薩立像がいきなり七体並んで、合計77面に見つめられて最初からくらくらします。「檀」というのはビャクダンのことで、玄奘がインドから唐に持ち帰った像のいくつかが檀像であったとのこと。この木は幹の径が30cm程度にしかならないために小さい仏像にしかなりません。それでもビャクダンが自生しない中国では輸入に頼らざるを得なかったのですが、後に「栢木」(日本ではカヤ)を代用することが認められるようになったのだそうです。仏像の材料にも国際規格と規制緩和の歴史があったとは知りませんでした。《十一面観音菩薩立像》No.1は確かにインド風の顔立ちで、これは藤原鎌足の長男・定恵が留学先の唐から請来したようです。

「第2章 一木彫の世紀」は鑑真の来朝を契機として、それまでの金銅仏、乾漆像や塑像に替わって栢木を用いる木彫像が盛んに造られるようになった8世紀後半から9世紀前半にかけての名品を集めています。代用檀として針葉樹のカヤが選ばれたことは、像の大型化にもつながったようです。東大寺の《弥勒仏座像》は大仏様の試作品ではないかということで「試みの大仏」と呼ばれますが、目つきが怖いくらいに不気味。しかし、かつりんさんの記事をあらかじめ読んでいた私は少しかがんで見上げる角度で見てみたところ、確かに印象がかなり変わるのを感じました。隣の持国天立像と比較して明らかにエネルギーが違う《増長天》、頬がふっくらとして関根勉似の《楊柳観音菩薩立像》を過ぎて、とうとう今回の展示の目玉、滋賀・向源寺の《十一面観音菩薩立像》が視野に入ってきました。展示の仕方のせいもありますが、やはりその一角には他の仏像にはないオーラが漂っていて、むしろ遠目に見たお姿に神々しさが感じられます。もちろん近づいてみても優美な姿態は素晴らしく、左足に体重をかけて緩く弓なりに傾いたお身体は蓮華台座のかなり前寄りに立っていて、拝む者に静かに語り掛けようとしているかのよう。見ていて、思わず手を合わせたくなってきます。しかし、本体のお顔の左右の変化面がけっこうきつい顔で耳の陰から前方を覗き込もうとしているのにぎくりとなるし、背後に回ると美しい背中の肉付きの上、後頭部で1人にかっと歯を見せて笑う暴悪大笑面には唖然。この顔は、何だ?

「第3章 鉈彫」は、10世紀後半から12世紀に主として東国で流行した様式。意識的にノミ目をつけることで、仏像が木に宿った霊とともに化現してくる姿を示したものとのことです。ここではまず《毘沙門天立像》が坂上田村麻呂の姿を留めたとされるその大きさで注目を集めますが、何といっても《宝誌和尚立像》の異形に驚かされます。梁の武帝が画家に宝誌和尚の姿を描かせようとしたところ、宝誌が指で自分の顔を裂いてそこから十一面観音が顔を現し、表情が自在に変化したために描けなかったとの説話を踏まえて、顔の真ん中に縦に亀裂が走り、そこから下の顔が覗いているというシュールなお顔をしています。まさにトータル・リコールの世界。イヤホンの向こうで市原悦子さんもこれはなんとしたことでしょうと驚いています。ボリュームたっぷりのお顔に対して身体が細いのは、特別な霊木を使った材の制約によるものだそうです。

「第4章 円空と木喰」はぐっと下って江戸時代。円空仏は北米太平洋岸のトーテムポールを連想させ、特に1本の針葉樹の丸太からなる《十一面観音菩薩立像》《善女龍王立像》《善財童子立像》の三体は、合体すると元の丸太に戻るところが機能的(?)であるとともに木そのものの命をとどめているようです。木を割ったまま炎のように光背として残した《不動明王》も心に残りました。木喰は、言い方が悪くて恐縮ですが、その洗練され過ぎたデフォルメが土産物屋に売られていそうで好きになれありませんでした。旅に出られない村人のために札所の数だけ仏像を造って祀ったというのは、偉いなと思うのですけれど。

全体を通して観てみて、確かに向源寺の《十一面観音菩薩立像》は今回の展示の白眉だと思いました。しかし、他にもいくつもの美しい仏像を観ることができ、それらを美術品として鑑賞するのではなく、それぞれのお寺に伺って仏様として拝みたいものだと強く感じました。

同じ平成館の1階では「一木彫ができるまで」と題して、一木彫の制作行程の模型を展示していました。仏像のお姿を堪能した後は、ここに立ち寄って用材のサンプルを手にとりながら、失敗が許されない一木彫の難しさと向かい合いつつ仏様を彫り出していった仏師の苦労に思いをはせるのもよいでしょう。