透明人間の蒸気

2004/04/02

新国立劇場で、野田秀樹作・演出の「透明人間の蒸気(ゆげ)」を観ました。

舞台上には緞帳がわりに巨大な日の丸が四方からロープで引かれて広がっており、その向こうは暗く見通せません。会場で落ち合った観劇仲間うっちゃまん女史と席についてのんびりあれこれ話をしていると、突然エレベーターが上がるような効果音とともに日の丸が真上へ引き上げられてパラシュートのように横に広がり、新聞紙の衣装に身を包んだ役者たちが飛び出してきて空中遊泳。無事に着地して地面に広がった日の丸はそのまま風呂敷に変わり、20世紀のモノたち=ダンボールでできたミソカツ、井戸、日劇ミュージックホール……そして銭湯の番台などを包み込みました。この一連の展開が実にスピーディーで、これだけでわくわくしてきます。

こうして始まった劇は、夢の遊眠社時代の作品の13年振りの再演です。ストーリーは、次の通り。

太平洋戦争開戦の日、「二十世紀を後世に伝えよ」という天皇の勅命が下った。それを受け、華岡軍医、愛染かつら看護兵、のらくろ軍曹、ロボット三等兵は「20世紀で消滅してしまうもの」の収集に励む。その最中、彼らは「20世紀を生きた人間」として透アキラを選ぶ。実は彼は結婚詐欺師で、父刑事に追われ鳥取砂丘まで逃げてきた。そこで目の見えないヘレン・ケラと出会う。ケラは砂丘でみやげ屋を経営するサリババ先生と暮らしている。アキラは華岡軍医らに100年間眠り続けるカプセルに入れられ、爆発事故がもとで透明人間になってしまう。しかし、ひとりケラだけには彼の姿が見えていた。

「二十世紀を千代に八千代に後世へ伝えよ」という勅令が鳥取で下されたのは、二十世紀梨を末永く残せというだけのことだったのかもしれないという発端の謎解きに、華岡軍医は後戻りはできない!と言い放って、言葉の一人歩きが世界をねじれさせたような悲喜劇が展開します。そのヒロイン、ヘレン・ケラが、華岡軍医たちが消えて広がった空間へ舞台のはるか奥から走り込んでくる場面は実に躍動的でショッキング。このとき初めて気づいたのですが、砂丘を模したこの舞台は横幅の3倍くらいの奥行きがある不思議な形をしていて、この奥行きが後でさまざまに活かされることになります。登場した宮沢りえは生き生きとした少女の姿で、この足の裏に朝がいるんだわ。ぬくもりの下で眠っているのは、とてつもなく大きな恐竜だわ。人間の足跡だらけになった肌を、恐竜は一晩かけて月の光で癒していくので始まる最初のモノローグで、客席のハートを一瞬のうちにつかんでしまいます。すらっと細く長くよく動く足、豊かで魅力的な表情、舞台上で輝いているような素晴らしい存在感。と思う間もなく、これも横から走り出てきたサリババ先生との「奇跡の人」のパロディ、矢継ぎ早の言葉遊びが息を継がせません。

鳥取の砂丘を舞台に、芝居小屋の表と裏、この世と黄泉の国とを行き来しながら、事故で因幡の素兎のように皮がむけて姿を失った(つまり「透明」になった)透アキラと、目が見えないがゆえに透明人間になった透アキラの姿が見えるヘレン・ケラの、不思議な悲恋が展開します。透アキラを盟神探湯で裁こうとする出雲神たちの戻るべき黄泉への入口は焼け焦げた巨大な日の丸の穴であり、その退路を断つのはこれも巨大な星条旗。敗戦がかつて日本の根となっていたものたちを切り離してしまったことの強烈な暗示です。20世紀のものたちが忘れられていくにつれて、それらのもの / 言葉に言霊として取り憑いていた出雲神たちに死が近づき、開戦の日の勅命を果たすだけのために50年間生きてきた華岡軍医たちも、死亡証明書を持つ生霊と化して死霊と対峙します。そのはざまで、大晦日には帰るというケラとの約束の言葉=最後の真実を守るために砂漠を越えて走ってきた透アキラが一斉射撃を浴びて死んだかに見え、その言葉を最後まで信じることができなかったヘレン・ケラは百年の眠りにつかせる果実二十一世紀を口にします。実は生きていた透アキラも、残された二十一世紀の果実をかじってヘレン・ケラの後を追い……。

鎮魂歌を歌いながら退場して行く出雲神や華岡軍医たちの後を追って、透アキラとヘレン・ケラの魂が手をとりあって舞台奥の闇へと消えていくラストシーンには、毎度のことですが目頭が熱くなってしまいました。

キャスト

ヘレン・ケラ 宮沢りえ
透アキラ 阿部サダヲ
サリババ先生 野田秀樹
華岡軍医 手塚とおる
愛染かつら看護兵 高橋由美子
のらくろ軍曹 有薗芳記
ロボット三等兵 大沢健
有閑マダム・ナナ(お七) 秋山菜津子
住友花子 篠崎はるく
父刑事 / イザナミのミコト 六平直政
ドの神 / ポルターガイスト / 役者 / サウナの客 櫻井章喜
レの神 / ポルターガイスト / 役者 / サウナの客 池谷のぶえ
ミの神 / ポルターガイスト / 役者 / サウナの客 小手伸也
ファの神 / ポルターガイスト / 役者 / サウナの客 山中崇
ソの神 / ポルターガイスト / 役者 / サウナの客 小林功
ラの神 / ポルターガイスト / 役者 福寿奈央
シの神 / ポルターガイスト / 役者 須永祥之
ポルターガイスト 阿部仁美 / 木下菜津子 / 中川聖子 / 浜手綾子 / 小椋太郎
 
福原寛菜
箏・三絃・胡弓 松坂典子
太鼓 山田貴之