野猪林(北京京劇院)

2005/05/29

「水滸伝」を初めて読んだのは、中学生のときクラスで回し読みされていた横山光輝の漫画。あまりに面白かったので学校の図書館で120回本の邦訳を読んで、「うわ、こんなに悲惨な末路だったのか」と驚いた記憶があります。

さて、池袋の東京芸術劇場で北京京劇院の「野猪林」を観ました。去年の台風の日に観た「盗王墳」の時遷も水滸伝の登場人物でしたが、今回は豹子頭林冲と花和尚魯智深の二人の好漢が主人公です。日経新聞が長期間にわたり盛んに宣伝をしていましたから、裏を返すと集客に苦労しているのだろうか、と心配していましたが、客席はそれなりに埋まっていて一安心。アクロバティックな見せ場を多彩な演目で見せる折子戯ではなく、ストーリーと人物造形をじっくり楽しむ通し狂言なので、それなりに京劇を見慣れた人向きの演目だったかもしれません。もちろん京劇ならでは体術を誇示する場面もあって、李小二を演じる李丹はじめ兵士達の立ち回りの切れ味は素晴らしいものでしたが、主役の林冲(葉金援:武生)と魯智深(羅長徳:花瞼)がそれなりの年齢(1948年 / 1941年生)なので激しい立ち回りは多少苦しげ。しかし、白虎節堂で罠にはめられた後の林冲の、束ねた長髪を取り回しながらの悲痛な演技や、妻との別れ / 山神廟前での望郷の唱が聞かせ、最後の立ち回りでは足で刀を拾う技や凄いスピードでの刀捌きが喝采を浴びましたし、豪快だが義に厚い魯智深も、野菜泥棒4人を圧倒して弟子にしてしまう最初のエピソード(邪魔な木を怪力で引っこ抜き、度肝を抜かれた4人が固まってしまう演技が爆笑)で一気に観客の心をひきつけてしまいます。そして、主役二人もさることながら、脇役陣の性格描写が実に素晴らしく、貞淑で芯の強い張氏(美人!)、権力者の威風がある高俅、その馬鹿息子の高世徳、高俅の腹心の陸謙と、脇役陣の演技がいずれも見事。特に策謀家の陸謙の存在感が特筆ものです。

舞台の大道具も京劇にしてはかなり豪勢で、屋内の家具調度類は装飾が見事、野猪林では背景の山がシルエットになっていて上部の岩峰にオレンジ色の残照が当たっているのが素晴らしい効果をあげていましたし、山神廟の背景には遠く凍てついた荒野の向こうに独立峰が聳えて寒々しい景色。雪が降るときに送風機のモーターらしい音が聞こえるのが多少興ざめでしたが、前から6列目に座れたことの引き換えと我慢することにしました。楽士たちは舞台上手袖に隠れているのですが、月琴(場面によっては笛も)を演奏していた女の人がこれも美人。そんなこんなで、とても充実の3時間でした。

ところでこの日、休憩のときにふと観ると狂言師の和泉元爾とそのファミリーがソファーに座っているのを見かけました。奥さんの羽野晶紀さんもいて、あいかわらずきれいでしたが、終演後に外に出てみるとやはり真っ先にソファーに座って子供をあやしながら笑顔をふりまいていたから、これはもしやプロモーション活動の一環?と邪推してしまいました。

配役

林冲 葉金援
魯智深 羅長徳
張氏 尚偉
高俅 黄彦忠
高世徳 梅慶陽
陸謙 葉江翔
李小二 李丹

あらすじ

宋代、開封東京の八十万禁軍武芸師範・林冲は高俅の配下にあったが、成り上がりの高俅と正義感の強い林冲はそりが合わない。

かつては延安の提轄をつとめていたが人を殺めて僧になり、今は菜園の番人におさまっている魯智深が、弟子入りしたばかりの張三らに武芸を披露しているところへ林冲が通りがかり、ひと目で親しみを感じてお互いに名のりをあげ、すぐに義兄弟の契りを結ぶことになった。そこへ女中が奥様危うしと林冲を呼びにきた。すぐに林冲は去るが、魯智深もまた後を追う。

高俅の権威を笠に着て横行を働く放蕩息子高世徳は、東嶽廟にお参りにきた林冲の妻張氏を見初め人妻と聞いても強引な態度で絡みついた。かけつけた林冲は張氏を助け高世徳を突き飛ばす。高俅の息子と知って林冲は大事にせず別れたが、腹が納まらない高世徳は父に言い繕いをして林冲を陥れるよう進言する。

道すがら刀を売り込まれた林冲は、あまりに良い刀だったのでつい出所もあやふやのまま買ってしまう。高世徳の腹心陸謙が、高太尉がその名刀と自分の宝刀を比べてみたいとお望みであると誘いにきた。太尉の呼び出しに断れず、林冲は陸謙に伴われて参上したが、待っているように言われた所が軍事機密の会議場「白虎節堂」。厳重に立ち入り禁止とされている場所と気づいて立ち戻ろうとしたところ、たちまち捕らえられてしまう。濡れ衣を着せられ滄州へ流刑に処された林冲は護送の途中、野猪林で護送役人に斬り掛かられるが、後を追ってきた魯智深がすんでのところで取り押さえる。

そのころ林冲の帰りを待つ張氏は実家に匿われていたが、高世徳に執拗に迫られ林冲が道中に死んだと聞かされ自害してしまう。

滄州に流された林冲は馬草の番をしていたが、大雪で兵舎がつぶれてしまったため、山神の廟で寒さをしのいでいた。そうとは知らずに陸謙が家来を率いてやってきて、馬草置き場に火を放つ。火事場に駆けつけた林冲は陸謙らと斬り合いとなり、そこへ魯智深が現れ、加勢する。陸謙を斬り捨て覚悟を決めた二人は、梁山泊への道を行く。