ブッダ展

1998/05/17

池袋の東武美術館で「ブッダ展」を見ました。

この展覧会は、紀元前486年頃に入滅したブッダ釈迦の教えである仏教がアジア社会に広く伝えられ、受け入れられていった様相を、仏教美術の時間 / 空間的伝播と変容を通して展観しようというもの。全体を

  1. ブッダの姿
  2. ブッダの生涯
  3. 理想の世界を求めて

に分けて、貴重な仏教美術品の数々を展示しており、展示内容の充実ぶりと明確な展示意図に感嘆させられます。以下は本展覧会の図録の受け売りですが、おおまかにブッダ展の内容をまとめてみます。

ブッダの姿

インドではもともとブッダの舎利を祀ったストゥーパに対する信仰が盛んで、仏教美術もストゥーパの装飾として興ります。初期にあってはブッダの存在を菩提樹や仏足跡、円輪光などで象徴的に表し、仏像をあえて造ることをしなかったのですが、紀元1世紀頃からギリシア・ローマの影響を受けた西北インドのガンダーラと中インドのマトゥラーでそれぞれ仏像が誕生します。写実的なガンダーラ仏はアフガニスタンからシルクロードを経て中央アジアで変容を受けながら中国に伝えられ、やがて日本に達してそれぞれの国で独自の様式を獲得していきます。一方、逞しく溌溂とした表現を特徴とするマトゥラー仏は南インド・東南アジア諸国へ伝わり、カンボジア・タイ・インドネシアなどそれぞれの地において民族性豊かな仏像を作り上げていきます。

ブッダの生涯

経典は、ブッダの生涯を以下のように伝えています。すなわち、王子としてルンビニー園の樹下で誕生した釈迦は、青年時代に生きることの苦しみを感じ、結婚したもののやがて出家を決意し、苦行の後にガヤーの郊外の樹下で深い瞑想に入って悟りの境地に到達し、ブッダになりました。ブッダは悟りの英知を人々に説くことを躊躇しますが、梵天(ブラフマー)をはじめとする神々の要請を受け入れて、人々にその真理「法(ダルマ)」を説くことを決意します。最初にサールナート(鹿野苑)で、かつての5人の仲間の修行者に説法した後、多くの人々に対する救済への道を歩みます。北インドの各地を遍歴し、生涯、瞑想実践と説法活動を行って、最後にクシナガラの沙羅林のもとで入滅したとのこと。

こうした釈迦の伝記もまた、地域・時代によって様々に特徴的な表現が行われます。たとえば輪廻転生の観念が強いインド南方系の仏伝美術では、釈迦がかつて神・人間・動物であったときの前生の寓話(本生譚)をとりあげて釈迦を讃えることが多く行われているのに対し、ガンダーラ美術では現実的・歴史的な存在としてその生涯を体系的に追う傾向があり、本生譚がとりあげられるとしても自己犠牲(「捨身飼虎」など)による救済者としてブッダの存在を現実化しようとします。

理想の世界を求めて

インドでは、釈迦の涅槃の象徴であるストゥーパが、寂滅というブッダの理想の境地を表すにふさわしいものと見られましたが、一方でそのストゥーパの周囲は蓮・象等々、生命の誕生や豊穣多産にかかわるモチーフで飾られました。つまり、ブッダの死のシンボルであるストゥーパこそが同時に生命の母胎であり楽園のシンボルとなるのであって、ブッダの理想世界を彼岸としてこの現実世界と切り離して別個に構想する発想は生じませんでした。これに対して輪廻思想が希薄な中国や日本では、苦しみ多いこの世を離れた阿弥陀浄土を夢想するのが大乗仏教美術の大きなテーマになっています。そして、その祖型もまたガンダーラ彫刻の中に見られ、中央アジア・中国・日本での彼岸・浄土のイメージの変遷を追うことで、それぞれの国の風土と結びついた理想世界の姿が浮かび上がってきます。

日本で仏像といえば洗練された工芸品としての木像か鋳造ですが、中央アジアの石造の仏像にはこれらとは異質の荒々しいリアリティーが備わっており、1500年前の大陸の人々の信仰のエネルギーがじかに感じられます。ここにある仏像の一体一体に、そのときどきの人々の営為が凝縮しており、流して眺めることを許さない深刻なまでの力が放射されていて、圧倒されました。