NINAGAWA 十二夜

2005/07/23

私の大好きな映画のひとつ、『恋に落ちたシェイクスピア』でのグウィネス・パルトロウは、本当にきれいでした。この映画のラスト、主人公のシェークスピアの脳裏に浮かぶヴァイオラの後ろ姿が、日差しのきつい浜辺をひとり歩く姿がせつないのですが、彼女にあてて映画の中のシェークスピアが書いた戯曲が、「十二夜」。

7月の歌舞伎座は、菊之助丈が蜷川幸雄を演出に迎えて、この「十二夜」を歌舞伎にするということで注目を集めていました。そのこと自体が冒険だし、昼・夜とも同演目、ソワレ休演日ありという歌舞伎座では聞いたことのない興行スタイルもリスキー(2・3日おきに半休を入れなければ、とても身体がもたないでしょうし)。こうした制約にあえて挑んだ関係者一同の心意気に、まずは拍手です。とはいえ、あらかじめシェークスピアの原作を読んでみて不安に思ったのは、5幕18場とめまぐるしい場面転換を、歌舞伎座の舞台機構の上で4時間弱の枠の中でスムーズに実現できるのかどうかということ。大胆に翻案してシンプルに仕立てるのかとも思いましたが、場内で筋書を読んでみると、幕数こそ序幕・二幕目・大詰の3幕にしてあるものの、場数は9・3・6の合計18場と変わりません。大丈夫か?

幕が上がると、舞台全面が鏡になっていて客席が映るのに驚きます。これはハーフミラーになっていて、背後に照明が入ると舞台上の満開の桜が見える仕掛けです。そこにはチェンバロと少年合唱隊がいて歌声が披露され、日本にして日本にあらざる中世的な雰囲気が漂います。この芝居では、歌舞伎には珍しく客席の照明は最後の大団円を除いて常に消灯されており、舞台転換は多くが暗転を伴って行われます。そのため舞台上にも花道の上にも黒い敷物が敷き詰められていて、白色灯を使ったスポット照明で登場人物を浮かび上がらせる手法も演劇的です。鏡はいたるところに使用されており、背景全面を覆う場合もあれば、セットの襖が鏡になってもおり、チョボ床や黒御簾の壁も鏡。男を演じている女、という役柄を男が演じているという不思議(もっともそれはシェイクスピアの時代でも同様)、そのシェイクスピア劇を歌舞伎のフォーマットで演じているという不思議、そうした重層的な不思議を客席に共有させるための大掛かりで手っ取り早い仕掛けが、冒頭の鏡だったのでしょう。

さて、大篠左大臣の信二郎丈が織笛姫に受け入れられない嘆きの台詞の場面で、床の下から細動が響いてきてこりゃくるなと思ったら案の定、大きな地震(中央区で震度4)。地鳴りがする中、客席からは悲鳴も上がりましたが「地震が怖くて芝居が観れるか!」と強がりながら平静を装って(?)いると、舞台上の信二郎丈は少しも動じず芝居を続けており、そのキリのいいところへ「萬屋!」と声がかかって大拍手。続く第2場では舞台中央奥が割れて大船が現れ、そこで早速菊之助丈による主膳之助と琵琶姫の双子の兄妹の早替りが披露されます。以下、芝居はシェイクスピアの原作に沿って進んでいき、ストーリーはもとよりセリフの端々までも原作にかなり忠実なのには驚きました。

出演者の中では、なんと言っても菊之助丈が大奮闘です。獅子丸実は琵琶姫という役柄で、男言葉を使っていますが気が緩むとつい女の声や仕種が表に出てしまい、あわてて男言葉に修正するのが笑えます。また亀治郎丈の腰元麻阿が、左團次丈の桐院鐘道と酌み交わす最初の出で既に一種の気っ風のよさを感じさせていましたが、桐院鐘道・安藤英竹と共に丸尾坊太夫に一泡吹かせる謀議をこらす場面での存在感は原作のマライアを超えて完全に主役級。坊太夫を騙す手紙を書くのは?との桐院鐘道の問いに「はいっ!」と勢いよく手を上げて一気に主犯格に躍り出る麻阿は、下手をすると悪女なのですが愛嬌があってそうは見せず、以後も彼女(?)のひとつひとつの仕種に場内からくすくす笑いが起きていました。安藤英竹の松緑丈も、今までにない怪演。白塗りにパンダのような赤い隈。長者風の赤い衣裳の下に赤い派手な靴を履いており、これを脱ぐと左右で色の違う靴下。これも原作のサー・アンドルー・エイギュチーク以上の阿呆ぶりで、最初は度肝を抜かれていた観客も、桐院鐘道にそそのかされて獅子丸に果し状を突きつけることになった安藤英竹が啖呵なら得意と言って成田屋の荒事のカッ、カッ、カッ、ンゴゴーッ!をやってみせると大ウケ。左團次丈の桐院鐘道、菊五郎丈の坊太夫も楽しんで演じている感じで、それぞれにぴったりはまっており、とりわけ鬱金色の装束に身を固め薄ら笑いを浮かべた坊太夫の姿に麻阿がしえーっ!とのけぞるあたりは腹を抱えました。

ただ、その坊太夫が桐院鐘道らに打ち据えられて気絶するのは救いがなくてちょっとやり過ぎ。もっともその分、手ひどい悪戯を仕掛けられていたことを知った坊太夫が、なぜかドロドロと太鼓が鳴る中で妖術使いのように比叡庵五郎を引き寄せて鬱金色の下帯で首を締め上げたので、まぁおあいこではあります。また、難しい存在だったのが、菊五郎丈が坊太夫との二役で演じた捨助。筋書の解説に脚本の今井豊重氏も書いているように、原作で狂言回し・幕引きを担う道化師(fool)という役回りが歌舞伎の時代物の世界観には存在しないことが、捨助の存在やその台詞の意味をわかりにくいものとしていました。一方で時蔵丈が赤姫の扮装で織笛姫を演じたのは、最初はちょっと老けたお姫様だなぁ、という感じでしたが、確かに琵琶姫とキャラクターがかぶってはいけないし、獅子丸をその地位と品格で上回らなければならない上に、乙女の向こう見ずさのようなものまでも出すという難しい役ですから、性別・年齢を自在に超越する歌舞伎らしさを最も活かせた配役だったかも。これに対して下座音楽にはチェンバロやハープが(恐らくはテープで)導入されていましたが、竹本の活用も含めて歌舞伎の道具立てにこだわってほしかったような気もします。そして冒頭の不安通り、合計18場もの場面転換は、いくつかは道具幕によって簡略化されていたものの、廻り舞台では、やはり冗長な感じが否めませんでした。そう言えば道具幕で示される港の場や宿場外れの場で、座頭の一群が何の脈絡もなく通過していくのですが、筋書で役名を見ると利亜市・馬久市・波六市!言うまでもなく、リア王、マクベス、ハムレットの洒落です。

そうこうしているうちに大詰第6場。最後に獅子丸と主膳之助が同時に舞台上に登場する場面は、いったいどうするのだろうと思っていたら、なんと獅子丸はお面で出てきた!いや、確かにここはこうするしかないんだろうけれど……まぁ、ここまで鮮やかな早替りを存分に見せてくれていたのですから、最後くらいはいいか。大団円は、二組のカップルが二重の太鼓橋を渡って登場。本物の菊之助丈は琵琶姫の方に替わっていて、素晴らしく艶やかな姿を見せてくれました。そして登場人物の全員が舞台上に揃い、花道を引き上げる捨助を見送りつつ華やかに終わります。

配役

斯波主膳之助
獅子丸実は琵琶姫
尾上菊之助
織笛姫 中村時蔵
大篠左大臣 中村信二郎
右大弁安藤英竹 尾上松緑
麻阿 市川亀治郎
役人頭嵯應覚兵衛 坂東亀三郎
従者久利男 尾上松也
海斗鳰兵衛 河原崎権十郎
従者幡太 坂東秀調
比叡庵五郎 市川團蔵
舟長磯右衛門 市川段四郎
左大弁洞院鐘道 市川左團次
丸尾坊太夫
捨助
尾上菊五郎

あらすじ(《》内は原作の役名)

船に乗っていた双子の兄妹・斯波主膳之助《セバスチャン》と琵琶姫《ヴァイオラ》は、嵐のために遭難して生き別れとなる。紀州に流れ着いた琵琶姫は、獅子丸《シザーリオ》と名乗り、土地の領主・大篠左大臣《オーシーノ公爵》に小姓として奉公する。

左大臣は織笛姫《オリヴィア》という公家の姫君に心を奪われている。織笛姫に相手にされない左大臣は獅子丸に恋の使いを命じるが、獅子丸を女と知らぬ織笛姫は獅子丸に一目惚れ。しかし、獅子丸は左大臣に密かな恋心を抱いていた。

洞院鐘道《サー・トゥビー・ベルチ》は、頭の足りない安藤英竹《サー・アンドルー・エイギュチーク》に姪の織笛姫を娶わせるといって金づるにしようとしている。織笛姫の居候同然の身の上である洞院を目の敵にしているのは、丸尾坊太夫《マルヴォーリオ》。そんな坊太夫も、主人の織笛姫を慕っている。これを知った洞院や安藤は、腰元の麻阿《マライア》や捨助《フェステ》を仲間に引き入れ、織笛姫が書いたようにみせかけた偽の恋文を使って、坊太夫の恋心を弄ぶ。そうとは知らぬ坊太夫は、うまうまと洞院たちの企みに乗せられてしまう。

一方、九死に一生を得て、左大臣の屋敷へと向かう主膳之助は織笛姫と出会う。主膳之助を獅子丸と思い込む織笛姫がその思いの丈を打ち明け、合点がゆかぬままに主膳之助も織笛姫を受け入れる。そこへ左大臣が獅子丸を連れてやってきたことから一度は生じた混乱も、獅子丸こと琵琶姫と主膳之助が再会したことでもつれた糸が解け、織笛姫と主膳之助、左大臣と琵琶姫の二組の縁組みが調うこととなる。