東海道四谷怪談

2004/08/11

夏といえばお化け、お化けといえば「東海道四谷怪談」です。8月の歌舞伎座は恒例の三部制で、第三部にこれがかかるので予約開始初日にいよいよ桟敷席のチケットをゲット!のはずでしたが、仕事の合間に何度かけても回線激コミで、初日はまるで電話が通じませんでした。結局予約開始二日目にやっと通じたものの、その時点では桟敷席はブックドアウトで、しからばと1階席の、花道の左側というちょっと変わった場所を予約しました。

17時に速攻で会社を出て歌舞伎座へ直行。場内で観劇仲間うっちゃまん女史とも首尾よく合流し、幕開きを待ちました。まず序幕は登場人物の紹介みたいな場面がひとしきり続き、按摩宅悦の地獄宿でのコミカルな夫婦の再会から田圃の場、橋之助丈の伊右衛門による左門殺し、三津五郎丈の直助による与茂七(のつもりが実は奥田庄三郎)殺しで両悪役が「よよよい」と指締め。三津五郎丈は(ちょっと台詞をかむ場面もあったものの)まったくいつ見ても練達の芝居だし、橋之助丈の悪役というのも「仮名手本忠臣蔵」での斧定九郎の凄みのある姿で実はおなじみ。福助丈のお袖もきれいですが、勘九郎丈のお岩はちょっと太過ぎの感も。そして幕間のうっちゃまん女史との会話。

「橋之助って、顔でかいね〜」

怪談話の本領は、二幕目の伊右衛門宅から。子を産み産後の肥立ちが悪くて伏せりがちなお岩との貧乏暮らしを今ではすっかり疎ましく思っている夫・伊右衛門、実に嫌なやつですが正直に白状すれば感情移入できないわけでもありません。障子内からむずかる声が聞こえてくるとイラつきながらも居合わせている宅悦に「みてやれ」と命じるなぞは、今どきの幼児虐待事件を思えば優しい方です。それはともかく、ここでの重要なポイントは伊右衛門らが隣家へ出向き、宅悦が奥に入ってひとりその場に残されたお岩が、伊藤家からもらった血の道の妙薬を前に伊藤家に向かって手を合わせる場面。もちろん薬とはまっかな嘘で、それこそ顔が醜く崩れる毒であることは客席も先刻承知。苦しい病身に心をこめて感謝の言葉を口にするお岩が哀れになってきますが、だからこそ、お岩が凄惨な死を遂げた後の怨念が存分に納得できます。橋之助丈の悪役ぶりもさらに凄みが増しており、伊藤家から戻った伊右衛門が質種を出せとお岩にからんで、何もないと必死に訴えるお岩にガン!と刀の鐺を床に打ちつけた場面では、場内は圧倒されて水を打ったように静まり返りました。そしてもちろん勘九郎丈。宅悦がお岩に伊右衛門の裏切りと伊藤家の企みを明かした後、お岩は伊藤家へ出向いて恨み言を言おうと鉄漿をつけ、髪を梳くのですが、このゆったりした場面がまったく弛まず、舞台・客席のほとんど暗がりといっていい暗さと相まっておかしみと怖さの混じった摩訶不思議な緊張感が漂いました。そして、この幕の最後の早替わりは、舞台上手の床に座る新妻お梅が顔を見ると醜く崩れたお岩=勘九郎丈で、驚いた伊右衛門が首を打ち落とすとお梅の首、あわてて舞台中央下手寄りに戻るとそちらの屏風から出てきたのも最前殺した小仏小平=勘九郎丈。

第3幕は、砂村隠亡堀の場。直助権兵衛らとのやりとりを終えて一人立ち去ろうとする伊右衛門が、花道にさしかかったところでふと立ち止まり、「……誰だ?俺を呼ぶのは誰だ!」と誰もいない舞台に向かって声を掛ける場面で見ているこちらの背筋がぞ〜っ。この後の勘九郎丈の早替わりが見せ場で、伊右衛門が堀の上まで戻ってみると上手から戸板が流れてきて、それを引き上げ菰を取り除くとお岩(勘九郎丈)の死骸が恨みを述べ、裏を返せば今度は小平(これも勘九郎丈)の死骸が「薬くだせぇ〜」。戸板を蹴落としたと思う間もなく横の水門から与茂七(もちろん勘九郎丈)が現れて客席から「えぇ〜っ?!」といったいどうなってるんだ?という悲鳴のような声があがりました。恐らくこれらのうち少なくとも小平の身体(もしかするとお岩の身体も?)は作り物で、お岩の姿で出てから醜いカツラをとって戸板の反対側(小平側)へ顔と手を出して薬をせがみ、戸板が沈む間にお岩の衣裳を脱いで与茂七の姿に変わったのでしょう。

だんまりで明るい舞台に4人が勢揃いし、いったん幕がひかれて、本来ならここから三角屋敷の場となってお袖と直助の死が描かれることになるのですが、時刻は既に夜の9時半近く。と思ったら下手の袖から出てきたのは舞台番・藤松という触れ込みの染五郎丈で、この後三角屋敷の場をやると帰れなくなるお客様もいるので、と言い訳をして前後のあらすじを説明。この説明も面白おかしくて、この木挽町界隈も明るい道ばかりではございませんと脅した後、なんだか生暖かい風が……と言った途端に目の前の客席の女性に「あ、お岩さん」とやって場内大爆笑。

いよいよ大詰めは蛇山庵室、ここはもう役者の演技というよりケレンたっぷりの演出勝負。燃え上がる提灯の中から抜け出て宙へふわりと浮き上がる提灯抜け、井戸の中から飛び出し庵室へ降り立つ宙乗り、仏壇の中へ秋山長兵衛を引きずり込む仏壇返しといった大道具の仕掛けも見事ですし、場内がぐっと暗くなったところへ一階席の後ろから忍び入っていた亡霊姿の役者が客席の合間を歩き回って、時折懐中電灯で顔を照らすたびに「きゃあっ!」という女性客の悲鳴がここかしこであがります。さらにこれもいつの間にか一階席の後ろに入っていた亀蔵丈の長兵衛がまったく突然に「うわぁ〜っ!」と大声をあげながら客席の真ん中を走り抜けて舞台に駆け上がり、観ている方は一様に度肝を抜かれてしまいました。そして最後は、亡霊の姿をしていた勘九郎丈が仏壇返しで消えて、わずかの合間をおいて花道の揚幕から与茂七の姿に早替わりで出てきて拍手喝采。どうやって移動したのでしょう?この早替わり・移動の間に花道の下の方からゴロゴロという音がしていたのですが、走ったのだとすると息があがってしまうので、何か移動手段がしつらえられているのでしょうか。何にせよ、伊右衛門は与茂七と小平女房お花にめでたく討たれ、明るくなった舞台に橋之助丈・勘九郎丈・福助丈が並んで手をついて幕。

強烈に楽しく大満足だったこの芝居、一階席で観て本当によかったと思いました。

配役

お岩
小仏小平
佐藤与茂七
中村勘九郎
民谷伊右衛門 中村橋之助
舞台番 市川染五郎
お梅 中村七之助
秋山長兵衛 片岡亀蔵
伊藤喜兵衛 片岡市蔵
按摩宅悦 坂東弥十郎
お岩妹お袖
小平女房お花
中村福助
直助権兵衛 坂東三津五郎

あらすじ

御家断絶の騒動に紛れて御用金を盗んだ民谷伊右衛門は、妻のお岩の父で同じ家中の四谷左門にそれを知られ、お岩と引き離されたことを恨んで、左門を殺してしまう。一方、お岩の妹お袖に横恋慕する下僕の直助権兵衛は、お袖の許嫁の佐藤与茂七(実は浅野家の同志奥田庄三郎)を殺害。伊右衛門と直助は、互いにその事実を知ったうえで、犯人を知らないお岩お袖の姉妹を騙し、敵を討ってやると約束する。伊右衛門のもとに戻り、男の子を産んだお岩は、産後の肥立ちが悪いため、隣家の伊藤喜兵衛宅から見舞いに届けられた薬を飲むが、俄に顔面を押さえ苦しみ出す。これは、喜兵衛の孫娘お梅と伊右衛門を添わせるために、じゃまなお岩の顔を醜くして夫婦別れをさせようという、喜兵衛の策略。伊右衛門も、お岩の世話をする按摩宅悦に、無理矢理お岩に不義を仕掛けるよう指示するなど心変わり。宅悦の口から全てを聞いたお岩は、伊藤家へ乗り込もうと身なりをととのえる最中に誤ってのどを切り、絶命する。伊右衛門は、民谷家の秘薬を盗んだ小仏小平を殺してお岩の死体と背中合わせに一枚の戸板に打ち付け川に流すと、すぐにお梅の輿入れを迎えるが、そこには既に、お岩の霊。その術中に陥ってお梅と喜兵衛を討ってしまった伊右衛門は、本所蛇山の庵室に逃れたが、ここでもお岩の亡霊に苛まれ、居たたまれずに逃げ出そうとするところを与茂七、小平の女房・お花に討たれる。