塾長の鑑賞記録

塾長の鑑賞記録

私=juqchoの芸術鑑賞の記録集。舞台も絵も和風好き、でもなぜか音楽はプログレ。

声明(庭讃 / 理趣教(中曲)) / 梟 / 殺生石

2008/03/29

今日は、国立能楽堂の特別企画公演。テーマは「祈り」とあり、高野山の声明、山伏の祈禱が騒動を広げる狂言「梟」、そして僧の前に野干(妖狐)の精が懺悔する能「殺生石」がかかります。

初めて訪れた国立能楽堂は千駄ヶ谷の駅から歩いて5分ほど、背の低い落ち着いた雰囲気の建物で、係員さんもお客さんもやっぱり上品。座席はゆったりしていて、驚くべきことに(飛行機と同じように)前の座席の背中に字幕表示機が作り付けられており、そこに解説や詞章が表示されます。しかも英語を選択することもできるという、外国人にもフレンドリーな仕組みです。これは、ぜひ歌舞伎座も見習ってほしいもの。

声明

定刻になり、揚幕の奥から高い鐘の音が繰り返し鳴らされる間に、錦の袈裟の僧侶七人と墨染の僧一人が現れ、しずしずと進んで橋掛リの上に居並びます。そして、先頭の僧が大音声を発し始め、やがて残りの袈裟の僧によって讃が唱えられます。ここで唱えられているのは庭讃、つまり道場に入堂する前に唱える讃で、大日如来を讃える四智梵語です。とりわけ先頭の僧の、全身を使った力強い発声は場内に自然な反響を呼び、ここがあたかも高野山の山中であるかのような錯覚にとらわれます。続いて舞台の中央に進んだ袈裟の僧たちは斜めに居並び、理趣経を唱えます。善哉善哉大薩埵から始まりこの世の本質を見極め安らかな境地に入ることの喜びを説く善哉毗盧遮那佛を繰り返す「合殺」、これらの声明はいずれも一見単調なリフレインの中に独唱や重唱が緊密に組み込まれ、すぐれて音楽的です。

先月観た「禰宜山伏」と同様に山伏物で、効験のあるはずの山伏に一向に法力のないことを面白おかしく描きます。まず中腰すり足で出てきたアド/兄は舞台上で「これはこの辺りに住まいいたすものにござる」とお決まりの自己紹介をし、山から帰って来て以来様子がおかしい弟のために、山伏に祈禱を頼みに行く旨を語って舞台上を三角形にぐるり、そして橋掛リにやってきて山伏を呼びます。揚幕から現れた山伏は見た目はいかめしいのですが、目の前に兄がぬっと現れたのをみてびっくり仰天し、鳥があわてて飛び立つようにぴょんぴょんと跳ねてみせます。もうこれだけで観ている方は「この山伏、本当に大丈夫か?」と疑いの眼になるのですが、山伏も知っている弟がおかしいと聞くと、それでは祈禱してやろうと意外に親切。兄弟の住いまで戻り、兄が揚幕から肩を貸しながら連れて来た弟は白くだらりと長い病鉢巻に顔をほとんど隠しながらふらふらと舞台に進み、舞台中央で床机に座り込みます。山伏は珍妙な呪文を唱えて弟の頭をむんずとつかみ脈をとってから祈禱を始めましたが、弟が身体をぶるぶるとさせてから突如ホホーン!と鳴くのにまたも驚いてとびすさり、あれは何じゃ?と兄に問います。どうやら弟が山で梟の巣を下ろしたために梟が憑いたのだとわかった山伏は、梟が嫌う烏の印を結んでぼろんぼろんと一所懸命祈ってみましたが、そのうち兄も身体を震わせ始めたかと思うとホホーン!。一度は長居は無用と逃げ帰りかけた山伏でしたが、よせばいいのにここで逃げては評判が悪い、いっそ二人とも祈り殺してしまおうと気を失っている二人のもとに戻り、またしてもぼろんぼろんとやるものですから、起き上がった兄弟のホホーン!にはさまれて右往左往しながら必死のぼろんぼろんも効かず、とうとう圧倒されて倒れてしまいます。そのまま兄弟はホホーン!を繰り返しながら橋掛リを下がっていき、舞台上に山伏が独り取り残されるのですが、その山伏も気が付いてむくりと身体を起こすと、身体を震わせてホホーン!

この演目、単純に観れば山伏を笑いのめした楽しい筋ですが、次々に梟がとりついていくという話は見ようによってはホラーで、かつてフランスで「梟」が演じられたときは客席が静まり返ってしまったそうです。

殺生石

那須高原にある殺生石は私も実物を見たことがありますが、この曲はその由来となった野干の精が自らの正体と討たれた経緯を語り、高僧の供養を受けて成仏するさまを描く切能です。

枯れた笛の音に導かれてお調べ、そして囃子方が入り、後見が台座と巨大な石の作リ物(ドーム状を上から半分に切った形)を運び、そしてまずはワキ/玄翁和尚(高井松男師)とアイ/能力(寺の下男)の登場。〈次第〉心を誘ふ雲水の、浮世の旅に出でうよに続いてワキが陸奥から都への旅の途上にあることを語り、那須野の原に着いたときに殺生石の上を飛ぶ鳥が落ちるのをアイが落つるは落つるはと見咎めます。立ち寄って見ようとするところへ前シテ/里の女(金剛永謹師)が揚幕の奥からなうなうあれなるおん僧、その石のほとりへな立ち寄らせ給ひそと声を掛けて後、唐織着流にこの世の物ではないことを示す泥眼の面の姿で登場します。シテは石の前に片膝を突いた型で落ち着き、地謡が殺生石の由来を謡い始めますが、玉藻の前が調伏されるに至るくだりを謡う〈クセ〉は舞台いっぱいに緊迫感がみなぎる舞クセ。そしてワキがかつての玉藻の前、今は那須野の殺生石の石魂に衣鉢を授けようと語り掛けると、夜になったら懺悔の姿を現すのでそれまで待つようにと応えて石の中に入ります。ここが中入で、アイが玉藻の前の名の由来や殺生石となった経緯を語っている間、シテは面と装束を変えているのですが、私の席が脇正面、それも橋掛リのすぐ横で石を真横から見る位置にあるため、シテと後見が連携して後シテの姿に変わっていく模様がよくわかり面白かったし、けっこうぎりぎりなので見ていてはらはらもしました。

ワキが石に向かって汝を成仏せしめ、仏体真如の善心となさんと祈りかけるノットのうちにアイは切戸から下がり、石の中から石に精ありと深い声音が聞こえてきて、後見がタイミングを見計らって石の作リ物を後ろから押すと石は花弁状に二つに割れて倒れ、そこに小書《女体》にしたがって九尾狐の戴をつけ白水衣・緋大口の妖艶(というより凄絶)な風情の後シテ/野干の精が現れます。後シテはおおむね床机に腰を掛けていますが、動きはかなり激しいもの。地謡の雲居に翔けり海山をではすっくと立ち、後見と息を合わせてまた座ります。さらに三浦の介、上総の介に退治される場面では壇上から舞台に降り、再び後ろ向きに跳んで壇上に戻ります。この辺り、息をも継がせぬ、という形容がぴったりくる緊迫した場面です。そして、御法を受けて今後悪事はしないことを約すと、左袖で面を隠し凄いスピードで揚幕へと一気に消えていきました。

配役

声明 庭讃・理趣教(中曲) 真言聲明の会
狂言大蔵流 シテ/山伏 松本薫
アド/兄 網谷正美
アド/弟 丸石やすし
金剛流 殺生石
女体
前シテ/里の女 金剛永謹
後シテ/野干の精
ワキ/玄翁和尚 高井松男
アイ/能力 茂山逸平
藤田六郎兵衛
小鼓 幸清次郎
大鼓 安福光雄
太鼓 井上敬介
主後見 松野恭憲
地頭 今井清隆

あらすじ

ふくろうに取り憑かれ鳴き続けるという奇妙な病気にかかった弟を治すために、兄は山伏を呼ぶ。ところが、祈禱によって治るどころか兄もふくろうに取り憑かれ、あわてた山伏はいっそのこと二人とも祈り殺そうとするが、ついに自分もふくろうに取り憑かれてしまう。

殺生石

近づく者を殺してしまう那須野の殺生石。奥州から都へ上る途上の高僧玄翁にその由来を語った里の女は、かつて玉藻前として鳥羽院に近づき病気にした野干の精で、安倍泰成に正体を見破られてこの野に逃れたものの、遂に討ち取られてその怨霊が石になったものだった。

玄翁が石に、向かって仏事を行い引導を与えると、石から現れた野干は自らの出自と三浦の介、上総の介に討ち取られたときの様子を語り、いま高僧の供養を受けたので以後は悪事はしないことを誓って姿を消す。